パスタ歴史 (1) 古代ギリシャ・エトルリア・古代ローマ | ヴェネチアから、イタリアの歴史、文化、食のトピックスを発信

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パスタの歴史

 

イタリア料理のシンボルであるパスタは、古代エトルリア文明の紀元前から存在していた古い歴史があります。パスタは中国からマルコ・ポーロによって、持ち込まれたと多くの人が思っていますが、発掘を基にした考古学や食文化の研究者によると、古代ギリシャ人、エトルリア人、古代ローマ人はすでに互いに類似したパスタ料理を食べていたそうです。
 
そうした中で、イタリアのANSA 通信で最近見つけた記事では、パスタの起源は実はメソポタミア時代であると言われ、早くも既に紀元前1700年にメソポタミア文明の料理の論文ではパスタにふれていたそうです。
 


パスタの起源は農業の始まり、そして小麦の栽培と一致しています。いくつかの歴史的な証拠のによると、熱い石の上で小麦、小麦粉、水の生地の細片を調理していたことがわかりました。

古代アテナイ詩人アリストパネスと政治家、弁護士、哲学者キケロの古代の書物で、また古代ローマの美食家アピキウス(Apicius ラテン語名)の有名な料理選集『De Re Coquinaria  デ・レ・コンクイナリア』では、下記のパスタについて言及しています。

 

                          アリストパネ         マルクス・トゥッリウス・キケロ

 

 

- 古代ギリシャ人、古代ローマ人が作っていたタリアテッレの祖先「ラガノン Láganon」
- 古代ギリシャ人、エトルリア人、ローマ人が作っていたラザーニャ祖先「ラガナ(Lagana)」

 

※アリストパネスの古代アテナイの喜劇・風刺詩人( 紀元前1世紀)

※マルクス・トゥッリウス・キケロ 共和制ローマの政治家、弁護士、哲学者(紀元前2世紀〜紀元前1世紀)

 
古代ローマのレシピ本 アピキウス「De Re Coquinaria」

アピキウスは裕福な貴族階級出身でローマ時代の美食家として有名でした。そのアピキウスによって『 De Re Coquinaria』が書かれました。古代ローマ時代の調理法・料理のレシピを集めた料理選集で、彼自身のメモを基にして書かれたものとされています。
書かれた時代の推測は幅広く、紀元前2世紀から紀元後2世紀の期間に書かれたと推定されています。いずれにしても、古代ローマ料理を知る貴重な書物であることに違いはありません。世界最古のレシピ本と言われています。
 
アピキウス
 
『De Re Coquinaria』は全章10巻から構成され、基本的には食材ごとに調理法や保存法がまとめてあり、「ワイン醸造から食品の保存方法」「挽肉」「野菜」「ソース・ケーキ」「前菜・野菜料理」「豆料理と小麦粉のレシピ」「鳥類料理」「ローマの美食・独創料理」「四足獣料理」「魚介料理、漁師」で構成されています。
 
 
近代の料理本の構成に似ているそうです。本の中に出てくる食物は地中海周辺の古代の日常生活を再現するのには大変役立つ一方で、そのレシピは当時の富裕層向けのレシピが多かったようです。
 
       
裕福な貴族階級出身でローマ時代の美食家としては知られていますが、彼の人生や時代についても諸説語られています。中には、アピキウスは美食の限りをつくす贅沢な生活を送っていたのですが、財産を使い果たしてしまい、最後は自殺してしまったのだったとか。
 
政治家・哲学者セネカ(紀元前1年頃 - 紀元後65年)は、著書『書簡集』のなかで、「アピキウスは財産をすべて食道楽に費やしたため、借金取りに追い立てられ、空腹のあまり死ぬのを恐れ服毒自殺した」と言及しています。
アピキウス
 
