ひまわりの群れ

第十二話  西へ


 2010年9月10日の夕刻。里奈は、17時10分東京発ののぞみ55号の車中にいた。

 いつもなら、新大阪までゆっくり読書をするのだが、この日は文庫本を開いても頭に入らなかった。切符も新神戸まで買ってあった。

 美奈もマネージャーもいないので、グリーン車の座席は広く感じた。

 里奈は、9月中旬から始まる舞台『オカンとオトン』に出演するため、美奈と離れて東京で一人稽古に励んでいた。

稽古は続いていたが、翌日に大阪デルソル公園で開催される野外ライブにミナリナ揃って出演するため、西へ向かっていた。


ハクたんは毎日のように、リナのツイッターにコメントで報告を入れていた。

もちろん里奈は忙しいので、オフのときで本当に時間があるときに、まとめて目を通すくらいしかしていなかった。

ただ、これまでのハクたんの情報は一定の精度を保っていると里奈は感じていた。

9月4日と5日に2回開かれたファンの集いでは、どちらの回も、ファンの三分の一がピンク系の服を着て、三分の一がか黄色の服を着ていた。普通の服を着ていたのは、主に昔からのファンと年配のファンだった。これも、ハクたんの情報のとおりだった。

この服の色が、ミナ派とリナ派を意味するものならば、ファン分裂の動きはかなり浸透していることになる。

すでにチーターたちの思惑を離れて勝手にミナ派とリナ派が対立しているという情報は、ハクたんからも入っていたし、リナのブログへのファンのコメントからも伺えた。明らかにミナやミナファンを非難するトーンのコメントが目立っていた。

そんな中、チーターたちが9月10日の午後7時半に須磨シーサイドパークにファンを集めるという情報が入ってきた。11月のミナリナ二人芝居『オフィーリアの夢』のポスター撮影地見学という名目だが、本当の撮影地が琵琶湖東岸だということはつかんでいるだろうし、時間も不自然だ。おそらく、大阪と松江のミナファンを結束する意図なのだろう。

対抗するリナファンや、興味本位の中立派も須磨に向かうという。

自分が出演した『バッチリ!』や『ふたりのアンナ』の乱闘シーンが頭をよぎった。


3日ほど前に、ハクたんから里奈に須磨に来ないか打診があった。


Hakutan 〉〉新倉里奈 ハクたんです。リナファンが須磨でチーターさんを糾弾するようです。ミナ派とリナ派の対決を見物しようという人もいます。もし来られるならご案内しますので、合図にお菓子の写真をブログに載せてください。
[9/7 18:11]


 最初は須磨に行くつもりはなかった。ファン同士のトラブルに関わることは、事務所からも止められていたし、自分としてもすべきではないと考えていた。

その一方で、こっそり様子を見るだけならいいだろうという気持ちもあった。

結局、稽古場で買った丸い一口アイスに、たまたま珍しい星型が混ざっていたのを理由に須磨行きを決め、ブログにアイスの写真を載せた。

今朝のハクたんのコメントを見ると、里奈の合図は伝わったようだった。


Hakutan 〉〉新倉里奈 ハクたんです。合図承知しました。須磨では4人で安全にご案内します。変装をよろしくお願いします。

[9/10 09:42]


時計を見ると午後7時を過ぎていたが、まだ名古屋も過ぎていなかった。現地に着くのは8時半近いだろう。元々7時半には間に合わないつもりだったが、里奈が到着したときにどういう状況になっているか不安だった。

美奈も来てくれたら、と少し期待してメールを入れてみた。

返信はすぐに来た。


[美奈、今夜はうちにいる?]


[今夜は親と出かける。]

[別の日にできない?]

[無理。今日済ませたいことがある。]


 次の日に野外ライブの仕事があるので、美奈も今日のうちに済ませたい買い物があるのだろう。無理に付き合わせるわけにはいかなかった。

里奈は一人で行くことにした。行って何もなければそのまま帰ればいい。


 新神戸までの時間は長かった。目を閉じて仕事のことを考えるように努力した。

 やがて、新神戸に到着する車内アナウンスが流れた。里奈は、帽子と伊達眼鏡にマスクで変装した。

 このとき、里奈がツイッターをチェックしていたら、ハクたんからのとんでもない報告を目にしていたはずだが、そのことを知らないまま駅に降りた。


 里奈が新神戸駅の改札を出ると、声をかけられた。

「リナさん、こっちです。」

 声の方を見ると、チューリップハットに銀縁眼鏡のハクたんが手招きをしていた。

 里奈は、ハクたんに案内されるままにタクシーに乗り込んだ。ハクたんは、タクシーで里奈の隣に座るのを遠慮し、運転手に頼んで助手席に座らせてもらった。

ハクたんが携帯で仲間に連絡を取っている。

里奈はあくまでも隠れて様子を見るつもりだった。自分がリナファンにテコ入れすれば、ミナファンとの対立が深まるだろうと思った。そのことは、タクシーの中でハクたんにも伝えた。

ミナリナは、十年以上もの間、ファン一人ひとりを顔や名前を覚えるくらい大切にしてきた。そのファンがバラバラになって争っては、今まで築いてきたものが崩れてしまう。それだけは避けたかった。

その一方、ミナとリナが別の仕事をしているのに、ファンには一つでいてくれと言うことの矛盾も感じていた。

窓の外の流れるネオンや街路灯を見ながら、答えのない疑問を自分にぶつけていた。

ほんの10分ほどの距離がとても長く感じた。


 須磨シーサイドパークに着くと、そこにはきゃんべらが待っていた。

「リナさん、こちらです。」

「私が来たことは伏せてもらわないと・・・」

「承知しています。安心してください。」

浜辺近くに行くと、季節はずれの夜とは思えないほど大勢の人たちが集まっていた。暗いのでわかりにくいが少なくとも二、三百人はいるだろう。離れて見ている人の固まりを合わせるともっと多い。騒いではいない。

里奈は、帽子を目深にかぶり、ハクたんときゃんべらに前後を守られて、薄暗い公園の中の人ごみを掻き分けていく。途中でカナブンも合流した。群衆の中にはリナと気付く者もいたようだが、黙って道を空けてくれた。

人の塊の真ん中に近づくにつれて、みんな静かに耳を澄ましていた。誰かが演説をしているらしい。チーターの声ではない。嫌な予感がした。

最前列にいたランラン大王に場所を空けてもらって、里奈は演説している人物を見た。思わず声を上げた。


〈つづく〉