先日、娘の人工内耳の手術をしました。

前日の9時から絶食、飲み物も朝の6時半から禁止だったので空腹や喉の渇きで泣きはしないかと不安でしたが、朝8時半からの手術だったので待機時間も少なくスムーズにいきました。

 

 麻酔が効くまで手術室に付き添いが出来たので、手を握っていましたが、娘をストレッチャーから手術台に移動させる時に、背中の筋を痛めてしまいましたドンッなんでこのタイミング・・おかげでセンチメンタルな気分にもなる事なく、痛い痛い言いながら退場ゲロー

 

 麻酔から覚める時間も合わせると、大体12時半には終わるという事で、約4時間の手術。

人工内耳にする事には何の抵抗もなく、いやむしろ早くした方がいいヤロ!?と最短で手術日を決めました。先生方も信頼できる方々なので何の不安もありませんでしたが、手術中の待ち時間はなんとなく落ち着かないので、人工内耳を選択した親なりの理由や今の気持ちなどを手紙に書いていました。将来娘に渡す事にします。

 

12時前に呼ばれて、手術室にお迎えに。先生からの説明があり、手術はうまくいったとのこと。麻酔科の先生や主治医の先生、看護師の方など何人もの方が手術に関わってくださっているのを見て、こんなにたくさんの方が娘の為に頑張ってくれたんやなぁ、と思った瞬間ブワ〜ッと涙が出てきました。子供産んでから、泣き所が変わってきたよなぁ・・。

 

その後病室移動。麻酔が残って気分が悪そうでぐずっていましたが、痛くはないようで、痛み止めを足さずに手術1日目が終わりました。

私が学生の頃「五体不満足」という本がベストセラーになりました(年がばれちゃう真顔)。

著者は乙武洋匡さん、生まれつき両腕と両脚がない障がいを抱えながらも、屈託のない明るい性格と爽やかな容貌は、「障碍者はかわいそう」と思い込んでた当時のバカガキ私にとってはものすごい衝撃でした。

 

今でも強烈に残っているのが、乙武さんのお母様が乙武さんと初対面をした時。

彼のお母様は

「かわいい!」

とおっしゃったそうです。

 

手足がないというインパクトの強さより、母親として子供をかわいいと思う気持ちが勝つ。

凄いお母さんだなぁ、このお母さんだから、彼も立派に育ったんだろうな。

私も将来子供を持ったらこういうお母さんにならないといけないなぁ。と思ったのを今でも覚えています。

 

それから20年・・・

 

ここにつながったかぁ~~滝汗

 

不謹慎ですが、正直そう思いましたあせる

 

個人的な考えですが、親からかわいそうって思われるのって、子供にとっては一番きつくてみじめじゃないかな、って思います。

 

いつでも娘の一番の味方でいよう。

 

ああしていれば、こうしていれば、って考えてしまうけど、過去は変えられないから

これからできることを考えようビックリマーク

 

もう泣くのはやめよう。

(実際はこの後もしばらくメソメソしちゃうんですけどねガーン)

 

病院から帰る車の中で、いろいろ考えた。

耳が悪くても、補聴器あるし、それを使えば十分カバーできるんじゃないか、

あと、さっき先生が人工内耳?とかおっしゃってたな。打つ手はないわけじゃない、

というポジティブな考え。

 

途中まで確実に聞こえてたのに、今はほとんど聞こえていないってことは、防ごうと思えば防げた原因を私が見落として放置したからじゃないか。

 

私の見落としで、この子から聴力を奪ってしまったのではないか。

 

今後この子はどうなってしまうのだろう。

耳が聞こえないという事で、生きていく世界が狭まってしまうんじゃないか。

いじめにもあうかもしれない。

耳が聞こえないことで、諦めなきゃいけないこともあるかもしれない。

進学、就職、結婚はどうなるんだろう・・。

 

私がこの子から将来を奪ってしまった・・。

 

ネガティブな考えが次々と浮かび、叫びたくなる。

 

※この時考えた事は、難聴についての無知からいろいろとポイントがずれてたりすることもあったので、あくまでも当時の考えです。後々難聴について知れば知るほど一喜一憂することもあるのですが・・

実は、この少し前から主人から

「たぶん耳が聞こえてないと思う。一度検査に行った方がいい」

と言われていたんだけど、

どんぐりころころを歌ったり、ライブのDVDの音に合わせてアンパンマンギターを片手にノリノリの動画を撮っていたこともあって、

 

「そんなわけないでしょ」

と聞き流していた。

 

でも、日に日に大きくなる違和感に耐えられなくなり、それまでは

「今はつわりでしんどいからつわりが治まったら」

など先延ばしにしていた耳鼻科の予約をようやくとった。

 

個人の耳鼻科で検査をしたけどあまりはっきりした検査結果が取れなかったので

大学病院にいくように、と紹介状をもらった。

大学病院ではABRの検査をした。

 

検査が終わって診察室で結果を聞く時、診察室に入ると先生の後ろに2人別の医師が立っていた。

それを見て

 

「あぁ、検査結果がよくなかったんだな」

 

とぼんやり思った。

告げられた結果は、両耳100dBも聞こえているか危うい状態。

その結果を聞きながら、

なんで!?少し前まで歌ったり、音楽に合わせて踊ってたやん、と思う反面

あぁ、この半年間感じていた違和感はこれだったんだなぁ、と納得した。

 

帰りに車を運転しながら、

娘が大きくなったら一緒にライブに行きたいと思っていたのになぁ、

と見当違いの馬鹿みたいな事を思いながら少し泣いた。

2014年6月に長女誕生。

出産した産院では全員新生児聴力検査を受けることができ、結果は両耳パスでした。

 

3歳過ぎまで病気らしい病気もせず、身長体重も平均以上で、健康の心配をしたことが一度もありませんでした。

 

少し言葉が遅いかな?と思う事はありましたが、アンパンマンやバナナなど単語はたまに出ていたし、おかあさんといっしょを見て音楽に合わせて踊っていたし、

パパが言葉が遅くて、3歳まで一言も話さなかったそうなので、パパに似たんだね~、とのんきに笑っていました。

 

 

音に反応しなくなったのは、2歳9か月の時。

 

それまでふにゃふにゃながらも2語は話していたのに、喃語に後退。

ちょうど2人目を妊娠してつわりが始まった頃だったので、ちょっと早いけどこれが赤ちゃん返りかぁ、とのんきにとらえていました。

 

それから後ろから呼びかけても振り向かなくなったり、意思の疎通が難しくなってきたけれど

私の体調が悪いからそのせいで精神的に不安定になってるのかな、とか物事に集中して聞こえてないのかな、等々もっともらしい理由をつけて、違和感から目をそらし続けていました。

 

 

おかしいな、と本格的に思ったのは、何度呼びかけても振り向きもしなかった時。

無視している!と思わずカッときて、乱暴に娘の腕をつかんだ時、娘が泣き笑いのような顔をした。

 

その時に

 

「あっ、この子は無視してるんじゃなくて、理解したくてもできないんだな」

 

と確信した。

 

この時に感じた確信と、同時に感じたわからない子に対して感情的になった罪悪感は

多分一生忘れられないと思う。

 

 

3歳の娘、0歳の息子、9歳のフレンチブル女の子のおかーさんです。

娘は新生児聴覚検査ではパスしていましたが、3歳前から言葉が退行して半年後の検査で高度〜重度難聴が発覚しました。主に長女の事、犬の事について書いていきたいと思います。