3つの時代の異なったアピキウス
 
1. 政治家・軍人・執政官ルティリウス・ルフス紀元前2世紀後期〜紀元前1世紀初期の宴会で過度の贅沢を制限するファニア法を批判するアピキウス
2. 紀元前1世紀〜紀元後1世紀の間ティベリウス皇帝の時代に生きた非常に裕福で有名な大食いのあだ名で呼ばれるアピキウス
3. トラヤヌス皇帝時代1世紀から2世紀にカキの保護に励んだアピキウス

とにかく様々な彼の人となりが描写されていますが、もちろんどれも食に関する話題ですね。
 
アピシウスの時代別に印刷本
 
    Sebastianus Gryphium1541年  JanssonioWaesbengios1709年 
   
 
Franciscum Burguete1768年
 
「アピキウス」の名前は上記の同時代や近い時代の食関連の著述にしばしば登場しますが、実はフルネームの「Marcus Gabius Apicius」も確実ではないそうで、諸説残るミステリアスな人物です。いずれにしても、古代ローマの富裕層がいかに豊かな食材の組み合わせに贅の極みをつくした豊かな食文化の歴史を伝える重要な役割を果たしたことは確かです。後世に、この著作は写本を通じて多くの人の手にわたり、1498年にミラノで初印刷され、印刷本となり継承されました。
 
様々な書著の証言が見えてくるアピキウ像は、美食家で、とにかく浪費家で、最期まで道楽・美食の道を貫いた人物であったようですが、彼が伝えた料理レシピは、歴史と食文化の重要な遺産であることに間違いありません。
 

エトルリア文明

 

紀元前8世紀から紀元前3世紀ごろにイタリア半島中部にあった12都市国家群から構成されており、統一国家をつくることはありませんでした。その勢力を次第に南北に広げてゆき、現在のトスカーナ州にあたる地域を中心に最盛期の紀元前8〜6世紀には北はアペニン山脈を超えたポー平野まで、南はカンパニア州(州都ナポリ)の一部まで広がっていました。

 

 

連邦都市国家体制で形成される高度な文明を築き、鉄器を使用し、古代ギリシアとは異なる独自の文化を持つ豊かな国家群であり、高い建築技術をもちました。実際、その技術は都市国家ローマの建設にも活かされ、王政ローマの7人の王の3人はエトルリア出身とされています。

 

 

エトルリア人の生活は、裕福さで知られ、贅沢、宴会、音楽を好む一方で、信心深い民族でもありました。さらに高度な文字文化も築いていたそうですが、あいにく文献が残っていません。エトルリアを吸収したローマ帝国が意図して隠滅したというのが通説です。

 

 

王政ローマから共和政ローマ

 

紀元前8世紀から前6世紀には、ローマはエトルリアにとって一つの都市国家に過ぎませんでした。紀元前7世紀にはエトルリア人が都市国家ローマに移住して王に選ばれて王政を行いました。その支配は一時ほぼイタリア半島中部全土に及びました。紀元前7世紀末から前6世紀末まではエトルリア人の王5,6,7代目と3代続いて都市国家ローマを支配していました。(※6代目の王はエトルリア出身ではなく、ローマ出身とされる説もあります)  3人目の王政ローマ最後の7代目の有名な傲慢王タルクィニウスは追放されて、貴族共和政ローマが成立しました。

 

紀元前4世紀ころから徐々にエトルリアとローマとの関係は逆転し、紀元前3世紀にはローマに攻撃され、やがてローマ文化圏に吸収されていき、共和政ローマにほぼ征服されました。エトルリアはローマとの戦いに敗れて次第に衰退し、紀元前3世紀には共和政ローマにほぼ征服されました。その後は、長い月日の経過のなかで、人種の混合、ラテン文化への同化が進み、エトルリア文明は忘れられていきました。

 

王政ローマ最後の7代目傲慢王タルクィニウス

 

こうして、初期の古代ローマ(王政ローマ)時代は、エトルリアの高度な文明の民族支配を受け、技術は都市国家ローマの建設にも活かされるなど、初期の古代ローマの文明は、エトルリア文明から多方面の文明の影響を受け、食文化の影響を受けていたことも確実だと想定されています。従ってエトルリア時代に既に食べてられていたパスタが古代ローマに影響を与えたことが推定されます。

