随分長い間、ここに来てませんでした。

4月6日に義父が九州で一人で亡くなりました。主人の両親は離婚していて、義父は兵庫県から九州に移ったようです。私は会ったこともありません。地元の警察から主人に身元確認の連絡が来て、直ぐに佐賀県に行かなければなりませんでした。当初、主人は独りで行くと言っていたのですが、私は主人一人では無理だと思い、同行しました。

飛行機で飛び、直ぐに警察へ。お風呂に入っていて、心筋梗塞を起こしたようで、溺死したようです。幸いにも隣に大家さんが住んでおり、亡くなった夜の翌日に、発見されました。初めて見る義父の顔は浮腫んでいました。主人は20年間会っていないため、わかるかどうか心配していましたが、確認出来ました。何故、20年間も会っていなかったかと言うと、義父は好きな人が出来て、その女性と九州に移ったのです。その後も、ややこしい裁判などで大変だったらしく、母親の手前会うことはしなかったようです。それでも、主人は何年もの間、義父にお金を送っていました。やはり男ですから父親の気持ちもわかるんでしょうね。私は義母とはよく接していますが、義父が女の人を作った気持ちが理解出来ます。それに、義父が好きになった相手が3歳年上だったんです。それは、精神的に支えてくれる人が欲しかったのだと思います。

 

身元確認した私達は、一刻も早く、葬儀を上げてあげなければと思いました。当初は直葬という形で送ろうと思っていました。しかし、調べると直葬はお花もない、戒名もない、お経もないのです。それは可哀想なので、小さなお葬式というものを執り行う事にしました。なんとか、義父を見送り、それから様々な手続き。市役所、警察署に何度足を運んだことか。しかし、驚いたのは、佐賀県の人々の人情味溢れる、優しい人柄です。

警察官の方が一緒に泣いて下さったり、市役所の方も、本当に優しく親身になって葬儀場を教えて下さったり。市役所にレンタカーで行っていたのですが、警備の方に来た理由を話すと、「それはこの度はお父様たいへんでしたね。」と、方言で頭を下げられました。私は都会に住んでいて、こんな優しい態度で接してもらったことはありません。特に役所や警察署、私、大嫌いなんです。偉そうだし、面倒くさそうに対応されるし。私と主人も今回、それを覚悟して行きました。

ところが、この優しさは驚愕しました。

本当に助かりました。

最後の2日間は、義父が借りていた家の片付けです。一年前に女性は亡くなられていたようです。ゴミ屋敷状態でした。計16時間強片付け、ゴミを捨て続けましたが、減らないんです。どうも女性は、買い物依存症だったようです。使いもしないで買ったものが山のように積まれていました。結局帰宅するまでに片付けるのは、無理だと思い、業者さんに残りをお願いする事にしました。

義父は、人情味溢れるコミュニティーで暮らしていたようで、最後まで、生きる気マンマンだったと、大家さんに聞かされました。公民館でカラオケ大会があったり、ひとりで畑を作ったりしていました。大家さんが皆さんに声をかけて下さり、いろんな遺品を持って帰って頂きました。驚いたのが、義父が使っていたマットを欲しいと持って帰られたことです。都会で、こんなことがあるでしょうか?身内でもマットは要らないですよね?ましてや、亡くなった他人のマット。ものすごいコミュニティーだなと、圧倒されました。

そして、エコ的な観点から見ても、それってすごいリサイクルです。ソファに、冷蔵庫、テレビに新しい衣服、沢山持って帰っていただいたようです。ある意味、私達が住んでいる所より進化している町だと思いました。

最後に大家さんから、サザエを沢山頂きました。捕れたてです。町を離れるとき、私たちは帰りたくなくなっていました。このまま、この穏やかで、美しい風景の町に住みたい。

泣きながらお別れしました。

計6日間滞在しました。お骨を持って、レンタカーで運転を交代しながら、帰宅しました。私達は、急に映画の中の主人公として入れられ、最後、お別れをし夕陽が沈みかける橋を渡るとき、「はい!カットー!!」と言われたような気持ちになりました。

毎日、忙しく食べる暇も、寝る暇もなく、何が起きるかわからない。「八日目の蝉」という映画、そのままを演じた6日間でした。

 

帰宅してから、疲れがドーッと出てきて、慢性疼痛がかなり良くなっていたのに、後退してしまいました。帰ってきてもう1ヶ月以上経つのに、いっこうに良くなりません。ノルスパンテープ、効かなくなりました。

まずいです。。

とにかく、元に戻るよう焦らずやれる事をやっていきたいです。そして、やりたくないことは出来るだけやらない勇気を持つようにしていきます。慢性疼痛や、繊維筋痛症の方は頑張り屋さんが多い。

やりたくないことはやらないように、昔のように動けない自分を責めない。自分に優しくする。そして、この病気に苦しむ人は世界に何百万人といる。だから一人ではない。みんな、同じ気持ちを抱いて毎日生活をしているのです。孤独ではない。

 

