今朝、6時45分。


有給を取っていたし、風邪をひいていた為、ゆっくり寝ているつもりだったのに、目が覚めてしまった(・ω・)



そのままダラダラしていたら、弟から電話が…。


滅多に電話をしてくることは無いので、鳴った瞬間、伝えたいことは分かっていた。

“その時”は、わたしの起床時間だったらしい。


不思議なものです。


そして、まだ実感がわかない。。。



上を向いて歩いて行こう-101231_165923~000.JPG



祖母は会う度に、戦時中の満州での体験、そして、祖父との出会いについて話してくれた。



たった1人、息子達を連れて逃げ惑い、大変な苦労をしたこと。


食べるものもままならず、栄養失調で2人の息子を亡くしたこと。


食べ物に困らない、今の時代がいかに幸せであるかということ…。


満州の話をする時は、いつも苦しさと切なさが入り交じるような表情をしていた。


何十年経っても、その時の思いは薄れることは無かったのだろう。





そして、それとは反対に、話す度に頬を赤らめていたのが祖父との思い出。。。



祖母は化粧を欠かさない人だった。80歳を過ぎてからも、常に時代に合ったメイクをし、いつもきちっとしていた。


髪も、染めていないのに黒々していた。


鼻が高く、目は二重でパッチリしていて、どこか日本人離れな顔。


晩年でもそうだったのだから、若い頃は相当な美人だったのではないかと思う。


(残念ながら、写真はなかったが。)


そんな祖母は学生時代、隣接する県に行った際、祖父に出会ったらしい。


祖父は祖母に一目惚れキラキラ


何十通も祖母にラブレターを送ったらしい。


そして、めでたく祖母のドキドキを射止めた。


そこまで熱烈に愛されていたなんて羨ましいな(笑)


祖父はもう、20年以上も前にこの世を去ったけれど、祖母は95歳でこの世を去るまで、美しくいることを怠らなかった。


毎朝、仏壇に手を合わせることも欠かさなかったようだし、常に祖父がそこにいるような気持ちでいたのだろう。


同じ女性として、見習わなきゃいけない
あせる


厳しかったし、息子達を溺愛していたので、嫁達はかなり困っていたようだけれど(笑)


戦時中に亡くなった息子2人を含めると、7男1女を産み育てた祖母。


先に旅立った、祖父、そして息子達4人と今ごろ再会しているのだろうか。


明日、最期を見届けに帰省する。


キレイにお化粧して貰えているだろうかキラキラ


長い、長い人生。


おつかれさまでした。