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気賀沢昌志のブログ

雑誌や書籍の編集・執筆、たまーにシナリオを担当させて頂いております。
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 ――ドッグマン。

 

 ミィは中原に氷のような視線を向けながら、その忌わしい名を口にした。それはドス黒く、まとわりつくような執念を持ち、中原ただひとりを罵る呪われた言霊だ。怒り、絶望、憎しみ……ありとあらゆる負の感情が渦を巻きながら自己を持ち、まるで巨大な怪物にでもなったかのように中原を飲み込む。彼にとっては罪人の枷と同じだろう。

 

 ある幹部は、過去の裏工作を中原に暴露され身柄を拘束された。DPUで築き上げた輝かしいキャリアも冷たい鉄格子の中では無意味である。すべてを失い、自らの命でさえ狭い独房で散らせたのだ。残ったのは、天井からブラ下がる惨めな肉塊だけ。その幹部は中原のかつての上司であった。

 

 またある上級職員は、故意に情報を漏らしたことが明るみになり失脚した。そして国外逃亡を企てた末に、空港内で警官隊に包囲されたのだ。無論、中原の執念深い調査の賜物である。

 

 彼は自分を取り囲む冷たい銃口を睨めつけながら、現場に駆け付けた中原にこう言い放った。「今度は誰に尻尾を振ったんだい、野良犬くん」と。それから色を失った自らの世界を嘲笑しながら頭を撃ち抜いたのである。彼は、中原に仕事のイロハを教えてくれた先輩調査官であった。

 

 私情を挟むな……それは、かつての上司が教えてくれた言葉。最後までやり切れ……それは、夕食に招待してくれた先輩調査官が、彼の奥さんの前で中原を励ました言葉。だから彼は、ためらわない。

 

 中原の脳裏には、これまで唾と共に吐き出された数々の悪態が蘇っていた。まるで封印を解く鍵のように、埋めたはずの記憶を掘り起こす言葉……ドッグマン。しかし今更、衝撃など感じない。彼は目を細めながら平然と呟く。「そのあだ名、久しぶりに面と向かって言われましたよ」と。

 

「ちょうどいい機会ですので、お互い腹を割って話しませんか、中原捜査官。パートナーとなる以上は一定の信頼関係が必要ですが、今の私たちにはそれが欠けています」

 

 ミィの言葉が本心だとは、中原にはとても思えなかった。彼女が提案する“儀式”はパートナーになるためのものではない。彼女が知りたいだけなのだ。中原がここへやって来た、本当の理由を。

 

「あなたはただの監視役でしょう? それに僕は一匹狼が性に合っています」

 

「一匹狼? ……狼とは、食肉目イヌ科イヌ属の哺乳動物のことですね。なるほど、さすがですドッグマン」

 

 やはり、と中原は納得する。

 

「しかし……腹を割るのは賛成ですよ、ミィ捜査官。ですから教えて下さいませんか。あなたが敵対心を覗かせるのは、野比元捜査官のことがあるからですね?」

 

“野比元捜査官”……その名が中原の口から放たれた瞬間、言葉に射抜かれたミィが眉を小さく跳ね上げた。それから2秒間の沈黙。

 

「……なぜ、そう思うのですか?」

 

「“ファイルN”にアクセスを試みたのは僕ですからね。まあ……ブロックされましたけど」

 

「ファイル……N?」

 

 ミィが惚けているのは明らかだった。彼女はDPUを統括する時空管理局の連絡員だ。剛田本部長でも知らない機密にアクセスできる立場として、中原が本当に「ファイルN」の存在を知っているのかどうか試しているのだろう。それは彼女の探るような眼差しが雄弁に語っている。だから中原は、上杉がまだ隣の尋問室にいることを確認してから手の内を明かした。

 

「ファイルNは、野比元捜査官の個人データと、彼が引き起こしたとされる、新宿中央公園でのテロ事件について調査したファイルです。彼はあの事件で死んだと報じられていたが、実は生存し、どこかに潜伏している。反逆罪に問われ、確か……射殺対象でしたっけ? かつてのエリート捜査官も今じゃ大悪党だ。……まだ続けますか?」

 

「結構です。それにしても……こうも素直に不正アクセスを自白するとは思いませんでした」

 

「生憎と駆け引きが苦手でしてね。腹の探り合いなんて、派閥争いに熱心なお偉いさんがやることです」

 

「あなたも出世のためには手段を選ばない人でしょう? だからドッグマンと呼ばれる」

 

「そう呼びたい人がいるだけです。しかしこれで分かりましたよ。どうやら僕たちの相性は最悪のようだ」

 

「相性最悪のコンビですか……なるほど、その意見には同意します」

 

 そこではじめて中原は、緊張を解いて笑みを浮かべた。

 

「ミィ捜査官はすでにお見通しかも知れませんが、僕がここへ来たのはファイルNにアクセスするためです。あれはレベル5の機密アクセス権があり、なおかつ本部の認証があってはじめて閲覧ができる機密情報だ。上杉執行官の調査という名目でもなければ、レベル5のアクセス権なんて、今の僕には与えられませんからね」

 

「野比元捜査官の事件を掘り返してどうするつもりですか?」

 