佐賀県、素晴らしいところです。

人も風景も。。

今度は観光でゆっくりまわりたいと思います。

最後に撮った風景です。


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今朝、8時起床。日中の疼痛に使うエネルギーが大きい事で、疲れやすく、薬の副作用で直ぐにねむくなる。よって、睡眠時間が長くなる。そうだな、10時間は眠っています。 睡眠時間が短くなると、痛みが酷くなる、不安定になります。なんとか、7時間の睡眠ですむようにしたいです。夫が帰宅するときは眠っています。けれど、夫はどちらかというと、帰宅して独りでぼんやりしたいタイプです。食事中、話す人ではないし寝るまでの自分の時間を確保したい人です。これが理解できてからは、遠慮なく先に眠れるようになりました。しかし、後三時間あれば、もう少し有効に時間を使えると思うのです。PCに向かったり、読書したり、ヘッドホンをつけてピアノの練習をしたり。午後6時以降はグタッとしてしまいます。睡眠7時間!目標です。   そして、トレーニング2日目。頑張りました。今朝は昨日の影響で、筋肉痛がありました。まだ、やったからと言って、結果は出てません。相変わらず、身体は痛いです。しかし、トレーニング後の爽やかな心境が好きです。縄跳び、今日は83回飛べました。ハァハァと息が上がるのは良くないらしいので、息が上がると休憩し、また飛びます。それでも、83回飛ぶともう足が上がりません。全ての所要時間は1時間15分でした。諦めないでコツコツ少しずつ頑張りたいと思います。   今、生前整理のつもりで物を減らしています。毎日少しずつです。もう若いときの服は似合わない!かなりいろんな物が溜まってきたので、使えそうな物は今週末、リサイクル屋さんに、夫に手伝ってもらって持って行こうと思います。お金にならなくてよいので、引き取って頂くと有り難いです。   人間、60才を過ぎると、体力もなくなり、判断力ももっと落ちるので断捨離が難しくなるそうです。70才を過ぎると物に執着が出てきて捨てれなくなると聞きました。まだなんとか身体が動く今のうちに整理しておこうと思います。子供もいないし、私に何かあれば、夫、もしくは誰かに迷惑を掛けることになりますから、身辺を整えておきたいと思っています。   目標は、ミニマリスト的になることです。 と言っても、部屋に何にもないの は無理なので、掃除しやすく、何がどこにあるか直ぐわかり、使わない物は捨てるという生活が目標です。私の世代はバブル期を経験した年代です。欲しいものはなんでも購入しました。今と違い、とても質の良い服を高額で買い、やりたいことは、大体やってきた世代だと思います。一周回って、もう物に頓着しなくなりました。ファストファッションを沢山買い込むこともありませんし、今は本当に物欲がなくなりました。家にあるものを使えばそれでいい。充分快適に生活しています。   長く生きていると、普通に生活を毎日出来るだけで幸せだと感じるようになりました。 孤独を感じる事も多々あります。 しかし、人は所詮孤独であると、最近しっかり理解出来るようになったのも、年齢を重ねたおかげだと思います。 ただ無くしたくないものは、「好奇心」です。外見は老化していこうとも、内面は何時までも瑞々しくいたいと思います。



私が交通事故に遭ったのは、15年前のことです。その時、便利だからと、原付バイクを乗り回していました。制限速度はちゃんと守って走っていました。そこに、免許取り立ての若い女の子が、よそ見をしていて私にぶつかってきたのです。吹っ飛ばされました。ヘルメットは割れ、バイクは廃車でした。速度を守ってなければ、死んでいただろうと言われました。その後、救急車で運ばれて、検査したところ、肋骨にひびがはいっただけと言われました。10日間程、胸の部分を固めながら仕事もしてました。けれど、何時になっても痛みが取れないんですね。ドクターショッピングをして、最後にやっとMRIの検査をしてもらいました。医師は交通事故の患者を嫌います。関わりたくないのです。法廷にでも出る事になったら、医師にとって何も良いことがないからです。だから、最後は交通事故を隠してなんとかMRI検査まで持ち込みました。すると、頸椎と腰椎がヘルニアになっていました。現在では、温存治療が主流になってますが、その頃は割と手術が医者の中で流行っていたそうです。それで、首と腰、二年かけて、手術しました。私の首には腰から取った骨が、腰にはチタンのボルトが埋め込まれています。もうダメになっていた骨を切除しての手術だったんです。術後は地獄です。6ヶ月間、固定するのです。それでも仕事が大切だった私はその状態で働き続けました。治ると信じてたんですね。馬鹿てすねぇ。

本当の地獄は固定が取れてからでした。

手術する前より痛くなってしまったのです。

今なら、絶対に手術は受けないでしょう。15年前は何の方法もなかったのです。

疼痛を抱えながら仕事を続けました。ペインクリニックもかかってましたが、薬が効かないのです。今では、主流となっている考えですが、脳が痛みに過剰に反応しているのです。痛みを抑える物質が限界を超えたわけです。

