ひとりで頑張り続けてるわたしのこと、もっと支えてくれたってよくない?
もっとわかってくれたってよくない?
少なくとも君くらいは。
酔っぱらってさすがに悪態つきすぎたブログ投稿したので少しは後悔した。笑
はーそして。最近はなんだかとっても疲れる、というか、やる気がでない、というか、家帰ってもゴローーーーーっとスマホ見てる。そして朝ぜんぜん起きれない。睡眠時間はそれなりのはずなのに。
新しい環境にきて2ヶ月経って疲れが出てきてる頃なのかもしれない。とも思ったけど、なんかもっと思い当たったことがあった。
たぶん変わりたい願望の途中、にいる。
変わりたい、というか、一皮剥けたい。
5月下旬から、友達が2人、順番に遊びに来た。
一緒に過ごしたり、写真撮ったりすると、どうしても自分と比べてしまうし、長いこと写真のような客観的な形で自分の姿を見ていなかったから、自分のブスさとぶ厚さに驚いた。その傍らで、友達はかわいかった。こんなブスと一緒に写真撮っても、友達とかに見せられないよねごめんね、と内心思うが、さすがにそれを言うと気を遣わせてしまうので言えない。
自分のブスさには慣れているつもりだったが、やはりもうちょっと、せめて「まとも」になろうと思った。
職場に5つくらい年下の女の子がいる。
私よりぜんぜん英語は話せない。でも、話そうとするガッツがすごいから、外国人ともコミュニケーションが成り立ってしまう。
そしてそうやってコミュニケーションを普段から取るからか、私より日常会話は聞き取れている。あんなに単語でしか話せないのに。
わたしは正直ずっとこのコンプレックスに悩まされている。ずーっと。英語の勉強は頑張ってきた。そしてそれなりにコミュニケーション取れるようにはなった。ストイックに勉強することは性に合っている。
世間で「英語の勉強の必要性」が叫ばれる中で、私は優等生だろう。しかしながら、「慣れ」るだけなら外国人に混ざった方が圧倒的に早い。このことを英語学習界(?)はあまり認識してないような気がする、というか、一般的な感覚としてはあるとしても、私みたいな熱心な「英語学習者」は、「学習至上主義」みたいなものがあるので、その道を安易に選ばない。言ってしまえば、「雑談で英語に慣れたって、ちゃんとした英語は話せるようにならないし、仕事の話はできるようにはならない」のではと思っている。
たぶんこれはある意味当たっている(し、そうでなきゃ私みたいなガリ勉しかできない人は浮かばれない)。
でも結局、コミュニケーションに対するガッツがある人の伸びは早いのは事実。英語に耳が慣れていくのも事実だろう。私は、そこのガッツが圧倒的に足りない。今まで、英語がコンプレックスすぎて、英語になると真面目に考えてしまうのか、少しでもコミュニケーションがうまくいかないとすぐ挫けてしまう。そこを乗り越えるガッツ、頭でなく感覚で相手の言っていることを理解するコミュニケーション力は圧倒的に持たない。
その女の子は、「英語は通じればいい」みたいなことを言っていた。それも圧倒的に私とは考え方が違う。そんな単語しか並べられない状態でなんとなく満足してるのも信じられない。
けれど、実際はそれくらいに捉えて、ガツガツコミュニケーション取れる方が伸びるという現実。真面目すぎるんだなあわたしは。
だから、まあもっと、もう「学習」に頼らずに、せっかく海外にいるわけだし、もっと外国人とコミュニケーションを取るべきだよなあ、
と、思うのだけど、
もともと根暗でそんなに人と話したくない、ましてや、いま、少し気持ちが閉じていて全然そんな気力湧かない、という気持ちもあって重たい。
つまり今の自分は
変わりたい気持ちと、変わる気力が出てこない現実の狭間にいる、んだな、気づいた。
だから知らないうちにストレスを抱え込んで、寝ても寝ても眠いのだと。そんなに目に見えて鬱ではないが、どことなく元気が出ないのはこのせいかと。
でも、わたしはいつだってこのパターンだ、ってことにも気づいた。
いつだって、何かしらでクヨクヨして、クヨクヨクヨクヨして、閉じて閉じて、でもいつかは開き直る瞬間を迎える。
私が信じているのは、そして自分の強いとこでもあるのは、開き直った瞬間の勢いである。
こうやってたくさんクヨクヨクヨクヨした時間あってこそ、開き直った瞬間の躍動はあるのだと。
結局は負けず嫌いだって、認めたくないけど、仕方ないから、認めてしまう。負けたくない。
はーそして。最近はなんだかとっても疲れる、というか、やる気がでない、というか、家帰ってもゴローーーーーっとスマホ見てる。そして朝ぜんぜん起きれない。睡眠時間はそれなりのはずなのに。
新しい環境にきて2ヶ月経って疲れが出てきてる頃なのかもしれない。とも思ったけど、なんかもっと思い当たったことがあった。
たぶん変わりたい願望の途中、にいる。
変わりたい、というか、一皮剥けたい。
5月下旬から、友達が2人、順番に遊びに来た。
