新年。 | good days' diary*

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20代会社員。
旅行・読書・カフェ巡りなどがすきです。

あけましておめでとうございます。

今年も良い一年になりますように。


さて、もはや毎年恒例かのようになっているのが空しくもあるけれど、新しい年を迎えると、気持ち新たに今年の目標を立てたりする。

昨年の自分を振り返って、さらには自分の目指す姿を考えて、そのギャップを埋める何かしらを目標にする。


お金のムダ使いをやめる、英語の勉強する、痩せる、だらしない生活をしない・・・

私もたくさんやりたいこと、実現したいことが見つかったが、一番強く思うのは、「今年こそは、『今年こそ』を実現する!」ということだろう。


もちろん、今は強く思っていることも数週間とか、数か月経てばみるみるうちに色あせていくこともやや頭をよぎるのだが、やっぱり「今年こそは」という強い思いが今年の私にはある。


一つの理由は、今年27歳を迎えることだろう。

27歳と言えば、私の中では「女としてのピーク」なイメージだ。

もちろんピークなんて人それぞれであることはわかっているが、やはり若さと、大人さとの2つの要素がちょうど良いバランスを迎える年齢なんだと思っている。

その「女としてのピーク」にあたって、私は何より、自分に納得できる自分でいたい、と思うのだ。

ルックスや、仕事や、人間関係において。


だから私は今年、闘いたい。向き合いたい。自分と。


そんなことを考えていて、新年新しくした気持ちで、目標をいかに達成するか、ということを考えていたら、ふと気づいたことがある。

それは、「何かを新しく始めることより、今やっている何かを止めることの方が難しい」ということ。


「今年こそ」を実現するためには、新しく何かを始めること―たとえば、ジムに通うとか、勉強を続ける、とか―が必要だけれど、それらを習慣化するにはおそらく今の生活を変える必要があって、大抵の場合日々の何かしらで手一杯になっている現実のままでは、新しく始めたことも続かないのがもっともだ。

今までに習慣化しているもので、今の私には不要、または優先度が低いもの。

そういったものを(自分の慰めのために言葉を足せば、ある程度)切り捨てていくことが先決であって、それにはきっと相当の覚悟がいる。

大抵今までも「やめよう」と思いながらも、疲れた、とか、たまにはいいよね、みたいな言葉を盾にしてやめきれなかったものばかりからだ。

もちろん今まで100のものを急に0にするのは少し無理が生じるだろうから、少しずつでいい、と自分に言い聞かせるけれど、それでも、私は「今年こそ」やってみせる。



話は少し反れるけれど、でも共通した話で、何かを諦めることを覚えるのが大人になることなんだろうか、ということを考えていた。


全てに満足できる人生は、あるんだろうか。

若くて、青い私は、全て諦めたくない、と思ってた。

妥協なんてしたくない。


あるいは、何かうまくいかないことがあるとそれで頭がいっぱいになっていた。


生きていくうえで、絶望なんてたくさんある。自分のふがいなさや、もう変えられない過去への後悔や、哀しいニュース。

でも一方で、それだけじゃない。生きている今、私のどこかを切り取って違う側面から見れば、何かにはきっと希望を見出せるはずだ。

そう考えることは、たぶん間違っていない。


全てに満足することは、きっとできない。

これを受け止めることにもおそらく、覚悟がいる。


でも、何か希望はあるはずなんだ。

小説や映画にだって救いはある。


「現実逃避」という言葉は好きじゃない。でも、現実を優しく受け止めるためのクッションのような何かを持っておくことはきっと有益だ。


全ては諦めない。諦めたくない。でも全部は無理だから。


そうやって、少しずつ、自分と向き合っていく一年にしたい。



そしてこういう風に思えることすら、今までの自分では納得できないと思うことすら、根本に届きたい人がいるからなんだろう。


好きな人に、そのまま向き合える自分でいたい。


素敵な一年になりますように。