暴風雪の音が家のあらゆる箇所を叩くように響き、
そういった恐怖心からなかなか寝付くことができない。読んだ本と自分の思いを巡らしながら、寝つくこの頃。
ここ数日、籠る生活である。
雪が降る中で、用事以外、家の中に籠るしかない日には、
外側と遮断されたかのような気になる。
それでも部屋の中から眺める陽射しの加減の移ろい、
特に、強まる時の雪化粧は、なんともいえない。
これも、徒然草の一三七段を思い出す。
春の室内に引き籠もり季節の進行を知らないでいるのも、やはりしみじみとして情趣の深いものである。
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結局、「徒然草」一冊を何度も往復して読んだが、
また、感慨深いものがあった。
今の生活に感じられる季節の感じ方や、
ありのままを受け入れる様は、落ち着く。
もう一冊、「フォンターネ 山小屋の生活」を読んだ。
ちょうど同じように寒く、雪の降る時期にちょうどいい。
著者は、30歳の頃、日常で書くことができないほどの無虚感に襲われ、
アルプスの山小屋での暮らすことに決める。
そこは、人にも出会う機会も少なく、
四季折々の自然の変化や村の歴史を感じながら、
黙々と自身と生活と向き合う簡素な生活…。
そんな生活の中で、
結局、人恋しさゆえに他者との関わりを持ちながら、
山小屋での生活を送り、かつ、
これまでの人生を想起するように自分自身とも向き合う姿は、
ライフワークバランスの調整する過程での
重要な喜びや苦悩を綴られているように見えた。
読んでいると、
同時に、読む側も自身と向き合わざる終えなくなる、
そんな感覚になる。
自然と一体になっている感覚は、
日本文化としても馴染み深い、からだろうか。
古典文学や、歴史をさかのぼっていくと、
日本が自然と共存しながら生きる風情を大事にする
本質的な暮らしの豊かさを見出してきたことを感じざる終えない。
なにかに例え、意味を見出し、生きる価値を見つけていくー。
同時に、本や小説などの物語を読んでいるときにも、
そういった思いになる。
物語性に浸りながらも、内面的にいろんな解釈が生まれてくる。
それは、著者個人から、また読者個人へと結び付けられていく、
そういった個々の意識の情報を伝う相互関係を繰り返し、
多種多様な変化、社会を生きているわけなのだな…と。
というわけで、
「枕草子」も読む。
朝日がのぼり、日が沈むまでの
一日での物事の向き合い方、昼と夜が来るまでの中にある自然の動きと共に、
一喜一憂される、喜びや苦悩が綴られている。
日記、物事への見方、自由な随筆など、
生活様式は変わっても、
基本にあるものは変わりがないからこそ、
現代にもわたって、読み続けられているものがあるのだろう。
世の中を自己を通して体感してみることは、
同時に、自分自身の人生と向き合うための陰と陽として、
常に結びついているのではないか。
そんな思いがしてくる。


