【いとしの儚】を見に行きました | まきののブログ

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舞台 いとしの儚 


@六本木トリコロールシアター (2021年10月6日~17日)を見に行きました。


あらすじ

ロクデナシで博打だけはめちゃくちゃ強い鈴次郎(すずじろう)が鬼との勝負に勝ったので、墓場の死体と赤ん坊の魂で作った自分の理想通りの絶世の美女・儚(はかな)を貰いますが、人間になるためには、肉体と魂が定着するまでの100日間は性交渉禁止。

肉体的には大人でも、中身は赤ん坊の儚を育てることになる鈴次郎。

クズの鈴次郎と人間になりたい儚の歪な100日間のお話


黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫あたま

なにも知らないままで見るのも楽しそうだけど、

私は初回で理解できるか分からなかったので、

劇団扉座さんのYouTubeで予習して行きました。

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注意ネタバレ含む感想注意

題材が題材なので、ちょっと下品というか、

すみれコードならアウトだろうシーン有り。


鈴次郎が本当クズで…程よい距離ならきっと愛すべきクズなんだろうけど、当事者だったらたまったもんじゃないタイプのクズ。

程よい距離はきっと、賽子姫くらい離れた位置だと思うから、救いようがない。

儚が段々、ギャンブル依存症のDV男から離れられない女に見えてくる…風呂屋に沈められるタイプの…


そんな、鈴次郎が儚に救われるんじゃないかと思える瞬間がいくつもあるんだけど、

ことごとく鈴次郎自身がそのチャンスを潰してしまう。

賽子姫にめちゃくちゃ愛されて博打で生計を立ててきたこともあるのだろうけど、

何より生まれと育ちなんじゃないかと思ってしまった。

やっぱり人間、楽なほうへ流れていきたいよなぁなんて。


儚がこの世に作り出されたばかりシーンで、鬼婆が

「赤ん坊のころにしっかり抱いてもらえなかった子は、ひねくれて育ってしまう」というセリフがあるのだけど、

このセリフが、終盤の鈴次郎の、母親に1度も抱いて貰えず育ったという独白で思い出されて、

あとから考えると、

儚が鈴次郎に対して、鈴次郎に抱いて育ててもらったという言葉にも繋がっていて胸に来た。

ひねくれて育つ云々は別として、

実際にあまり抱っこやおんぶをして貰えなかった子供は抱えた時に手や足の置き場がヘタだから、

この子が大人になった時に、抱っこやおんぶをされる子は誰から学ぶんだろう?とか、大人になるまでに自分で抱っこやおんぶを学ぶしかないのかと考えたことがあって、そういう子供として当たり前だと思ってた部分も環境と学習だから、キャラクターとはいえ当たり前の部分が欠けている鈴次郎が切なくて、

欠けている部分を儚が埋めるんじゃなくて、探して育てている感じが歪で魅力的だった。


あと大きなポイントだと思っているのが、

『教育・教養』

儚が寺に預けられ、教養を身につけることで本当に人間らしくなっていく。

ココでの鈴次郎との対比が!!

どんな生まれでも、機会に恵まれた人と機会のなかった人の差が!!

すごく切なくて好き。


百人一首を諳んじるシーンがあって、


『逢ひ見ての のちの心に くらぶれば

昔はものを 思はざりけり』権中納言敦忠(43番)


『しのぶれど 色に出でにけり わが恋は

ものや思ふと 人の問ふまで』平兼盛(40番)


『花の色は うつりにけりな いたづらに

わが身世にふる ながめせしまに』小野小町 (9番)


こちらの3首なのだけど、

三木松が恋の歌ばかりと揶揄うというか冷やかすのだけど、

これだって、日本で義務教育受けてたら、中学生くらいで習う一般教養なわけで、

詳しく解説することは出来なくても、何となく、

何かあってからの方が、その何かが起きる前より好きになったのね~とか、

恋しちゃったんだ多分気づいてないでしょ🎶いや、周りみんな知ってるし…みたいなこと分かるわけで、

花の色は~は、会えない間に成長した自分を見て欲しいのかな?とか会えない時間も想っていたことを伝えたいのかなぁ

こんなん、三木松じゃなくても冷やかす。小っ恥ずかしい。


でも、鈴次郎には伝わらない!

教養がないから!!

もう、儚と和尚と三木松が遊んでるだけにしか多分見えてない。

教養って会話が成り立つための共通言語なのかもしれないと思ったり。


そしてトドメの、食事のマナーというか常識部分での指摘&嘲笑。

教養がない自覚があって、それでも独りきりで生きて来た、生きてこれたという自負があるであろう鈴次郎からしたら多分耐えられないほど腹が立つんでしょうね。

せっかくの膳も蹴散らして、宴の席を後にする鈴次郎。


そんな鈴次郎を追う儚を引き止め、鼓と本を包んで持たせる三木松。

ココがすごく、描かれてない儚の寺での日々を想像させられて、

三木松からしたら妹か娘のような気持ちで、きっと本を読み聞かせ一緒に鼓を打った日もあったんだろう、

鈴次郎のもとに戻ればきっとまともな生活は待っていない、鼓も本も生活に不要なものだから質草にされるであろう事も想像できるし。

生みの親より育ての親なんて浮かんでしまった。


思えば、鈴次郎が笑って儚と居れたのって、

まだ前半の寺に行く前の、鈴次郎が教えたこと以外、儚は何も知らない何の知識もないただ最低限生きているだけのころだと思うと切なくなる。


クズはやっぱりどこまでいってもクズなので、

儚と人らしい暮らしをするためお金を得るために、賭博という不確定で、安易な方法を選んでしまって、

その掛け金得るのに人殺しまでする。

挙句、ゾロ政とのサシの勝負に負けて、儚をカタに借りたお金でさらに勝負に負け、本当救いようがない。


女郎になった儚が殿様に連れていかれて、

助けるために頼る先が鬼だし。

儚は助け出され2人は結ばれたけれど、最後は鈴次郎は鬼に、儚は花になってしまう。


コレってハッピーエンドなのか?

バッドエンドなのか??


初回見た時は、どうしても鈴次郎が許せなくて、バッドエンドにしか思えなかった。

でも、2回3回と見ていくと、この世では絶対にこれ以上の幸せは待ってない2人の最後だからハッピーエンドなんじゃないかと私は思えて。

人生ドン底だと思った時に、ココをドン底と決めて這い上がるか現状維持しないと、ドン底からさらに落ちていくし。

儚は消えて鈴次郎は鬼になるから、人としての生は諦めている=心中エンドみたいなもんだし。

花になって消えても、鬼になった鈴次郎に永遠に思われ続けるなら、幸せなんじゃないだろうかと思った。


黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫あたま

今作すごく印象的なセリフが多いのだけど、

とくに個人的に印象に残ったのが

「運命と思って諦めな」と「夢を持つんだよ」の対比。

あと、冒頭で出てくる、

「ウケメに天井無し、クスブリに底無し」

もうお話のあらすじを表しているんじゃないかと思った!