 

エトルリア文明のパスタ

「ラガナ(Lagana)」

 

考古学的な調査結果で、エトルリア時代にはすでにオーブンで調理された肉を詰めたパスタ「ラガナ(Lagana)」を既に食べていたそうです。現代の「ラザーニャ(Lasagna)」の祖先のパスタと推定されています。

 

ローマ近郊のチェルヴェーテリのエトルリアの墓では、麺台(練り粉をのばす板)、麺棒、包丁、ナイフ、小麦粉をふりかける袋、そして淵を波状にカットするカットローラーなど、様々な証拠が発見されました。証拠の1つは、チェルヴェーテリの紀元前4世紀頃のエトルリアの墓で大理石のお墓にパスタを製造するいくつかの典型的な道具が刻まれていました。

 

チェルヴェーテリ 墓地遺跡(ネクロポリス)

 

※チェルヴェーテリ(Cerveteri):ローマから北東42km離れたコムーネ(市町村)であるチェルヴェーテリは、古代にエトルリア人が築いた都市で、エトルリア人が遺した墓地遺跡(ネクロポリス)は、世界遺産「チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群」の構成資産として登録されている。

 

レオパルディ家のお墓, タルクイーニア(Tarquinia) 紀元前5世紀

 

今日のラザーニャは、イタリア各地のさまざまな典型的な材料を使ったオーブンで調理されるパスタ料理です。写真にあるミートソースとパスタを重ねて作ったラザーニャが一般的ですが、実はラザーニャはさまざまなバージョンで作られます。家庭の料理人の母親マンマ(manmma)やレストランの料理人の想像力と結びついて、魚、野菜、肉などバリエーションは無限です。墓碑銘ではエトルリア料理が古代にどのように調理されていたかを証明しています。例えば、ある一族のお墓では、スペルト小麦で準備された薄いシートを使ったレシピが発見されたそうです。

 

ラザーニャ(Lasagna)
 
 
魚介のラザーニャ
 
野菜のラザーニャ
 
実際、エトルリア文明の研究者たちは、豚、羊、家禽(ガチョウや彼らにとって神聖な動物)の繁殖に熟練した農民や羊飼いが存在し、食用および治療用の植物やハーブ(特に月桂樹)を使用し、幅広い料理にオリーブオイルも使われ、神々の血を表現する様々な儀式で使用されたワインを飲んでいた証拠を収集しました。
 
 
豚の残骸が、さまざまな埋葬地で発見されましたが、腿の部位は一切見つからなかったそうで、つまり、腿の部位はハム用で、既にハムを製造していたことを示唆していたことが推定されました。いくつかのお墓にある描写では自家製パスタやラザーニャパスタの淵をカットするローラーも描かれており、シリアルを混ぜたスープや野菜やマメ科植物を入れたスープも作られていたようです。料理のベースにはタマネギとニンニクを使用していました。例えば、ニンニクは強い殺菌力のある虫の治療薬として、強壮剤としての効能媚薬として、効能を既に熟知していた証拠も見つかったそうです。
 
レオパルディ家のお墓, タルクイーニア(Tarquinia) 紀元前5世紀

 

調理技術の種類は多くなかったようですが、食事は前菜から始まり、デザートで終えていたそうで、コース料理の食文化が既に存在していたそうです。食事は重要な宴会の主役でもあり、社会的または宗教的な機能を所持し、常にバランスの取れた豊富な料理を食べていたことが証明されています。

パスタに関して、エトルリア人がパスタを食べていたというのは多くの学者の見解です。チェルヴェーテリの「レリーフの墓」ではその証拠も見つかりました。

「レリーフのお墓」チェルヴェーテリ 紀元前4世紀

 

2本の中央の柱で支えられた二重の傾斜した天井のある大きな部屋

壁にはスタッコ(化粧漆喰)のような画像である家庭用の器具や動物が描かれている

 

側面に沿って掘られた13の埋葬用のニッチ

 

