古(いにしえ)の、三重の道を巡る@千種街道 | 日々 是☆冒険なり ~たかのブログ~

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いろんな人や場所 風景との出会い、そして、思った以上に多趣味なワタクシの『冒険』という名の日常をよければ見てやってください。
どうぞヨロシク。

2019.3.1(FRI)

このところの暖かすぎる気温に

「もう春やん!」と勘違いして挑んだ、鈴鹿奥地の探検。



曇っててsammyうえに、予想以上に雪が残ってて悪戦苦闘したタイジョウ。。

そこから下り、下山路 分岐の杉峠に到着。


ここから、今回楽しみにしてた 古の道を歩いて帰るよカエル


①の続きです。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

PM 13:04
杉峠より下山開始。


いつもと反対の、滋賀県側に行くワクワク感が たまらないね♪


けど…



雪がかなり残っているし、おまけにピンクテープが まったくないときたもんだw


(夏道だと)明瞭なルートだからピンクテープ付けなくても大丈夫だろうってことなのかな…
でも雪があるとルートが埋まっちゃって まったく わからないという悲劇的 展開ガーン


進む方角は あってるからいいものの…絶対にルートではないだろう 沢沿いを歩く(汗)


途中で 無理やり沢沿いルートから這い上がり、歩きやすそうなとこ歩いたら、なんとなく正規ルートに合流できたというミラクルを起こす(え?)


雪の時は気をつけましょう(^^;  ←オマエがな


千種街道には、こうした案内標識が点在しております。


立派だよ照れ

ここを通る旅人を ずっと見守ってきたんだろうね。




歴史を感じる、とても良い雰囲気の道♪


しばらく進むと…


明らかに人工物がひらめき電球



時は戦国時代、1600年前後の織田信長や豊臣秀吉の時代に、全国的に資源開発を熱心に行っていたという記録が残されており、ここ鈴鹿山脈においても その開発が行われていたそうな。


明治初期〜中期ごろになると、鈴鹿山脈の鉱山採掘が本格的に行われるようになり

永源寺近辺の蓬谷鉱山や 宮妻峡近辺の水沢鉱山、そして今回歩いている千種街道(滋賀県側、そして三重県側)にも いくつかの鉱山が点在してたらしいのです。


その ひとつ『向山鉱山跡』が この辺りにあるとのことで、行ってみたい場所だったこともあり今回楽しみにしていました。


陶器とか…


古い瓶も。。(これ…おふみさんの残したやつじゃね!? )


そして辿り着いた『向山鉱山跡』






鈴鹿の山奥に、このような歴史の断片を垣間見れる場所があることが なんか嬉しい(*´ー`*)


鉱山跡は まだあるようなので、いつか そこへも行ってみようと思っとります。


鉱山跡から さらに千種街道を甲津畑集落 方面へ。


こんな橋もあるんかいっ!びっくり


意外としっかりしてるし、そんなに高さもなくて よかった(笑)






なんか出てきたキョロキョロ






いまも使われてるような感じがある?(゚ω゚)




この井戸とかヤバくね!? (なんか…出てきそw)

出てこられても たまらんので進みまっせー


千種街道、まだまだ見どころいっぱい。




いまは桜、咲かないのかな?


そしてここ!

ここも気になってたのよお願い


織田信長を襲撃しようと、善住坊なる者が ここの岩に隠れて 機を伺っていたそーな。




ここかー

当然のように、オレも岩に隠れて飛び出してみる疑似体験をしてみましたよニヤリ
…ひとりでね!(笑)


この隠れ岩を過ぎれば 千種街道の終点は もうすぐそこ。




PM15:00
千種街道を通り、無事下山完了。

結局、この山行中 誰とも会わなかったというね(笑)



名前からして怪しい、鈴鹿の山奥にあるタイジョウからの、歴史ある千種街道を通っての周回ルート。

雪が予想以上にあって苦戦したけんども(汗)、こうして無事下山できたこと

そして、歴史の一端に触れられたことが何より楽しく興味深い山行になりました^ ^


こういう新しい発見があるから、山登りは やめられないのかも(笑)


これからも無理のない範囲で楽しく探検できたらと思っておりますので、また よかったら こんな探検ネタにも お付き合いくださいましニコニコ


最後まで読んでいただき ありがとうございました!



おわりいのしし