近ごろは、日中が14℃前後まで上がる。
外へ出ると、まだ肌に染みるようではあるが、部屋の中にいると、心地よい。日射しが、暖かい。
近ごろ読んでいた、養老孟司氏の書籍を読み漁っていると、「自然」や「行動」について、関心が芽生えるようになった。
たとえば、暇さえあれば、よく書店へ行く。
理由は、気になる本を見つけてしまったから。
以前から知っていたけれど、ようやく読んでみたくなった本だったり、偶然見つける本だったり……。
ページをサラリとめくりながら読んでみると、購入をするか否かは、けっこうすぐに決まる。
すでに自宅にある多くの作家たちの哲学書だったりすると、せっかくならもう一度読み直そう、ということに至り、いったん保留にしてみたり。
ニーチェ、ソロー、その他哲学者たちーにとって、「歩く」ということは、身近なことであったらしい。大きくいえば、「動くこと」は、大いに人生に役立っていたことが感じられる。
「スポーツ」と「歩く」という「動き」の違い。形式的なものと、自由に感じ取れるもの。
世の中にある多様な生活様式や動きのちがい。
ある著名人が、「行動はウソをつかない」と言っていたのを思い出す。いまは、言葉が、おおきな力に変えてしまうことだってある。けれども、実際は、「行動」から学ぶことが、大事だということを言いたいのではないだろうか。
そうすると、「動き」というのは、「個性」とも言えるのではないか、と思えてくる。
音楽を聴くときのリズム感覚のように。どこかで、オンとオフのスイッチが切り替わる瞬間。
いつの間にか、社会の中で動かされている規範のなかに見つけだす、やすらぎの時間。それは、個人的な技術やたのしさ、捉え方という理屈を超えた生き方が含んでいるはず、なんじゃないか。
そういうことは今まで考えてもいなかったが、偶然動いていく日々のなかで、なにかによって動かされているだけ、と使いたくなる。
養老孟司氏の本は、読んでいて、「なんだ、そんな具合か」と、肩の力が抜ける。軽やかさが感じられる。そういう本には、どこか生きていくための大切な「秘けつ」があるのかもしれない。
そういった「行動」は、ほかの趣味でも感じられる。
近ごろ、春が訪れ、園芸も盛んになり始めている。いつも行った後に思うことだが、ほんとうに身体に疲れがない。むしろ、軽くなっている、と感じるほど。
ただ、自然と触れ合って無心で行う。好きに庭いじりをしながら、目についた部分を手入れしていく。すると、ほかの部分も自然に目が行き届く。その繰り返しによって身体を使い、整理され、感化される。そんな自由さがある。
料理もである。
子どもたちにおやつに作っていると、ふと幼少期を思い出す。
「お菓子づくり」は、小学生の頃から好きだった。とにかく、暇さえあればお菓子づくりをした。失敗しても、また、作ればいい。でも、次はもっとうまく作りたい。
そんな気楽さと熱心さ、があった。
家族をもつようになり、「おいしい」と言いながら食卓を囲むのはいいな、と思うようになった。
料理やお菓子づくりに関してだけは、今も、褒められることかもしれない。
息子たちも、「おかあさん、いつの間につくったの?」と驚かれるほどの手際のよさと器用さがあるのかもしれない。以前から若干思っていたが、近ごろ余計に思い始めてきた。
最近は、ベーグルづくりをたのしんでいる。
理由は、たまたま作ってみたら、おいしくて、子どもたちも珍しく「お母さん、ベーグル屋さんできるよ!」と言ってくれた。製菓衛生師と食品衛生師も資格を持っていること、しかも、勤めていたこともあり、そのひと言をよけいに真に受けたりする。
しかも、周りにおすそ分けをすると大好評。「おいしかった!またつくって」のラブコール。そういうできごとを経て、ベーグルづくりがすっかり日々のたのしみになってしまった。
なんでか分からないが、カラダが自動的に動いていくー。そんな感覚がする。「身についていく」とは、こういうことなのかもしれない。
在るものの中から自分の手で、あたらしく「生み出す」瞬間。「ものをつくる」こと。
それは、生きていくために必要でもあり、たのしみにもなる。そういう要素があると、「生きがい」が訪れてくるのだな、とふと思う、このごろ。