一緒に過ごしたり、写真撮ったりすると、どうしても自分と比べてしまうし、長いこと写真のような客観的な形で自分の姿を見ていなかったから、自分のブスさとぶ厚さに驚いた。その傍らで、友達はかわいかった。こんなブスと一緒に写真撮っても、友達とかに見せられないよねごめんね、と内心思うが、さすがにそれを言うと気を遣わせてしまうので言えない。
自分のブスさには慣れているつもりだったが、やはりもうちょっと、せめて「まとも」になろうと思った。
職場に5つくらい年下の女の子がいる。
私よりぜんぜん英語は話せない。でも、話そうとするガッツがすごいから、外国人ともコミュニケーションが成り立ってしまう。
そしてそうやってコミュニケーションを普段から取るからか、私より日常会話は聞き取れている。あんなに単語でしか話せないのに。
わたしは正直ずっとこのコンプレックスに悩まされている。ずーっと。英語の勉強は頑張ってきた。そしてそれなりにコミュニケーション取れるようにはなった。ストイックに勉強することは性に合っている。
世間で「英語の勉強の必要性」が叫ばれる中で、私は優等生だろう。しかしながら、「慣れ」るだけなら外国人に混ざった方が圧倒的に早い。このことを英語学習界(?)はあまり認識してないような気がする、というか、一般的な感覚としてはあるとしても、私みたいな熱心な「英語学習者」は、「学習至上主義」みたいなものがあるので、その道を安易に選ばない。言ってしまえば、「雑談で英語に慣れたって、ちゃんとした英語は話せるようにならないし、仕事の話はできるようにはならない」のではと思っている。
たぶんこれはある意味当たっている(し、そうでなきゃ私みたいなガリ勉しかできない人は浮かばれない)。
でも結局、コミュニケーションに対するガッツがある人の伸びは早いのは事実。英語に耳が慣れていくのも事実だろう。私は、そこのガッツが圧倒的に足りない。今まで、英語がコンプレックスすぎて、英語になると真面目に考えてしまうのか、少しでもコミュニケーションがうまくいかないとすぐ挫けてしまう。そこを乗り越えるガッツ、頭でなく感覚で相手の言っていることを理解するコミュニケーション力は圧倒的に持たない。
その女の子は、「英語は通じればいい」みたいなことを言っていた。それも圧倒的に私とは考え方が違う。そんな単語しか並べられない状態でなんとなく満足してるのも信じられない。
けれど、実際はそれくらいに捉えて、ガツガツコミュニケーション取れる方が伸びるという現実。真面目すぎるんだなあわたしは。
だから、まあもっと、もう「学習」に頼らずに、せっかく海外にいるわけだし、もっと外国人とコミュニケーションを取るべきだよなあ、
と、思うのだけど、
もともと根暗でそんなに人と話したくない、ましてや、いま、少し気持ちが閉じていて全然そんな気力湧かない、という気持ちもあって重たい。
つまり今の自分は
変わりたい気持ちと、変わる気力が出てこない現実の狭間にいる、んだな、気づいた。
だから知らないうちにストレスを抱え込んで、寝ても寝ても眠いのだと。そんなに目に見えて鬱ではないが、どことなく元気が出ないのはこのせいかと。
でも、わたしはいつだってこのパターンだ、ってことにも気づいた。
いつだって、何かしらでクヨクヨして、クヨクヨクヨクヨして、閉じて閉じて、でもいつかは開き直る瞬間を迎える。
私が信じているのは、そして自分の強いとこでもあるのは、開き直った瞬間の勢いである。
こうやってたくさんクヨクヨクヨクヨした時間あってこそ、開き直った瞬間の躍動はあるのだと。
結局は負けず嫌いだって、認めたくないけど、仕方ないから、認めてしまう。負けたくない。
いつまでもやめられない、ね、他人と自分を比べるの。
今の私のポジションに、次くる人のことを聞いた。
彼女だった、好きなんだけど苦手で、結局は負けず嫌いで避けてる彼女だった。
こうやって自分でしか見ない文章だったってストレートに書けないほど、彼女に対する感情は屈折している。
彼女は美人。学歴もある。私にない資格もある。そして圧倒的なコミュ力もある―
コミュ力に関しては、一つ言いたいのは、単純にコミュニケーションが上手といいたいのではなくて、なんていうか、人に対する、人とコミュニケーションすることに対するバイタリティがすごい、と言いたい。
私にないものをたくさん持っている。
そんな人を前にすると、私ってちゃんとできてるんだっけ、そんな劣等感を感じてしまうのが世の常、わたしの常。
でも、私だって何かあるよね、ほら、素朴なところとか、真面目なところとか。
そしてもうちょっと彼女をディスりたい。彼女をちやほやする人たちは多いけれど、結局どれもすべて、いわばキャバ嬢ちっくな興味の引き方だと思う。
仕事で関係する人のことを、「友達」っていうとか、上の人のことを、あだ名的に呼ぶとか、少なくとも私の中ではないオプション。
だし、結局は仕事の中身だと思う。多少アイドル的な要素で興味を引いてたとしたって。結局、ブスだし愛想もないのに仕事勝ち取ってる私だって、「営業」しなくたって勝ち取ってる方が強くない?