上の写真の地下室の部屋に続く階段


地下室のすべての壁にスタッコ(化粧漆喰)のような画像があり、家庭用の道具や動物が描かれています。これらから、紀元前4〜3世紀頃の裕福なエトルリア時代のある一族の豊かな日常生活がうかがえます。墳墓(遺体・遺骨が埋葬されている建造物)がないこのお墓は、マトゥナス家(Matunas)のものと推定され19世紀に発見されました。長い廊下があり、2本の中央の柱で支えられた二重の傾斜した天井の大きな部屋に続く階段があり、側面に沿って13の埋葬用のニッチが掘られています。

 

古代ギリシャ「マグナ・グラエキア」のパスタ

タリアテッレ・アンティッカ『ラガノン Láganon』

 

古代のギリシア人は紀元前前8~6世紀頃、地中海各地に進出して植民活動を展開して、多くの植民地を設けました。これらの古代ギリシア人が植民した南イタリア(カラブリア州、プーリア州、カンパーニャ州、バジリカータ州)およびシチリア州の各地の部分的な地域を「マグナ・グラエキア(Magna Graecia)」と呼び、原義では『大ギリシア』を意味します。古代のギリシア人たちが持ち込んだ古代ギリシア文化やヘレニズム文化は、古代ローマに影響を与えました。この時代のギリシア植民都市の遺跡はイタリア半島やシチリア各地に散在しており、今日の大きな都市の起源となりました。

 

古代ギリシア植民地「マグナ・グラエキア(Magna Graecia)」

南イタリアおよびシチリア島

紫、ベージュ、ブラウン、グレーの異なった植民地域

 

南イタリアおよびシチリア島の古代ギリシア人による植民活動では、イタリア中部を中心に高度な文明を持つエトルリア人と盛んな交易をおこないました。紀元前3世紀にローマに征服されるまで、その交易は続きました。

 

紀元前8世紀頃、「マグナ・グラエキア」では鉄以外に銅、銀、錫などの金属器が使用され高度な加工技術が発達しました。この時期から古代ギリシア人が交易のためにエトルリアを訪れるようになり、南部にネアポリス(現在のナポリ)などの植民地を築いていきました。古代ギリシア人はエトルリア人からギリシアでは産出しない青銅の原料の錫を手にいれるなど、盛んに交易をおこない、一方ではギリシアから麦やオリーブ・葡萄などの農作物栽培技術が伝えられました。

 

 

このような古代ギリシャとエトルリア間の盛んな交易の中で、食文化の影響を互いに受けていたことは容易く想像できますね。

 

日本では、ロングパスタというとスパゲッティーが最も一般的ですが、タリアテッレと呼ばれるロング麺は、日本でもだいぶ浸透してきたと思われます。下記の写真左にあるタリアテッレが一般的で、日本のきしめんに似た平たいロングパスタです。このタリアテッレの祖先とも言われるパスタがアンティッカ・タリアテッレ『ラガノン』です。ラガノンとタリアテッレは見た目ではタリアテッレは卵を入れて作るので、パスタの色がより黄色いですね。

 

今日タリアテッレは、イタリア中部と北部の典型的な卵パスタです。それらの名前は「tagliare切る」という動詞に由来します。これは、生地を丸めた後、薄いシートに丸めて切断することからつけられたパスタ名です。

 

   アンティッカ・タリアテッレ『ラガノン』                  タリアテッレ

    

 

「ラガノン Láganon」と言うは歴史的パスタで、小麦粉を使い始めた時代から作り始められていたそうです。「マグナ・グラエキア」の時代の古代ギリシャ人もエトルリア人同様に、紀元前にすでにパスタを生産してい多そうです。古代ギリシャ人が作っていたとされる「マグナ・グラエキア」の時代のパスタは、水と小麦粉の混合物を細長く切って調理してました。「ラガノン」は「タリアテッレ」に似たパスタでした。後にラテン語では「ラガナム Laganum 」となり、やがて南部地域では「ライナLàina」と呼ばれるようになりました。