 今度は中原がミィの反応をうかがう番だった。打ち明けるべきか、誤魔化すべきか。すると彼の態度を察したミィは、彼女の手の甲を展開すると、内部に収納していた小型チップを摘みあげた。

 

「ファイルNの全データをコピーしたものです。場合によっては、このデータを差し上げてもいい」

 

「――本物ですか?」

 

「データベースにあるファイルはダミーです。あなたのように野比捜査官を辱めようとする人間が多いので、私が管理しています」

 

 中原は逡巡したようだが、すぐにミィの澄んだガラス玉のような瞳に視線を据えた。そして背後の機材に寄りかかり、楽な姿勢を取ってから、おもむろに腕を組む。

 

「――いいでしょう。例えそれが偽物でも、小煩いロボットを黙らせられるなら乗ります」

 

 そして茶化すように薄い笑みを浮かべてから、また元のポーカーフェイスに戻った。

 

「あの日……白昼の新宿中央公園で起こされた爆破テロは未曽有の惨事をもたらした……。死傷者は数十人、周囲1キロに渡って時空の裂け目が発生し、今なお収束せず、現場はシェルターと呼ばれるドームで完全に覆われている。その悲劇の原因を作ったのが野比元捜査官だった……」

 

「私も捜査官として現場にいました。時空に飲み込まれて四肢が引き裂かれた人……。木々と融合して苦しそうに呻く人……。まるでスライムのように、ドロドロに溶け合った夫婦……。でもそれは野比さんのせいではありません」

 

「……当時、ミィ捜査官は野比元捜査官のパートナーでしたね。でも現場に到着して間もなく、手分けして人々の退避誘導にあたったとか」

 

「ニュース報道ですね? あれだけの広さをカバーするには、人員を散らせるしかありませんでした」

 

「問題はその後です。あなたは結局、野比元捜査官と合流することなく悲劇を目の当たりにした。報道では野比元捜査官がテロ組織に合流し、爆破させたと伝えられています。しかし真相は闇の中。野比元捜査官は失踪しているし、いつ、どこで起爆したかも明らかになっていない。そもそも本当に爆弾だったのですか? 時空を断裂させるほどの爆弾など存在するのですか?」

 

 だがミィは沈黙したままだ。

 

「本当は何があったのか……僕はそれが知りたいんです。そしてそれが野比元捜査官のしわざなら、彼に罪を償わせる――」

 

 そう言って中原は、ミィの手からチップを奪おうとした。だがその手は空を切る。

 

「……その言葉が本当なら、このデータは渡せません。私は野比さんを信じている。野比さんの潔白を証明するためなら喜んで手を貸しますが、そうでないなら、あなたは私にとって“敵”です」

 

「やはりミィ捜査官、あなたとは相性が悪い……」

 

 そう言って中原は、唐突にミィに飛びかかった。目当ては彼女の手の中にあるチップだ。しかしミィは素早く反応し、身体をひねって軽々と突進をかわす。モニタリング・ルームは狭く、間合いも詰めやすいが、乱闘できるほどのスペースまではありはしない。スチール製の椅子を蹴飛ばし、周囲の機材にぶつかりながら、2人は小指の先ほどのチップを奪い合った。

 

 そんな中で先に状況を制したのは中原だった。彼はミィに掴みかかると、一瞬の隙を突いて身体を宙に跳ね上げる。そしてモニタリング・ルームの壁を蹴りつつミィと位置を入れ替えた。焦ってももう遅い。中原はミィの膝の裏に蹴りを入れると、彼女の体勢を崩しにかかる。

 

 気付くとミィは床に組み敷かれ、馬乗りになった中原に上半身を押さえ込まれていた。両腕も、彼の太い内腿にしっかりと固定されていて肩から上に持ち上げることができない。完全なお手上げ状態だった。

 

「僕が不正アクセスをしてまで事件の真相を探る理由が知りたいんですよね、ミィ捜査官。ならば教えてあげますよ」

 

 中原は馬乗りになったまま、威嚇するように顔を近づける。

 

「僕はあの日、いたんですよ……現場に。そして両親が時空断裂現象に巻き込まれてドロドロに溶けるのを目の当たりにしたんです」

 

「…………!」

 

「あなたは事件の後、情緒不安定になり感情抑制の処置を受けさせられたと聞きます。そこまで野比元捜査官を慕っていたのは理解しましょう。でも、もしもあれが彼の仕業なら放ってはおけない。絶対に……」

 

 ミィは無言だった。ただ感情のない瞳をまっすぐ向けるだけ。中原も彼女に馬乗りになったまま、ミィの次の言葉を待つ。そんな重苦しい空気を払ったのが上杉だった。

 

 彼は尋問室から顔を出すと、「2人とも、ちょっと」と手招きする。そして只ならぬ雰囲気を漂わせている中原とミィを横目で見ながら、中原に「手が早いですね」と囁いた。

 

「まさか」。反応する中原に、ちゃっかり会話を盗み聞きしていたミィも同調する。「最悪の相性です」と。その勢いに、上杉は弁解の言葉を探した。

 

「僕には気が合ってるように見えますよ。こういうの何て言うんでしたっけ、ええと……」

 

すると中原とミィは声をそろえて「“ウマが合わない”ですよ」と言った。

 

 

……つづく。