パラリンピックのあり方については置いておくとして。
選手村の中を走る自動運転のバスが視覚障害がある選手と接触事故を起こしたという。危ないこっちゃ。視覚障害者ではなくて、危ないのはもちろん自動運転車のほうである。人が運転する車も危険だけれど。
遠慮のせいか、報道による取上方はやや控えめな印象。もう少し大きく取り上げてほしかった。そうすれば、ぼんやりしている議員やコメンテーターだかオピニオンリーダーだかそういう人たちの口に上って、人前に出ないけれども世間のよほど思慮深い人たちのアテンションを引くだろうから。
当のトヨタは、ロイターによると、社長が緊急会見を開いて謝罪と対応などを述べている。政治家などが、「不快に感じられたのならお詫びします」とか「お詫びしなければいけない」というのは謝っていないよね。そういった発言の場合は、記事を書く記者は、「謝罪した」とせずに、「謝罪めかした発言をした」と報道せねばなるまい。
トヨタ社長は「大変申し訳ない」ときちんと謝っている。さすがトヨタの社長だな。
ロイター記事では、「パラリンピックという特殊な環境の中で、目の見えない方もおられれば、いろいろと不自由な方もおられる。そこまでの環境に対応できなかった」と社長は説明したという。パラリンピック会場じゃなくても町の中のいたる所に障害者はいますので、発言の前段がついたのは何とも惜しい。もし一般の場所で障害者を見かけないとすれば、それは出られない理由がいろいろあるからでしょう。トヨタ社長といえども、分離する考え方にとらわれている。それでも、こうやって理解を明示してくれれば、問題が見えて物事が前に進むのだ。やっぱりトヨタの社長だけのことはある。
しかし、「しかし」です。
自動運転なんて訳が分からない。危険だとかの前に、必要性が全く分かりません。発明好きな人が研究というか趣味というかで作りたいなら好きにすればよいけれど、実証実験だとか、本気で実用化しようとするのは、頭が悪いのではないかと思える。例えば、人が入り込めないような場所を通って物を届けるなど、自動運転が役に立つ場合はあるだろう。そういうのは大いに結構だと思う。だから、自動運転車の開発は真に必要だと思える特殊な用途向けだけにしてください。
交通機関だとか配達だとか、人を切り捨てて機械に替えるのは大反対だ。意味ないよ。自動車はもちろんもっともっともっと安全になる必要があるが、運転は人がすればよい。なぜ運転席から人を排除する必要があるのか。人は運転という仕事をやめて、それでどんな仕事するのか。自動運転車のために道路にチップみたいの埋め込んだり、トラブルが起きてピーピー鳴ったら出動してスイッチ入れ直したりするのかな。そういう仕事はそういう仕事としてよいのだろうけれど、私は運転のほうがいいな。
駅でも電車でも工場でも店でもどんどん人がいなくなってさ。機械なら、働きづめでもいいし、病気にならないし、福利厚生不要だし、取り替えもできるし、コスト管理が楽ちん。でも、人同士で解決を目指そうよ。上に立つ人も、人の中にある人も、自分のことばかりの人も、それぞれで昨日より今日、今日より明日と、知恵と経験を積む。サウイフセカイニ ワタシハイキタイ。
腹が減っている減っていないにかかわらず、油断するといつも食べることばかり考えてしまう。
朝、珈琲館のおいしいサンドイッチを食べた後、セブン―イレブン(近いほう)に行った。ミネラルウォーターを買うためという名目だったが、数分の距離を歩くうちに、カップ麺も目的に追加。全日、宅配サービスアプリで「倍チキンフィレオ」とか「倍テリヤキマック」なんてものを見つけてしまったので、それらを頼まない代わりということで。食べなくてもよい(食べるべきではない)食べ物を買う理由はいつでも頭に浮かぶのです。
① そのセブンで。
カップ麺の棚の前に陣取っていたら、若い店員さんが声かけてくれました。カップ麺なんかを買う恥ずかしさ(カップ麺業界関係の方、ごめんなさい)にへどもどうろたえてしまい、何のこだわりもないのに味をえり好みする。「他に何かありますか」と聞いてくれたけれど、さすがにアイスだのスナックだのとは言い出せず、余計な食べ物をそれ以上買わずに済みました。