 

キケロは自身の著述の中で「ライナ Làina」について言及しています。「ライナLàina」は、今日ラッチィオ州(ローマ州都)の西部の典型的なパスタの一種です。ラッチィオ州南部の地域では「Lacne, Làccane o Làcchene」とも呼ばれます。また 「ライナ」という言葉は、麺棒で広げられた塊状の生地の一般的な意味もあります。


古代ギリシャ人にとって「ラガノン」はパスタの祖先であり、大きくて平たい生地が作られ、ニンニクで味付けされ、それが細長い帯状、またはパーツにカットされました。古代文明の食品経済において基本的な役割を果たしてきた動物であるベーコンを調味料としてパスタに加えます。当時キノコは生命と神の象徴と考えられていました。キノコのおかげでギリシャのミノア文明(クレタ島の青銅器時代)誕生。それゆえ、「ラガノン」にベーコン以外にも、キノコが加えられていたことが推定されます

 

               タリアテッレとパンチェッタ     タリアテッレとパンチェッタ、キノコ

 

古代ギリシャの喜劇作家アリストファネスも自身の著述で「彼女たちはラガノン Láganonを料理していた」と書いています。ラガノンは薄く伸ばした小麦粉の生地で、揚げたり、煮込んだりして食べていたと考えられ、場合によっては細長く切ってから加熱したのではないかとも推測されています。

 

          タリアテッレとひよこ豆のスープ                 カットして揚げたパスタ入り、

                        タリアテッレとひよこ豆

 

タリアテッレのフライ

 

アピキウスの料理レシピによると、「ラガノン(Láganon)」のラテン語「ラガナム(Laganum)」は「パスタシートに肉の詰め物を散りばめてオーブンで焼く」と書かれています。

料理選集『De Re Coquinaria』に「アピキウス風のトルタ(torta)」と言うレシピが紹介されています。イタリア語でトルタはパイまたはタルトになります。
レシピ:挽肉のように細かく刻んだ肉(挽肉状)を泡立た卵、コショウ、ワイン、魚醤の類などを入れて煮込んだものを小麦粉を薄く延ばした「ラガヌム」に交互に重ねて焼く
 
これがエトルリア人が「ラガナ(Lagana)」と呼んだ「ラザニア」の元祖と思われます。一方で、古代ギリシャ人はタリアテッレの元祖を「ラガノン」と呼んでいました。
 

2世紀のアテナイ神殿では「ラガノン(Láganon)」のレシピが存在しました。そのレシピでは、小麦粉とレタスジュースをベースにしたパスタで作られた薄いシートで、粉砕され、スパイスで味付けされ、豊富な油で揚げられていたそうです。

 

キリスト教分野においては「ラガノン(Láganon)」という言葉が教会の司祭たちによって引用されていました。また、5世紀頃に聖ヒエロニムス(聖職者・神学者)が酵母を加えずに小麦粉で調理した儀式用の食品を「ラガノン」のラテン語「ラガノム」という言葉でも表記しています。    

 
古代ローマのパスタ
テスタロリ(Testaroli)の歴史
 
古代ローマに起源を持つ「テスタロリ(Testaroli)」という穀物を薄く焼いたものが今日も存在します。歴史あるこのパスタは、現在テスタローリ(Testaroli)」と呼ばれ、トスカーナ州北部のルニジャーナLunigiana地域、特にポントレモリ Pontremoli 、カスタニェトリCastagnetoli、フォスディノヴォFosdinovoの村の歴史的なパスタです。トスカーナ州のマッサ・エ・カッラーラ Massa e Carraraとリグーリア州のラ・スペッツィアの地域では、今日でも食品店やスーパーマーケットで簡単に見つけることができますが、トスカーナ州の他の地域で見つけるのは非常に困難です。
 
水、小麦粉(昔はスペルト小麦)、塩を材料にした液体の衣を数ミリメートルの厚さのクレープを焼き上げます。古代の特別な「テストTesto」と言うテラコッタ製または鋳鉄製の容器で調理されました。
 
