「コード・レッド! 総員、戦闘態勢! コード・レッドだ!」
停電し、闇に包まれた作戦フロアに、剛田本部長の声が稲妻のように轟いた。しかしアナリストはもちろん警備スタッフも事態が飲み込めず、緊急事態を意味するコードが発令されてもなお、その場を動けずにいる。具体的な脅威が感じられない、このような状況では仕方のないことだ。しかし中原だけは剛田本部長の意図を理解していた。
「銃は?」
上着を脱ぎ、ネクタイの首元を緩める中原に、上杉は緊張感のない声で「はい?」と聞き返す。
「銃です。まだ支給されていません」
上杉はなおも戸惑いを隠せずにいたが、中原の緊張した声で脊髄反射的に「それなら……」と反応した。「このミーティング・ルームは緊急時のシェルターを兼ねています。装備一式も、そちらの壁に収納されていて……」
そうしているうちに橙色の非常灯が目覚め、僅かながらも周囲の闇を払った。ホッと表情を緩める職員たち。そこへ、ドタドタと激しい靴音を立てながら、武装集団が通路側から雪崩れ込んでくる。
ガガガガガガガガ……!
自動小銃のマズルの火花が、橙色の薄明かりを引き裂くようにパパパッと周囲を照らした。その刹那の灯の中、まるでストップモーションのように浮かび上がったのは、次々と倒れていくアナリストたちのシルエット、腰の拳銃に手を伸ばす警備スタッフ、骨川管理官を背中で守りながら「パン、パン、パン!」と応戦する剛田本部長の姿だった。
作戦フロアはたちまち混乱し、銃弾が激しく飛び交う戦場と化す。流れ弾にやられた機器から立ち上る黒煙、火薬の匂い……。ここだけではない。おそらく施設のあちこちで同様の攻撃が行われているはずだ。その証拠に、どこかでまた爆発音がした。
「どうやって!?」
壁に備え付けられたコントロール・パネルを操作しつつ、上杉がうわずった声を上げる。
「“ドア”だ!」
中原は動作音が聞こえた壁面へと駆け寄り、上杉がロックを解除するのを待つ。しかし上杉は動転しているのか、エラーメッセージを何度も表示する操作パネルと格闘していて、なかなか収納ラックが開かない。まだか、まだか……!? 焦る中原と上杉をあざ笑うかのように、操作パネルは「ビーッ」と警告音を発し、ロック解除の要求を跳ね退けた。
ミーティング・ルームで異変が起こったのは、まさにそんな時だった。何もなかったはずの空間に、突然、扉が出現したのだ! そして間をおかずに、濃いグレーのプロテクターを装着した兵士が、自動小銃を構えてヌッと姿を現す。ヘルメットにゴーグル、酸素マスクを装着した無機質な姿……。そのいでたちが、彼らの不気味さを一層強めている。
「執行官!」
中原は上杉に警告を発しつつ、パネルを開くよう急かせた。なぜなら兵士はひとりではないからだ。“ドア”の向こう側にいくつもの人影が蠢いている。それなのに「ビーッ」。システムは頑なに、正しい手順を要求し続けた。
「……どこに隠した」
低く唸るように、兵士が上杉に迫った。言葉の意味を理解できずにいた上杉ではあるが、わずかな沈黙が命取りになることを知っていた彼は、咄嗟の思いつきを喉の奥から絞り出す。
「……お前たちの仲間か? それなら尋問室に……」
「どけ!」
出入り口の側で叫んだのは剛田本部長だった。彼は「……パン、パン、パン!」。兵士を素早く撃ち倒すと、中原に「“ドア”を閉めろ!」と命じる。
中原は身体ごと“ドア”にぶつかり、その扉を強引に閉じようとした。しかし彼が行動を起こすより早く、“ドア”の向こう側にいた若いテロリストが苦々しげに「チッ」と舌打ちする。そして絶命し、床に倒れ伏した兵士を手早く“ドア”に引きずり込むと、扉をバタンと閉じた。後には何も残らない。“ドア”ごと消失したのだ。しかしそれで終わりという訳にはいかないだろう。現に作戦フロアでは、今なお銃撃戦が続いている。
「……引き上げた?」
呟いてパネル操作の手を休める上杉に、剛田本部長が「まだだ」と短く答えた。そして骨川管理官を室内に迎え入れると、追いすがる侵入者を一発で仕留めてから、防弾ガラス製の扉をロックした。
剛田本部長はどうやら、ここで骨川管理官をかくまうつもりらしい。なにしろ施設内はどこも戦場だ。要人の安全確保を優先するならミーティング・ルームが一番だった。
「執行官、骨川管理官にここのシステムの扱い方を教えてやってくれ」
ようやく上杉が銃器収納ラックを解放したのを見届けて、剛田本部長はそう命じた。上杉も骨川管理官もその意図が分からず目を見合わせていたが、それでも「いいな」と有無を言わさぬ迫力で押し切られて疑問を飲み込む。そして剛田本部長は銃器収納ラックまでやってくると、上杉や骨川管理官と充分に距離を取ったことを確認してから中原を手招きした。
「お前が噂の“新人捜査官”か。話は聞いている」
「中原です。よろしくお願い……」
「よせ。……それより、誰なんだ」
収納ラック内の銃器を点検するフリをしながら、剛田本部長は、上杉と骨川管理官に聞こえないようボリュームを落とす。
「連絡は“上”から受けている。だが誰が“対象者”なのかは機密扱いだ。この攻撃はそいつの手引きだろう?」
それに対して中原は表情を崩さず、ぴしゃりと断った。「それをお話できる立場に、僕はありません」と。
「お前さんの本来の職場ではそうだろう。だが今は俺の部下だ」
「しかしそれは規則で……」。言いかける中原の言葉にかぶせるように、剛田本部長は断言する。「お前のものは俺のもの。情報を渡せ。それがここのルールだ」。
それでも中原は譲らない。気後れすることもない。微動だにしない瞳を見れば意志の強さがわかる。「どの部門であろうと、アクセスする権利がない限りはお答えできません。それが例え、内閣総理大臣であってもです」。融通のきかなさはまるでロボットだ。そして言い放つと同時に、銃器がみっしりと並ぶラックから拳銃を1丁と、予備のカートリッジを手に取った。
「……交渉決裂か」
剛田本部長は薄笑いを浮かべていた。……答えは最初から分かっていた、とでも言いたげだ。
「それなら仕方ない、こちらもキミに監視をつけるとしよう」
「……監視?」
「ああ。俺にとても忠実で、お前みたいに融通のきかない頑固者だ」。そして出入り口の防弾ガラス製のドアに視線を移した。
防弾ガラスの扉の向こうで銃撃戦を繰り広げていたのは、若く、まるでマネキン人形のような女性だった。先ほどまで見かけなかったことから察するに、施設内のどこかから駆けつけたのだろう。捜査官らしい目立たない色のスーツ姿に、サラサラとしたブロンドを後ろで束ねる赤いリボン。目鼻立ちが整っており、笑みを浮かべたら、きっと男も女も目を奪われるに違いない。
しかし彼女は決して表情を変えなかった。同僚だった職員やアナリストの骸を前にしても、そして自らの頬を銃弾が掠めても、ただ黙々と拳銃のカートリッジを交換している。しかもまだ息がある襲撃者に、何のためらいもなくとどめの一発をお見舞いした。
中原がロボットなら彼女もまたロボット。自分の世界を持っていて、誰も干渉することができない。そんな彼女を眺めながら、剛田本部長は中原に告げた。
「彼女は野比捜査官……このユニットのエースだ」
……つづく。