足首の虫刺されが水ぶくれになってもう4日。いつ破れるかと案じていたが、2つとも、ふっくら煮た黒豆よりも成長した。ネット情報はどれも「水ぶくれは破るな」と書いてあるが、こんなに大きくなってはこの先どうすればよいのだろう。ウイルスが詰まっている(であろう)この水袋、破れたらそこら中が「とびひ」になりそうで恐ろしい。とは言っても、たかが虫刺され。コロナワクチンの接種もやっていて大忙しの病院に行くのも気が引ける。とにかく、寝ている間に潰さないように絆創膏の補充だということで、駅前のココカラファイン(大きいほう)に。
② 駅の周りは円形にカーブしていて少し分かりづらい。ポストを手掛かりに歩いていたら、通りかかった若い人が、道の向こう側の店の前まで一緒に行ってくれました。
③ ココカラファイン。まずレジに並んで、絆創膏と、もしあればステロイドの薬が欲しいと伝えると、その人がレジを抜けて手伝ってくれました。虫刺されの塗り薬のラインアップとそれぞれの効用をよく知っていて、私の状況を聞くと、棚に並んでいるのとは別の薬を億から出してきてくれました。絆創膏よりもガーゼのほうがよいので、そちらも見立ててもらいました。こちらから聞かなくても、使い方や値段もきっちり教えてくれました。
いつもながら、ほかにも多くのありがとう。
心に余裕があるとき、助けてくれて、助けたことで少し気分よくもなって欲しい。
迷惑かけてると思いたくないし、迷惑だと思って欲しくない。人に対しても自分についても「迷惑」という言葉をこの世の辞書からなくしたい。
『サド侯爵夫人』も、もういいんじゃないかなぁ、などとも思いつつ、やっぱり麻実れいは見ないといけないのでは、と行ってきた。
ずーっとダウンで止まっていたブログメモを再開させるほどの衝撃でした、第一幕は。
女おんなした女は、男(女形)がやるのが一番!といつしか信じてしまった私は、ペシペシと叩かれた感じだ。
サン・フォン伯爵夫人とシミアーヌ男爵夫人、素晴らしかったね。女優さんに「おらおら」と見せつけられた。
観客の高い期待をも軽く越え、生々しいインパクトを放ったサン・フォン伯爵夫人は、カーテンコールで特別の喝采を浴びるに十分値した。
にしても、シミアーヌ男爵夫人という人物を演じて納得させられるとは、本当に予想外でした。
残念なのは、サド侯爵夫人ルネだった。
イノセントというか、強い信念の裏に隠れた後ろめたさがない。
ま、それも解釈でしょうけれども。
時間の経過で生じてくる信念の軋みがない、というか、「生じてくる」的なところがない。
とても残念であります。
いつかどこかの演出家に納得する像を見せて欲しいシャルロットも、ルネがよくない影響もありいいところが一つもなかったアンヌも、ルネがこれではいいも悪いも、どうでもいいというか。
女優さん(蒼井優)は、力強くてどちらかと言うと好きですが。
ルネは、雰囲気や直観でなく分析と理屈でグリグリと突き詰めて像を造形されるべき人物だと思うので、ルネが駄目だったというのは、女優さんじゃなくて演出家への不満。
ルネの不造形のせいもあるのか、関係ないのか、わからなかったけれど、モントルイユ夫人もちょっとがっかりだったなぁ。
しかし。モントルイユ夫人とルネとの、母娘の対立として見るという、考えてみれば普通に素直な見方が際立って、それはそれなりに、私にまた新たな『サド公爵夫人』by三島由紀夫だった。
そして。まだ私には答えがわからない。
いや、むしろ基本的な疑問も実はやっぱり解けていないことに気付いて、問題は2つになった。
ルネは修道院に行くことにした理由は何なのか。
醜く変わったアルフォンスを追い返すのはいかなるジェスチャーなのか。
うーん。
何だかなぁ、何だかなぁ、と思いながら、結局最後まで、どうするのかと興味を引っ張られた。それが強さなのか。
家を根城にするからどけっておかしいでしょ、とか、役者さんのお芝居が上手じゃないとか、そんなことが気になって、劇世界には入っていけないのだけれど。
強引。それがよいのだろうか。隣りの席の狂ったような拍手は。