小説置場

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「……うそぉ」

ただいま、運転を見合わせております。

雪国に生まれたことを後悔したことなど一度もないし、冬は好きだし、雪も好きだが、このとき鈴木は初めて、心から雪に殺意を抱いた。

スマートフォンの画面は真っ暗なままだ。さっき確認した時は3%だった。ご臨終。

公衆電話はいまどき古風なテレホンカードを持った小中学生でごった返している。君たち「学校に携帯電話を持ってきてはいけません」っていう校則きちんと守ってるんだねー偉いねー。まぁそもそも公衆電話を使えたところで番号なんて知らないけれども。子供に対する怒りは一度やわらぐ。

窓の外を見ると、もう暗くなり始めた藍色と紺色の境目の空に、ちらちらと雪が降りていた。街灯の影響で淡いオレンジ色に見える。

「やっべーな雪!これ帰れないんじゃね!」はしゃぐガキ共の声。諦めたような顔をしたサラリーマンが敬語でどこかに電話をかけている。

改札前。混雑が始まったそこを忙しそうに駅員が歩き回る。ちょっとよけてもらえますか?あ、すみません。

少し離れた場所から改めて見ると、先ほどまで自分が立っていたところは人間がうじゃうじゃと並んでいる。みんな一様に疲れた顔をしていた。

ファック。

真顔のまま、改札から少し離れた場所で立ち尽くしたまま、心の中でそうつぶやき、苛立ちを落ち着けるように、手袋をしていない冷えた両手を強く握った。




「映画見に行こう」の一言を言うのに、ほんの少し勇気がいるような関係。
恋において、追いかけて逃げられるのはなかなか心にくるものだ。
おととい、ほんの少し勇気を出して、その一言を入力し、送信した。「何観ます?」という返事を受信し、持ち主を喜ばせた携帯電話は、どうやら今は何もできないらしい。
もう何度目なのかわからないが、なんとなく開き、画面を確認しては、少し落胆する。連絡、なし。

待ち合わせの時間からすでに30分が経過した。

遅刻するとき、どうしてたっけな、あいつ。

記憶をたどっても、有用な情報は得られなかった。逆に、「どちらかが遅刻する」という、長く付き合っていれば当然遭遇する事態に出会ったことがないことに気付いた。その程度しか、一緒に出掛けたことはない。

まだ付き合ったばかり、というわけじゃないのに。


もう二か月になる。それなのに、抱きしめることはおろか、手をつなぐこともない。キスだって、包丁を伴った告白のあのときが最後。鈴木が拒むからだ。「もう少し待ってください」。
寒いな。

当然だ。雪が降っているんだから。そして自業自得でもある。「もう寒いだろうから屋内で待ち合わせましょう」と言った相手の言葉を、「人が邪魔ですぐに会えないほうが寒いよりいやだ」と断り、いつもの時計の下で待ち合わせである。

念のためセーターを着てはいたものの、長時間外にいるとなると、厳しい。35分経過。映画はもう始まってしまった。仕事帰りらしき女性が縮こまって歩いていく。

もう空は黒青くなってしまった。風がないのが救いだ。雪がゆらゆら降りてくる中、人を待つ。

もしかして来ないんじゃないか、と思う。忘れているんじゃないか。自分のなけなしの勇気が届いていなかったとしたら。そうだとしたら、悲しい。

携帯を握る。通知はない。



告白は真田からだったし、最初の一回は冗談としてあしらわれた。

それはまぁ傷ついた。今となってはよくぞあそこで折れず諦めずがんばってくれたと自分を褒め称えたいが、ものすごく傷ついたし、落ち込んだ。

予想していた反応ではあったけれど、実際にそうなるとへこむ。

拒絶されたわけではないと自分を奮い立たせ、なんとか結ばれた関係だ。

そう、つまり、追いかける側なのだ。

この事実は何度真田に不安の影をさしたかわからない。「自分は好きだけれど、相手はどうなのかわからない」という感情。鈴木は自分のことが好きだ。と思う。そうでなければ思いつめて告白を理由に真田を殺そうなど思わないだろう。……と、思う。そう思いたい。

確証はない。自分はあいつが好き。あいつは、多分自分が好き。愛情を感じることはあったし、不安になる必要はないと知っていても、それでも時折不安になるのだ。相手から返事がないとき、相手と些細なことで喧嘩をしたとき。

好きという気持ちは、普通であればいずれ信頼の一つ上のものに変わり、安定へ導かれるらしい。自分たちも例外なくそうだと思う。相手への感情は、少しずつ変わってはいるものの、芯となっているものに変化はない。これは愛情と言えるはずだろう。

しかし、不安が混じると、感情は疑心に変わり、苦痛へたどり着くらしい。どこかで見たそんな言葉に恐怖を感じた。不安を感じることも、恐ろしい。

どうしてこんなに、笑えるほど繊細なのだろうか。

理由をつけるとしたら、思春期だから。もしくは、これが恋だから。

感情はいつだって難しいものだ。

メールはもう二通送った。もう一通送ってみよう。「どうした?」「なんかあったのか?」次は何がいいだろうか。

悩んで、「待ってるから」と送信し、メールの画面を閉じる。情報ページを開くと、雪により道路交通がどうのこうの、が目に入った。なんとなく読み流す。

首と耳が冷たい。そろそろマフラーを巻こう。





五駅分歩くかどうか迷いに迷った鈴木は、結局電車が動き出すのを待つことに決めた。なんとも長い一時間。音楽を聴く気も起きない。電車に揺られて十数分。待ち合わせの時間はもう二時間前だ。映画は今頃佳境に差し掛かっているのだろうか。
帰っていてほしい。どうか待ち合わせ場所にいませんように。

