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新しい本をよむ時、だいぶ迷路に迷い込む。
それでも、新たな問いはまた元の場所に戻るとき、考えを強化してくれる。
私はどうしたいか、という内発的情動が起きるときである。

一冊の本もあれこれ語りかけてくる。同じことは言わない。
多様な視点をくれるからこそ、迷いに迷うのである。その中で最終的判断がくることはなく、
なんとなくその時々で感じ方や思考経路がちがってくる。これが面白い瞬間である。

考えてみると、自身の長年の葛藤は、こういうことだったのかもしれないな、と思う。
回りに回って自分の意志が強まる経験、これは、いてもたってもいられない秘めていた衝動的なできごとが爆発的に起きる。

こういう思いにあえて抗わない方が、個人的人生にとっては、幸福なのであるかもしれない。
最近よく聞く「空気感」というものにあまりもたらされることなく、分離することなく。自己中心な捉え方は、せめて自由であってもいい。人間味のある偏った判断もまた、生きてる材料として忘れたくない欲望である。

ページを好きに行ったり来たりするたのしさも。


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ここしばらく数冊の同じ本を読み続けている。

伝わってくるものがなんとなくおなじ匂いがするからである。

「アルケミスト」「ニーチェ」「中動態の世界」「暇と退屈の倫理学」

世間体が占めてしまうと、惰性的な人生になっていく、という主題を受け取りつつ、内心、身体と密接するように、意識も小さく動き始めるのである。


「アルケミスト」で言えば、“前兆”が夢を紐解いていくことになる。

これは、夢で見ることも感じる。フロイトの夢診断のように、最近同じ夢を頻繁に見るのである。心理的に抵抗のある部分で自己に意識させようとしているのかもしれない。不快、傷心、恐れを取り払い、快に向かって変換する。


可能であったはずのことを不可能として終えてしまうこと。

例え挫折や痛みの伴う経験となったとしても、

最善を探して、行動すること自体が悦びであるのではないか。

これを肝に銘じたいものである。



《本日の本》

オルテガ「大衆の反逆」を振り返る。

表紙の言葉がよけいに突き刺さるのである。