ダイエットを始めて9か月目に突入した。
とても成果を公表したいけど、恥ずかしくて言えない。
例えば5キロ痩せました、ぐらいならまだ言えると思う。
でも、そんな数字がかわいいぐらい私は痩せたし、
これからも痩せる予定だ。
目標は、今まで減らした倍の体重まで持っていくことだ。
ダイエットを始めた切っ掛けは、すごく辛いものだった。
異性から嫌な態度を取られたから。
目の前に立っているのに、目線すら合わせてもらえなかった。
大学生の頃、失恋でダイエットをして8キロ痩せたことがある。
今はそれ以上痩せた。
ダイエット本を出版出来るのではないか?というほど痩せている。
ダイエット当初は自分の生活習慣の見直しから食生活の見直しをするのに
すごく苦労した。
オートミールを二食食べて、BASEブレッドを食べて、間食はおにぎり2つ。
そんな生活を毎日続けていた。
今思い返してみると辛かったかもしれない。
でも、その生活が続いていた時は辛いと思うことより体重が変化していくのが
すごく楽しくて、むしろ楽しいと思えないと努力が続かない気もしていた。
今も、楽しいと思う努力はしている。
ただ、同じ食生活をして同じ運動をする毎日は送らなくなった。
私は、小学生の頃からスポーツが好きだった。
スポーツに目覚めた切っ掛けは、徒競走やリレーでいつも一番を取っていた思い出ではなくて、小学校6年生の頃に出会ったハードル走だった。
正直、全国区になってみると校内で一番足が速かった私でも一番速くはないのだろうという現実は受け止めていた。
それに、思春期はかなり早くて、早かったが為に終わるのも早いのではという思考も幼いながらになぜかあったのだ。
実際、6年生になってみると背が後ろから2番3番に高かった私もどんどん抜かれて行ってしまった。
それでも、中学校へはハードル走が出来る所へ進学したかったぐらい
ハードルに魅力を感じていた。
なぜなら、障害物があることによって必ずしも一番足が速い人でなくてはならない必要は高くなくて構わないと思ったから。
それよりももしかしたら、自分の『走る』ことに対する固定観念が覆った衝撃が、
心に強い刺激を与えたのかもしれない。
練習すればするほど、すごく魅力にはまった。
結局、私は親からの反対で陸上競技が出来る中学校へは進学できず、
家から近いアットホームな中学校へ進学した。
あの時感じた刺激の向こうに進むことが出来たなら、どれだけ自分の人生が
変わっていたのかは分からない。
当時は無限大に近いぐらい、色んな可能性を秘めていて、
大人からも期待を寄せられた。
しかし、期待をされていたのも分かっていたからすごく窮屈だったし、
何より殻を破っていく自分の姿に正直になっていきたかったのに
もっともっと自分を鎧に包んでしまったような気がする。
あの頃、自分の信念に忠実になれていたら、どんな自分になっていて、
どれだけの夢を実現できていたのか?
だが、こうしてダイエットにひたむきになれている自分ももしかしたら
叶えられなかった『夢』とか、『我慢』してきた何かがあってこそだったのかも?
と、ふと考えてみたから、今日こうしてブログにしたためてみた。
それが夢に向かうプロセスの為の努力ではなかったかもしれないし、
もしかしたら大人から寄せられていた期待と自分の迷いを反映させた
パフォーマンスだったかもしれない。
けれど、何にも繋がらない闇雲で孤独な努力をしてきたから
実っても何もならない為の夢に向かう覚悟を持って今生きている気がしている。
私は羽ばたけなかった。
未だに殻に閉じこもっているのかもしれない。
でも、長いこと殻に閉じこもっているのはなかなかに窮屈すぎてしまった。