頭の中でつぶやく。待っていたとしても、せめて屋内にいますように。

連絡もなしに二時間だ。愛想を尽かされたって仕方のないレベル。つい先日ほんの些細なことで喧嘩した。背筋が冷える。

嫌われたらどうしよう。

謝罪は聞き入れてもらえるのだろうか。言い訳くらい聞いてほしいと思う。どうしても、許せないと言われたら、そのときは、どうしよう。

電車の中の暑すぎる暖房が脚をちりちりと焦がすようだ。落ち着かない。マフラーを外そうかとも思ったが、巻きなおす面倒を考え、そのままにした。

ふと、窓に映った自分の顔が見えた。思いのほか必死な顔だった。真剣な顔。嫌われたくなくて、いろいろと相手の行動を分析しようとしている顔。

自分って、こんな顔できたんだな、と思った。誰かとの何かしらで、こんなに必死になるんだなぁ、と。

そして、こんなに必死になるくらいに、あの人が好きになっているんだな、と。

そんな考えに至ると、待ち合わせがどうとか、そういうのはいったんしまわれ、電車が駅に着くまでの間、鈴木の思考は例の人に支配される。

無性に、会いたくなった。この感情を自覚した後で見るあの人はどんなだろう。

電車は、雪の降る中を、同じ速度で進んでいく。




「……なんでいるんですか。」
「遅れてきて一言目がそれかよ。」
呆れたような、苦笑を含んだ真田の言葉は、しんと冷えた空気をわずかに曇らせて鈴木に届く。

思わず笑ってしまってもしょうがないだろう。鈴木が人ごみをかき分け、息を切らして走ってくるのを見てしまったのだから。

鈴木は人ごみに割り入るのが好きではない。人の流れが落ち着いてから、するりと合間を縫っていくタイプだ。そして滅多に走らない。授業に遅れそうなときでも、早歩き。その鈴木が人を押しのけて、自分のほうに走ってきた。笑わずにいられるだろうか。まったく、らしくない。

走ったせいでダッフルコートとマフラーが奇妙に重なり、もこもこと膨らんで見える。荒い呼吸が繰り返される音は何とも面白い効果音だ。耳と鼻と頬が赤いのもポイント。


あぁこいつ、急いできたんだな。俺に会うために。

二時間、待ったかいがあった。


はふはふと呼吸を落ち着けていた鈴木は、小さな声で「すみません」と言った。
「ごめんなさい、電車が止まった上に、携帯が死んじゃって。」

ゴメンナサイ、と頭の中で反復し、真田は「災難だったな」と笑う。

「心配した。」

来ないんじゃないかと思ったよ。

本当は好きなのは自分だけなんじゃないかって思った。

でもお前、必死にここまで来てくれたんだな。

なんだかとても、穏やかな気持ちだった。余裕がある。風のない、ただ雪が降りてくるだけの、こんな夜によく似合う。


「……すみません」

ただ静かに笑う真田を見て、鈴木はますます赤くなる。殺そうと思うくらい好きだったはずだ。だから今更、のはずなのに、どうしてだか、殺害を考えた時ほどの荒々しさは無い。

これが、恋。

何を女々しいことを、と自分の中の自分が笑う。でもその自分の表情だって、よく見ればへたくそな照れ隠し。

棘を抜かれ丸く削られ、やわらかくされてしまったようだ。真田の笑顔に、安心が生まれはじめる。


真田は二時間、時計の下で待っていたのだろう。耳や鼻が真っ赤だ。マフラーを外し、渡す。真田が一言礼を言って受け取ったマフラーを巻くのを見ながら、「それで、」と鈴木が切り出す。

「遅れてきた僕が言うのもアレですけど、このあとどうします?映画、もう終わりますよね。」

何か違う作品を見るには遅すぎる時間だし、と言いながら、駅を振り返る。駅ビルで少し話して解散しようということだろう。

「泊まってけよ。」

自然と口に出たのは、自分たちには何ステップも先のことだ。でも、今このときでも早すぎることはないような気がした。

「……は?」

「泊まってけよ、俺の家。近いから。」

「や、いきなり言われても。準備もないですし。」

「なんとでもなるだろ。自慢じゃねえけど部屋はそんなに汚くねえぞ。」

「そういうことじゃなくて。」

「いいじゃん。俺お前を待ってる間にいろいろ考えたんだよ、お前のこと。」

赤くなった顔で、自分のマフラーを巻いた真田が、にっと笑うのを見て、鈴木は今度こそ言葉に詰まってしまった。暖房のない場所で体がちりちりと、焦げる。

当然、「行こうぜ」と差し出された冷たい手を、とらないという選択など、ありえなかった。