青年部の部長は「S」と言う男だった。
スラリとした長身に端正な顔立ち、眼光鋭く、語り口調には威厳を感じさせるものがあり、内外共にカリスマ性を兼ね備えていた。

親に対しての葛藤が大きく、教団のことを明かして強く反対されれば簡単に「おちて」しまうことを懸念していたのか、親へのカミングアウトをSからは「まだ」と止められていた。
そんな私の信仰信念を確固たるものにしてやろうとの思いからか、ある日Sに呼び出された私は、衝撃的なことを告げられる。
「Rさん、マイクロ隊に行きましょう。」

【マイクロ隊の使用車両  トヨタ ハイエース
運転席の窓以外は白く加工が施されていた】

マイクロ隊。
献身者の登竜門とでも言うべき、教団内で最もハードな万物復帰部隊のことである。

自分自身ではまだ到底マイクロ隊に行けるほどの信仰レベルではないと思っていた。
反面、憧れもあった。
マイクロ隊で鍛えて貰うことで、親から何を言われようと、揺るぎない信仰を貫ける強い心になれるのなら……行ってみたい。

そんな思いが入り混じる中、Sのカリスマ性に自らの本音を吐き出すことも出来ず、思わず「はい。」と返事をしてしまった。

普段の伝道活動や万物復帰などの活動は教区(県)単位で行われているのに対し、マイクロ隊の活動はブロック(地方)単位で行われていた。
その為、マイクロ隊に入隊するためには自教区を離れて隊の本部がある教区まで行かなければならない。

当面の荷物をまとめ本部へと向かったが、親には例の化粧品を売る店の長期出張に行くと嘘をついた。家出してから帰宅したことが無かった為、親は寂しかったのか、一度顔を見せに帰宅するよう言って来たが、部長のSから許しを得ることは出来なかった。

マイクロ隊の出発式。
不安な面持ちのメンバーが広い講堂のようなところに集結していた。

マイクロ隊の隊長が挨拶をする。
「ここはお父様を支える最前線の部隊であり、命懸けで闘え。
教区によっては信仰的に幼いメンバーを丸投げしてくるところがある。迷惑だ。
上から言われて嫌々来たヤツ、決意が出来てないなら帰れ。
親に明かしてないまま来るなんてもってのほか。だが来てしまったものは仕方ない。教団のことがバレないよう、親からの緊急連絡先として特別に他の連絡先を用意してある。必要なメンバーは後で自分のところに来るように。」
要旨はこんなところだった。

気合いを入れるためなのか、激しい口調に思わず震え上がってしまった。やはり私のような信仰的に未熟な人間が来るところでは無かったと心から後悔した。
「後で来い」と言われても、個人的に隊長と話をすることなど、恐くてムリだと思われた。
親からの緊急連絡先には統一協会と分かるものを教えたままにしてしまった。恐さのあまり、もうそんなこと、どうでもいいと思えた。

班を振り分けるための面接が行われた。
隊長含むスタッフ、また他のメンバー全員が見ている前で、自己紹介と一発芸を披露しなければ、ならなかった。

極度の緊張と恥ずかしさのため、名前を言うだけで精一杯のメンバーが殆んどだった。
非原理時代、宴会の盛り上げ役だったことから、人前で芸を披露することにあまり抵抗が無かった私は、「松山千春」の「長い夜」と言う歌を物真似しながら、客席の右端から左端まで握手して回り、ライブさながらに盛り上げた。会場は大ウケだった。(若い人はしらないかも…)

一発芸のクオリティが信仰心と比例するわけではない。にも拘わらず、私は面接での面白さを決意の現れと誤解されたのか、最も厳しいキャプテンが率いる「M隊」に配属となった。

マイクロ隊は戸別訪問でスルメや味昆布などの珍味を売る。
一見、信仰とは全く関係ない物売りのようだが、教団が営む全ての販売行為に意味付けされているように、どんな形であっても教祖が選んだ商品を非原理の人間が買うことで教団に対して間接的に献金したことになる。
その為、万物復帰という教理は信者からすれば全て救いに繋がるものであると信じて疑わず、金儲けと言う意識は全くないのである。

