珍しく連投です。。


最近好きなWEBの記事です。


クレバは雑誌で「蕎麦屋で注文したのに、なかなか出てこなかった。
後から来たブサイクなカップルの方に先に来た
だから俺はちゃんと注意してやった。」
うろ覚えで意味不明だけど、こんな事言ってた
もちろんクレバの主張は正しいし、大した事じゃないのだけれど
「俺は曲がった事が嫌いで言うべき事は言う」みたいな流れだった
この人が歌っている愛とか正義ってこの程度の物だったのだと思った
ノラ・ジョーンズが別の雑誌で「レストランで頼んだコーヒーが出てこないと私だってイライラする
でもそんな事は人生の本質じゃない」と言っていてかっこよかった


別にクレバを諸悪の象徴と思ったこともないし(それなら他にたくさん)、ノラ・ジョーンズも好きなわけじゃない

(てか聞いたことないし、ただ昔好きだった娘がいいって言ってたくらい)だけど、参考になるというか教訓となるというか、ちょっと考えさせられます。


て言うのも、最近自分も人生の本質を見誤ってるなぁと思うことが多々あって。

この日記もそれを忘れないためのメモ的な意味なので、あまり気にしないでください。


最近の話だけど、僕の会社の役員の方でいろいろ縁があって僕に良くしてくれてる人がいて、その人がメールをくれました。

僕はBCCだけど、ためになるネットの記事を送ってくれます。

今回送ってきたのが、元花王の会長さんのインタビューでした。

内容は、会長さんが最近若者のワーキングプアや格差社会の本を読んで、若者が

「努力しても報われない社会だから、もはや努力することも放棄している」

という現状を嘆いて、若者へメッセージを送りたい的なことです。

そこまではいいんですが、そのメッセージが、

「目の前の峠を越えることに尽力せよ、その先にまた希望が・・・」

見たいなことでした。。

この記事を送ってくれた方のことは尊敬してるし、人間的にも好きです。

きっと花王の元会長さんも素晴らしい人なんだろうなと思います。

でも、そんな人たちまでもこんな老害みたいな思考を未だに持ち続けてることに、悲しさというより憤りを感じてしまいました。

僕は、上の世代が基本的には嫌いです、てか憎んでます。

その人たちの経験だったり知恵や知識に関しては、素直に尊敬するし見習いたいと思ってるけど、価値観だけは絶対に影響されないと思っています。

価値観て言うのは、別々の人生を歩んできた個人個人で形成されるもので、違う人生の他人が押し付けられるものじゃないと思うし。

尚且つ、時代によって移り変わるものだし、下の世代の人間の苦悩や葛藤は到底上の世代にはわからないものだと思っているから。

だって、世襲で政治家になって高度経済成長からバブル時代にかけて親のすねで会社の社長やってた太郎ちゃんの価値観が、一度も社会に汲みいられることなくバブル崩壊後30代に突入した就職氷河期世代の人間と合う訳ないし、説得したところで受け入れられるわけないってこと考えてもわかるわけで・・・


僕としては、

「努力しても無駄」

て考えが、誰もが努力すれば多かれ少なかれ報われた時代の人間が、全員が最善の努力をしても必ず皿からあふれる人間が出てしまう時代の人間に向かって、「努力しろ」と言うことに、今の若い世代が疲弊した末にでた答えだってことを、大人たちはわかってないってことがホントに痛烈に痛い。

昔と違って価値観が多様しているこの時代に、まだ価値観を押し付けようとすることが。。

しかも、信頼している人たちでさえってとこがねぇ。


言いたいことはその先の話で、最近そんなことに憤り、心悩んでたんだけど、それ自体が本質じゃないなぁって思ってるところがあります。

だって、上の世代との断絶とか、格差社会とか人生にとって(特に僕の人生にとって)全然本質じゃない。

そんなことより、かわいい娘ともっと楽しい時間を過ごしたいとか、その娘の笑顔をどれだけ見れるかとか、

アリ○とどれだけ仲良くなれるか(*^.^*)とか、そんなことの方がどれだけ人生の本質かってね。

そのことにこそ、もっと苦心すべきだし、人生をかけるべきだし、命を燃やすべきだってわかってるのに。。


なんか、自分が冷静でいられないと言うか、まだまだだなぁって思うんですよ。

ホント駄目だなぁ、最近。。


ちなみに最近YouTubeで『めぞん一刻』に嵌ってます。

あれこそ、本質だなって思います。