この1年で、平たく言って「失恋」を2回ほどした。
平たく言って、とわざわざ言ったのは、なんとなく私の経験したできごとが一般的な「失恋」ではないような気がしたからだけれど、本当は自分の経験が「特別」だと、ただフラれただけじゃないんだと、思いたいんだろうと思う。
「好きな人に、同じ気持ちを想ってもらえなかった(なくなった)」という意味では、立派な失恋なんだけど、何を見栄張っているんだろう、私。
というつっこみはさておき。
失恋が苦しいこと、失恋した後の寂しさの辛いことは、私だけでなくきっと常識レベルで誰もが知っていること。
けれど、なんで、どうしてこんなに苦しいのだろうと少し考えたとき、
失恋のつらさに影響するのは、単に「想いの強さ」だけではないんじゃないかと思った。
それはつまり、「いかに相手のために居場所をつくり、どれほど相手の中に自分の居場所を見つけていたか」ということが失恋の時の辛さに影響するということ。
誰かを好きになると、その人のことが頭の中を少しずつ占めるようになる。
最初は、ふわっと「仲良くなれたらいいな」って程度に心が占拠され、
彼女いないってわかるとまた少し、デートに行くとさらに少し。
付き合い始めるともう半分くらい。お互いのことをよくわかりあえてたくさんの時間を過ごしていくならもう7割くらい。
ってそんな具合に、頭の中や、心がその人のことで占められていく。
どれくらいの割合かは人それぞれ、でも少なくとも大きくとも、誰かが心の中に入り込んでいく。
恋に堕ちる前の自分の心を占めていたものは、ぎゅっと圧縮されるか、入りきらなくなって追い出してしまうか。
そうやって、「好きな人」に占めるスペースが増えていくかんじ。
もうすっかり大好きになった頃には、その人の「居場所」が私の中にできてしまって、その人じゃないとその空間は埋められなくなってしまう。
私の恋は、そんなイメージだ。
一方で、相手の中に自分の「居場所」を見つける。
必要としてくれていること。会ってない時間でも私のことを考えてくれていること。ふと夜に連絡がくること。
そんなできごとが、私が「居場所」を見つけることにつながる。
*
だからそんな恋が終わるときは、
私の中につくってしまった「居場所」が何にも埋まらない。
私が見つけた「居場所」が見つからない。
そんな状態になってしまう。
だからたとえば、もう一緒にいれない、って話をしたあとでも
ふと連絡をくれたり、私との思い出につながるような何かをしていたりすることにとても救われる。
まだ私の居場所が、少しだけ残っていたんだ、と思えるからだ。
連絡がきたからといって、また一緒にいられる、と思って救われるわけでは、必ずしもないんだと思う。
また一緒になることを、夢見ている状態でインスタントな幸せに浸ってしまうときだってあるけど、本当はそうならないことだって気づいている。
それでも、私の心の中にできてしまった空白を埋めるべき人の中に、私が一生懸命見つけた居場所がまだそこにある、そんな愛おしさがそこにある。
愛おしく思い、それでも寂しく思い、恋しく思い。
傷さえも懐かしみながら、少しずつ過去になって、時間の経過とともに空白を埋めていく。
圧縮したものたちが元の大きさになることだってあるし、新しい何かが私の心を埋めることもあるだろう。
それを簡単に言って、世間は「時間が解決してくれる」と言うんだろうな。
心の中の空白を、明確に、ありありと認識してしまっている人にとっては、時間が過ぎるだけでそんな空白が埋まるわけはないと思う、だからきっと絶望する。
だけれども、ちゃんと、グズグズして前を向けなくたって、なんとか前を向こうとする気持ちさえあれば、時間がかかっても、空白は埋まるものなんだ。これは経験上の話。
*
さて、これから、私の中の空白を埋めるものは何だろうか。