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奇妙な家族の奇妙な内乱。
始め舞台になった床の白いテカりがあまりに白くて光が役者が反射する作用まで計算されたヴィジュアルにやられ、更に剥き出しの内面を全員が削り合いみっちーさん含め恐ろしい事。「アリスインプロジェクト」『クォンタムドールズ』に出演した中山さんの成長も凄い。
記憶の彼方にではあるがevkkさんを一度カフェで観させて頂き、
その時も恐ろしい空間を作り上げるなぁと思っていて、
その後に辻野さんの一人芝居など2回くらい外輪さん演出を観て、
からの去年12月の劇団ショウダウン「メビウス」の演出をして頂き、
そこで初めてきちんとご挨拶をして認識をして頂いた。
なのでこのタイミングでどうしても観たかった。
外輪さんご自身から湧き上がるイマジネーションを直に浴びたかった。
場所も「自由空間シアターnyan」おあつらえむき。
キャパ30人程度であるなら外輪さんの深い部分に触れられるはずだ。
果たしてその空間はどうだったのか?
改めて外輪さんのやりたいことが明確に具現化された舞台であった。
ドイツ文学には薄い見識しかないのですが、
目の前で起こる近親相姦を軸に描かれる悲劇が普遍的なのかどうかは別として、
そういったものが文化としてあったかもしれない事実に愕然としつつ、
(いや日本でもあったかもしれないよな・・・とか思いつつ)
その新しい芝居空間の創生に立ち会った。
パンフレットにも書かれていたが演劇は過渡期、
あらゆる模索は出尽くしてきた。
ならば次は外に出なくてはならないといった主旨の言葉が書かれていた。
つまり、
舞台、板の上から飛び出ると。
座ったお客様に直接に触るといった趣向を凝らせていた。
しかも一度や二度ではない。
四方囲みの舞台、最前列のみお客様を座らせるやり方は、
全方位のお触りプロジェクトに相応しいセッティングである。
全キャストが満遍なくお客様に触れてゆく、
手に膝に脚に肩に、
そして眼で直接に視線を外さずに語りかけてくる。
まさに3Dに近いノリ。
しかもラスト近く暗転のまま舞台が静かに進行してゆく。
するとどうだろう。
手の甲に、
肩に、
脚に、
髪に、
頬に、
何かが触れてくるのが分かる。
最初それは何なのかわからない。
僕は感覚的にそれがシャボン玉だと想像した。
弾けたようにも感じるし、弾けてないようにも感じる。
何なら感覚だけで「痛い」時もあったりして、
何が何だかわからなくなるのだ。
しかし、
実際はそれが赤い紙吹雪であった。
光が付いた時には、はらはらと落ちていくのが分かったくらいのものであった。
そして物語のクライマックス、
最大のある瞬間にあのシアターnyanに行ったことのある方ならご存知かもしれないが、
会場のつくりは、舞台上のみ3階層の吹き抜けになっている。
その最上段の場所から一気に大量の赤い紙吹雪がどざっとお客様に降りかかってくる。
衝撃は感じない。
が、目に飛び込んでくる赤い情報はどうにも恐ろしいイメージを増幅させるものでしかない。
結果、
多分戯曲に書かれていたであろうラストシーンは、
この赤い紙吹雪の奔流に一気に流されたのだ。
恐ろしい。
外輪さんの恐ろしいほどの情念は、この一瞬の為に積み上げた積み木なのだ。
澤井さんもみっちーさんも、中山さんも逃げたくて逃げたくて仕方ない。
辛い現実から逃げたくて仕方ない。
それを許さない絶対的な支配者である父親に怯えて動けない。
そうした縮図を見事に演技で体現していた4人でありました。
澤井さんの持つなりふり構わない逃げ出したい感、
みっちーさんの旦那への恐怖で動けない感、
中山さんの姉へ対する剝き出しの憎悪。
対する父親の土本さんの言い知れない不気味な佇まい。
しかし時折見せる弱さ。
好地くんの世間知らずだけれど怖さを感じつつあるという微妙な感情。
それらの演技の集合体の中での上の仕掛け。
そりゃああ、エグイことになってましたよ。
いやぁ、ええもんみせて頂きました。
有難うございました。
↓
EVKK エレベーター企画
『タトゥー』
タイトルの『タトゥー』は刺青または、それを刻み込む行為のことです。父親と娘の相姦、もしくは強姦という特異な状況を基礎に描かれる物語。そこに登場する人物は加害者と被害者である前に、父であり娘であり、家族という関係性があります。お互いを想い合う家族が生んだ悲しい結末が、家族とは?社会とは?その在り方を問いかけます。
Note "tätowierung"
父親と娘の相姦、もしくは強姦
という特異な状況を基礎に
この物語は描かれる。
四人の家族
その小さな家族は
先祖や地理的な因習を逃れ
新しい自由を手に入れる
ためのものだったに違いない。
歴史的な時間は途切れ
世界とのつながりは断絶しているが
小さな家族の小さな世界では
無限の自由が許されているのだ。
たとえ家は小さくても
そこは果てのない城だ。
自由と呪縛は表裏一体である。
自由と呪縛の間をわたしたちは行き来する。
わたしたちはその両方を望み
また両方を忌避する、
選ぶことはできない。
脚本 デーア・ローアー
『タトゥー』
タイトルの『タトゥー』は刺青または、それを刻み込む行為のことです。父親と娘の相姦、もしくは強姦という特異な状況を基礎に描かれる物語。そこに登場する人物は加害者と被害者である前に、父であり娘であり、家族という関係性があります。お互いを想い合う家族が生んだ悲しい結末が、家族とは?社会とは?その在り方を問いかけます。
Note "tätowierung"
父親と娘の相姦、もしくは強姦
という特異な状況を基礎に
この物語は描かれる。
四人の家族
その小さな家族は
先祖や地理的な因習を逃れ
新しい自由を手に入れる
ためのものだったに違いない。
歴史的な時間は途切れ
世界とのつながりは断絶しているが
小さな家族の小さな世界では
無限の自由が許されているのだ。
たとえ家は小さくても
そこは果てのない城だ。
自由と呪縛は表裏一体である。
自由と呪縛の間をわたしたちは行き来する。
わたしたちはその両方を望み
また両方を忌避する、
選ぶことはできない。
脚本 デーア・ローアー
演出 外輪能隆
出演
出演
土本ひろき、澤井里依、向田倫子、好地竜太郎、中山さつき |
1月28日、29日
各日
11時/15時/19時
(受付、開場は開演の15分前)
上演時間は約75分を予定しております!
1/28(土)15:00の部終演後、アフタートークを開催します。
<ゲスト>
長澤 麻子:立命館大学 文学部 准教授
宮城 聡:静岡県舞台芸術センター 芸術総監督
<ホスト>
外輪能隆:EVKK主宰 演出家