仕事でそんなキャピキャピすんなよ。
そんな気持ち。で、ずっといる、
だけど、私の後のポジションが彼女って決まった。
彼女は、私が今閉じきってコミュニケーション取らない職場の人ともすぐ仲良くなるだろう。私が飲んだことない人とも飲みにいくでしょうよ。
私が人見知りしたり、オープンになれなくてなんとなく輪から抜けてたりした期間なんて、彼女には訪れないでしょう。
そう考えると、途端に不安になってくる。
不安になってくるということは、どこかで彼女みたいな姿に憧れていて、本当はもっとコミュニケーション取りたいと、心で思っているってことだと思う。こんなにバカにしているのに、ね、矛盾。
*
ここまで考えたところで、最近の私の話に移る。
最近、どうしたってオープンになれない。
仕事の話はいくらでも大丈夫、だけど、それ以外の雑談は、日本人だってギリ、外国人ならなおさら、嫌いとかじゃないけど、話しかけてほしくないとさえ思う。
これはなんなんだろうね。五月病みたいなものなのかな。
住み心地のいいところだったって、日本とは環境が違うことのストレス。プラス、仕事に集中してて余裕が無いのかも、と思うけれど。
もっとコミュニケーションを取りたい。
というよりは、
もっとコミュニケーションをストレスなく取れるようになりたい。
解決策のないただのぼやき。
今の私のポジションに、次くる人のことを聞いた。
彼女だった、好きなんだけど苦手で、結局は負けず嫌いで避けてる彼女だった。
こうやって自分でしか見ない文章だったってストレートに書けないほど、彼女に対する感情は屈折している。
彼女は美人。学歴もある。私にない資格もある。そして圧倒的なコミュ力もある―
コミュ力に関しては、一つ言いたいのは、単純にコミュニケーションが上手といいたいのではなくて、なんていうか、人に対する、人とコミュニケーションすることに対するバイタリティがすごい、と言いたい。
私にないものをたくさん持っている。
そんな人を前にすると、私ってちゃんとできてるんだっけ、そんな劣等感を感じてしまうのが世の常、わたしの常。
でも、私だって何かあるよね、ほら、素朴なところとか、真面目なところとか。
そしてもうちょっと彼女をディスりたい。彼女をちやほやする人たちは多いけれど、結局どれもすべて、いわばキャバ嬢ちっくな興味の引き方だと思う。
仕事で関係する人のことを、「友達」っていうとか、上の人のことを、あだ名的に呼ぶとか、少なくとも私の中ではないオプション。
だし、結局は仕事の中身だと思う。多少アイドル的な要素で興味を引いてたとしたって。結局、ブスだし愛想もないのに仕事勝ち取ってる私だって、「営業」しなくたって勝ち取ってる方が強くない?
仕事でそんなキャピキャピすんなよ。
そんな気持ち。で、ずっといる、
だけど、私の後のポジションが彼女って決まった。
彼女は、私が今閉じきってコミュニケーション取らない職場の人ともすぐ仲良くなるだろう。私が飲んだことない人とも飲みにいくでしょうよ。
私が人見知りしたり、オープンになれなくてなんとなく輪から抜けてたりした期間なんて、彼女には訪れないでしょう。
そう考えると、途端に不安になってくる。
不安になってくるということは、どこかで彼女みたいな姿に憧れていて、本当はもっとコミュニケーション取りたいと、心で思っているってことだと思う。こんなにバカにしているのに、ね、矛盾。
*
ここまで考えたところで、最近の私の話に移る。
最近、どうしたってオープンになれない。
仕事の話はいくらでも大丈夫、だけど、それ以外の雑談は、日本人だってギリ、外国人ならなおさら、嫌いとかじゃないけど、話しかけてほしくないとさえ思う。
これはなんなんだろうね。五月病みたいなものなのかな。
住み心地のいいところだったって、日本とは環境が違うことのストレス。プラス、仕事に集中してて余裕が無いのかも、と思うけれど。
もっとコミュニケーションを取りたい。
というよりは、
もっとコミュニケーションをストレスなく取れるようになりたい。
解決策のないただのぼやき。