あまりの痛みで鬱状態になっていました。

 

八年前、今の主人と再婚しました。

「家でゆっくり休めば?」と、言ってくれました。その時は、とても嬉しく、有り難かったです。

 

しかし、20年以上仕事をしてきた私が、家で家事たけをするのも、それはそれで苦痛でした。何をすればいいんだろう?なんだか、どんどん社会から置いていかれる。友人とも話しが合わなくなってくる。子供がいないから、ママ友も出来ない。私は孤立していきました。だからといって、疼痛があるから、何も出来ない。情けない。そんな自分が嫌いになっていきました。毎日、鬱状態、生活にハリがない。元々、ポジティブで、多動症気味の私にとって、こんな苦しみはなかったです。

 

続きはまた書くとします。

 

二年前に疼痛がピークになり、車椅子生活を送っていました。その私を救ってくれたのが今、服用している薬です。


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黄緑色の薬は、ノルスパンテープといい、一週間貼りっぱなしにする、経皮吸収型の薬です。これを初めは20mg使用。それから、横のトラムセット、下のリボトリールは服用薬です。正直、トラムセット、リボトリールは効いてるかどうかわからないです。しかし、ノルスパンテープのおかげで、車椅子から離れる事が出来ました。そして、この頃は週に一度、神経ブロック注射を首と腰に打って貰ってました。今はもう、注射はしていません。

ノルスパンテープも20mgから10mgに減薬しました。しかし、このノルスパンテープも病院によって、出してくれないところがあり、偶然行った病院で直ぐに出して貰えたのは大変ラッキーでした。

 

今はこのノルスパンテープを断薬する事を目標に頑張っています。ある目標があるのです。



今朝は7時45分起床。夫は7時半には出社している。いつものように、ミルクたっぷりのカフェオレを飲む。動画を見ていたら、ふと思いついた。「そうだ!慢性疼痛が少しでも楽になるようストレッチやヨガをやってみよう。」私が特に痛むのは、手術をした首と腰です。疼痛で動かないでいるから、余計に筋肉が固まって痛むんだと思います。わかってはいるものの、だるさや痛みで今まで殆どやらずにきました。しかし、今朝はちゃんとやってみようと強く思いました。何年ぶりかにヨガマットを持ってきて、YouTubeを見ながら首肩腰ほぐしを中心にやりました。あまりに久しく身体を動かしていないため、これまた、ものすごく疲れました。一時間半程やって、その後、縄跳びをしました。100回目標としていたものの、68回で足が上がらなくなりました。一日目ですから焦らず、何時まで続くか挑戦したいと思います。しかし、身体を動かした後はとても精神的に爽やかになって、身体が軽く感じます。気持ちも前向きになり、少し痛みが楽なような気がします。

しかし、激痛に変わるのが怖いので、ここで、薬を服用しました。

 

その後、夕飯の買い物に行き、帰宅して直ぐに犬の散歩に出掛けました。本当は一休みしたいのですが、ここで休むと痛みのことばかり考え、副作用で眠ってしまいます。

今の目標は、薬の影響で昼寝をしない事です。家の近辺は春めいてきました。
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この、1ヶ月断捨離をしています。

気付くとお風呂に入る時、携帯を入れる防水バッグに穴が。。100均で新しいのを買って捨てました。

新しいのはスタンドタイプです。
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横から見るとこんな感じ。
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私はカラスの行水でゆっくりお風呂に浸かれません。若いときシャワーに慣れすぎたようです。しかし、慢性疼痛にも、更年期障害にもゆっくりお風呂に浸かるのがとてもいいそうで、なんとか動画を見ながらお風呂に浸かるように努力しています。

 

なんの変哲もない一日ですが、2017年の夏から車椅子生活だった私にとって、ここまで独りでいろいろな事が出来るようになったことは、とても幸せです。

それでは、そろそろベッドに入りたいと思います。

はじめまして。mieと申します。私は神経障害性慢性疼痛という、治らない病気を持つ、50代前半専業主婦です。

8年前に再婚し、それと共にあまりの痛みに仕事を止めることにしました。子供はいません。

 

主人とは、知り合ってから15年。友達夫婦のように仲良くやっています。

この生活をさせてくれている主人には感謝しています。

家事は全て、私が行うよう頑張っています。

外食は経済的に負担ですから出来るだけ家でご飯を作るようにしています。

 

私は見た目は、健常者以上に元気そうなんです。長年の技で、激痛の時も笑顔でいれます。

だから、理解者はほぼゼロです。主人でさえ、痛みは本人にしかわからないものなので、たまに忘れているように思います。時々、いやしばしば、孤独を感じます。友人は遠距離にいます。ほぼ一人でいろんな事をします。しかし、あまり、人と群れたい性格ではないため、割と平気です。50代に入り、後どの位、生きれるかはわかりません。難病を持ちながら、出来るだけ明るく、したいことはしていくチャレンジ精神を忘れず、とにかく前向きに前向きに日々生きていこうと思っています。