朝の最低気温は-12.7℃

想定してたよりもだいぶ低くまで下がっていた、

ですが2~3日前よりも気温の上がり方は早い、

それだけ太陽の力が強くなって来たのを感じる

今まで余り溶けなかった先日の降雪も今日はガサツと溶けた、


今朝もゆっくり起きていつもの朝の日課の猫のエサやって薪運びをやって、灰を捨て、両方の薪ストーブを焚き付けてから、朝飯今日は朝の味噌汁作りもやった、

今日から3連休なのでカミさんは朝の6時半に出て行ったのでおかずも自分で作って食べて、先ずはフロ掃除で風呂の水を抜こうと引いたら鎖が切れた、仕方なく上半身裸になって肩まで張ったお湯(水)の栓を抜いた、

どうやって直そう、昼間ホームセンターへ買いに行くしかないかななんて思っていたけれど、少し太めのテグス(釣糸)ならある、テグスは鳥避けに張って置けばカラスが怖がって寄って来ないので夏場カラスに突突かれたくない所に張るのに使うのだ、そのテグスで良いと思い、探してくくり付けた、テグス引けば栓が抜ける、見た目良くは無いけれど充分代用になるそれに釣り糸なので水に強い(笑)


9時半にハウスのキャベツの被覆を剥いだ、

そのまま苗の灌水したかったけどまだホースの中が凍っていて水が出ない、今朝は四捨五入すれば-13℃だったのだ、

何をしようか迷った末、そうだ出来上がった切り干し大根を片付けようと干し網の中の切り干しを片付けた、


保存袋のLサイズにギリギリ詰められた、5本の大根が干せばこれっぽっちになってしまうのです、


凍み大根もカラカラに乾いていた
だけど見た目がいまいち
これは輪切りにして干す方が良さげなんて思った、まだ2ヵ月は毎日夜は凍みるのでまだ1回作れると思って、昨日ムロに降りて
大根が残り過ぎると思って居たので、今日は大根消費の日にした、

その前にマンサードの中のハクサイを3個出して4つ割りして干した
午後からハクサイ漬けも作る事にした、今年5度目のハクサイ漬けだ
こんなコンテナに詰めた大根が15コンテナはまだムロに入っている
取り敢えず1コンテナムロから上げて今日は暖かいのでハウスの中では無くて外の水道で大根10本洗って、ピーラーで皮を剥いて
5本を輪切りして

大鍋で2回に分けて煮た
干しかご2つに干した
そして
切り干し作り
残り5本の大根を大根突きで刻んで
4つの干しかごに吊った
残り一つの干しかごには
ほぼ出来上がった凍み大根が入っている、凍み大根も3つの干しかご使っていたけど一つのかカゴにまとめた、
夕方苗の被覆して養生を済ませてから、まだ6時前なので、焼き印を焼いて、手持ちの木の柄の道具類に我が家の目印の焼き印を押した、主に草退治の道具なので土で汚れる、焼き印も薄く削れたり見えなくなったりするので焼き印を入れ直した、

もう70年位は使っている焼き印コテ、少し名前を囲む所が欠けては居るけれどまだまだ使えます、
集めてみたらすごい量の道具(笑)
草取りだけでこれだけあるのだ
50本以上有る、中には年に1度も使わない物も有る、
これだけ草退治の道具があった
赤いテープは手を放しても直ぐに目に入るよう、赤いペイントスプレーか赤いテープで目印にしてます、まだ包丁とか鉈とか草掻きホーとか柄が木製の物はものすごくある、焼き印押してあるので畑の道中落としても、我が家の物は大概落ちていたよと戻って来ます(笑)
焼き印なんて押してあるの我が家だけだから(笑)
普通なら拾っても誰のだか分からないのでありがたく使わせてもらっちやうもんね(笑)
6時過ぎから花火の音が聞こえ出した
今日は北軽井沢炎の祭りだ、前には(遠い昔)子供たちが小さい頃は毎年行っていた、その頃は浅間園のファミリースキー場で開かれていた、
ファミリースキー場の木の伐採は自分ともう一人本職の樵みたいな人と組んで伐採をした、その人が車の運転が出来ない人だったのでその頃、土建屋さんのバイトを始めたばかりの自分が運転手兼助手として浅間園に通わされたのだ、
その時
その樵さんと組んで木の伐採を何10本もやった、樵の浅井さんは数百本、その時殆んどの伐採スキルを覚え込まされたのだ、その頃のチェンソーは今の倍以上重かった、メーカーも黄色なのにマツカラー(笑)とかパイオニアとかだった、今のスチールやハスクバーナは見なかったよ
時々浅間園の火山博物館の館長にこの木は倒さないでと頼まれた木があったけど、時々来る長野原町の役場職員にこの木何で残して有ると聞かれた、館長に学術的に残してと頼まれたと言うと職員がスキー場だよ木が立ってたらぶつかって危ないから全部木は切らないとと切らされた、館長には残してと頼んで居たのにと言われ、板挟みで困った事があったっけ
北軽井沢の工務店だったから浅間園や浅間牧場の仕事も多かった、真冬の土方はきついし、親父もその工務店で農閑期働いて居たので
一年中親父と働くのも何となくイヤだったのでスキーシーズンが始まる12月半ばから3月一杯の真冬は草津温泉のスキー場やホテルや駐車場のバイトをしていた、25で結婚して落ち着く為に冬の間国土計画と言う会社の冬期臨時社員として27~8年勤めた

炎の祭りは浅間園のファミリースキー場が出来てから冬場の集客の目玉として始めたお祭りだ浅間園でやっていた時にはハイロンの叔母さんが民宿やっていたので観光協会のおてんま(奉仕作業今で言うボランティア)を叔母に頼まれて2度ろうそく立てとろうそくの点火のセットで行った事がある、面白いおてんまだったけど、この2月の連休はスキー場も忙がしい日なのでそちらも休めない、北軽の観光協会に頼まれても行けなくて2度手伝っただけだ、でも夜は子供達を連れて毎年行っていたけど、たくさん人が来て
通路がテカテカツルツルになって転倒者が続出して救急車が怪我人をピストンで運んでいたなんて年もあった、なんたってスキー場だ傾斜があるし、滑る為に作られているのがスキー場、普通の長靴では滑って転ぶのは当たり前だったのだ、
今のふれあい広場が出来て会場がこちらに移したのは正解だよね、転倒者は減っただろうし、何よりもアクセスしやすい、でも浅間園でローソク立てていた時の方が全部見渡せて見た目は今より良かったど思うけれど、子供達が大きくなってからはあんな寒い所なんか行かないと言われてふれあい広場の炎の祭りには1度だけ行っただけだ、子供は風の子なんて小さい可愛い時だけなのだ(笑)

前には家から炎の祭りの花火は見えなかった、この10年で太陽光発電の為にたくさん木が切られて、今は我が家から打ち上げる花火が見えるようになった、これは自然破壊の賜物である、夏の花火大会も天気が良ければ見えるし、冬の炎の祭りの花火は空気が澄んでいるのできれいに見える

今夜は格別良く見えた
3枚しか載せられ無いのが残念