                                容器「テストTesto 」                      テストでパスタを調理

 

            パスタ             カットしたパスタ

 

「ペストソースのテスタロリ(Testaroli al pesto)」は、トスカーナ州とリグリア州の地域の伝統的な料理で、シンプルですが、家庭的な味の象徴です。歴史的なテスタロリとジェノバのペストソースは、2つの地域の歴史的融合を明らかにする手がかりです。

 

    伝統的ペストソースのテスタロリ             ポルッチーニソースのテスタロリ    

 

この古代ローマに由来するテスタロリ(Testaroli)」は、エトルリア人のラザーニャ(lasagne)の由来する「ラガナ(Lagana)」や古代ギリシア人のタリアテッレに由来する『ラガノン Láganon』に繋がります。つまり、エトルリア、古代ギリシャ、古代ローマと3つの文明の中で伝授され、様々なパスタ文化の影響を受けて、現代のパスタにまでつながっている長い歴史を実感させられました。

 

エトルリア風ピチ・パスタ(Pici all’etrusca)

 

トスカーナ料理の伝統の中で、南部典型的のパスタであり、エトルリア時代に起源を持つ、「ピチ (Pici)」は、手打ちの太めのスパゲッティです。田舎の典型的な庶民料理で、さまざまな調味料と組み合わされています。スパゲッティの遠い親戚と考えられています。「ピチ (Pici)」の名前は、手のひらで形を作る時に行うジェスチャーに由来しているようです。「ピチ (Pici)」はトスカーナ方言で「アピッチカーレ appicciare」と呼ばれて、意味は「ベタベタする」です。この言葉の一部をとって、パスタの名前は「ピチ (Pici)」となったようです。

 

トスカーナの典型料理を紹介するサイトで見つけた、芳香性のハーブでいっぱいのシンプルでおいしいソースのレシピ「エトルリア風ピチ・パスタ(Pici all’etrusca)」をご紹介します。

 

 

材料

パスタ:デュラム小麦400g, 220/250 ml の水, 一つまみの塩

ソース:卵1個,  パセリ1束, ミント, バジリコ20枚, ミント10枚, ニンニク1,2粒, クローブ, ペコリーノチーズ150g, オリーブオイル, 塩, コショウ

 

パスタ

清潔な台に小麦粉を置き、真ん中に塩と少量の水を一度に加え、小麦粉の一部をフォークで練り始めます。少量の水を加えながら、約10分間こねます。小麦粉の吸収の程度に応じて、多いまたは少ない水が必要になる場合があります。生地になるまでこねます。パスタを包み、30分以上冷やします。

 

 

ソースレシピ

 

塩を少し入れた側面の高い小さな鍋に水と卵を入れます。沸騰させ、この瞬間から9分間茹でて固ゆで卵の水気を切り、冷ましてから皮をむきます。

 

ミキサーで、ハーブ類、皮をむいて中央の芽を取り除いたニンニク、冷めた固ゆで卵、新鮮なペコリーノチーズ、1つまみの塩を組み合わせ 、クリーミーなソースになるまで、エクストラバージンオリーブオイルをゆっくりと加えてブレンドします。小さなトリック:ソースは過熱せず、芳香性のハーブを酸化させないように、2つのアイスキューブを加えます。

 

生地を取り出し、綿棒で高さ約1cmのシートに広げます。ピチは長くて薄く、かなり均一な厚さである必要があります。

 

ピチをたっぷりの沸騰した塩水で茹で、パスタの厚さにもよりますが、約4〜5分かかります。

 

茹で水を排水し、大さじ1杯のピチ茹で水を保管し、ソースと混ぜます。そのソースとパスタを混ぜたら、たっぷりの黒コショウと数枚のバジルの葉を添えます。

 

 

今回は、古代ギリシャ、エトルリア、古代ローマでパスタが食べられれていた歴史をご紹介させていただきました。『パスタの歴史(2)』では、パスタの名前の由来、様々な種類のマカロニをご紹介します。