珍味を売る時のスタイルは、ポロシャツにモンペ、髪はトップの一部をまとめてちょんまげにする。
野菜の収穫等に使うコンテナボックスに商品である珍味を詰め込み持ち歩くのだが、以前は重量のあるこのコンテナに紐を付けたものを担いで移動することで腰を痛めるメンバーが続出したため、私たちが入隊したときは、コンテナにコロ(車輪)が付けられ、平坦な道は引っ張って持ち歩けるようになっていた。

【珍味売りのスタイル  デジタル画は苦手です😅】
【商品を持ち歩くコンテナ 取っ手部分に紐が、底部分にコロが付けられていた】

戸別訪問した際に玄関先で披露する挨拶代わりの台詞と振り付けがあり、これをマスターするため厳しい指導を受けた。
「ニコニコにっこりニッポーと言いまーす!
今日は社員研修で北海道のとーっても美味しい味昆布とホタテちゃんのご紹介でお伺いしていまーす。ひとーつ食べてみて下さい!美味しいんですよー!よろしくお願いしまーす!!」

可愛らしく踊るのがコツなのに、キャプテンから「そんなんじゃダメだー!」と恫喝されながら練習する様は、異様な光景であり、今となっては滑稽としか言いようがない。

この挨拶は、あるメンバーが神から啓示を受けて作り出したものであるという崇高な逸話があった。

準備は出来た。
いよいよマイクロに乗り込んで最前線へと出掛けて行く。
マイクロ隊の1日は早朝六時起床。
最寄りの公園や駅で洗顔、歯みがき、トイレ等の身支度を済ませるとマイクロの車内で出発式をする。その身支度も「時間主管」が大事とされ、一分一秒でも早く行動しなければならず、先輩たちは歯みがきをしながら便器に座っていた。
祈祷後、各々今日の売上目標を発表し決意表明。目標は具体的な金額を設定するのだが隠語でキロという単位を使っていた。1キロは1万円。ほとんどのメンバーの目標は1日10キロ(10万円)だった。出発式の最後に士気を高める歌の合唱、二、三曲歌っていた。

それが終わると、各々持たされているメモ帳に最初に持ち出す商品の数を縦軸に、横軸にはラウンドごとに売れた数を記入する、その表を任地に着くまでに手書きで書き上げなければならない。
車内では運転手であるキャプテンに自分が今何をやっているのかをいちいち報告しながら行動しなければならない。
「○○(自分の名前)!今、ノートに線を引いております!」「○○!今、髪をといております!」と言った具合だ。
朝食を摂る前に、まず1R(ラウンド)目の闘いが始まる。
物売りであるが、全て闘いとされていたためラウンドと言う言葉が使われていた。

農村部の朝は早い。そこを狙って七時前から平気で戸別訪問して行く。新人は最初のうち先輩メンバーに同行して歩いた。
先輩達の珍味売りスキルは、凄い!
例の挨拶を終えた後、相手が忙しいからと、あしらわれそうになると、すかさず玄関の置物や鉢植えなどを誉める!誉めちぎる!同行している私は見ていて恥ずかしくなるくらいだった。
そして、面白いように珍味が売れるのだ。
珍味一袋、量もかなり入っているとは言え、
「ニコニコにっこり、2500円!」 
と言う値段は普通なら買わない。
相手は完全に珍味売りのペースに乗せられてしまっているのだ。
6個セットで15000円、セットで買ったお客様には1個無料でプレゼント、というサービスがあった。
先輩たちは6個セットもバンバン出していた。

私はそのスキルを習得するのに必死だった。
1R終了しマイクロに戻る度、キャプテンに「心情報告」(どんな気持ちで闘ったか)をしなければならなかった。
私はいつも
「こんな風に踊ったら買って貰えた」「こんなトークをしたら買って貰えた」と、スキルを工夫した報告ばかりしていたが、キャプテンにはことごとく分別された。
「お前はまだ自分の力でやってるのか!お前がどんな風に踊ったか、しゃべったか、なんてことはどうでもいいことだ!お父様の力はそんなもんじゃないんだ!何も考えなくていい!お父様を信じきって目標に対して絶対やりきる気持ちだけ持てばいいんだ!」

何を言っても分別されるばかり。
「自分の力でやるな」と言うのは、自教区にいたときから聴かされていた「完全自己否定」と言う教理だ。
しかし、その概念を体得出来たのはマイクロ隊から帰って数ヶ月経った頃のことだった。