hiroyo⭐️です

ご訪問ありがとうございます

 




先日から少しずつ書いている

フォーラムで聞いた池川明先生のお話の続きです



池川明先生は

胎内記憶を持つ子供たちが言う


「お母さんを守るために」とか

「お母さんを幸せにするために」とか

「人の役に立ちたい」とか


生まれてきた理由は

いろいろあるけれど




どうやら

「生まれてくる」ということは

「愛」を知る(学ぶ)ことと

深く関係しているみたいだと

おっしゃっていました。





それは愛だよ、とか

わたし自身もジーンと来たとき

「愛だねぇ。」としみじみと言いますが



たぶん、人類にとって

「愛」って

永遠のテーマなんだと思います、、、。





臨死体験をした人たちの話を聞いていくと

亡くなって宇宙の果てに行くと

ひとりひとりが光の粒になるそうで。


そしてまた

その光の粒には意識があり

その光が集まる宇宙の果ては

意識の海なんだとか!




そしてそしてまた

その光の粒は

ひとつひとつが愛そのもので

だから宇宙は

愛でできていることになるのだと!

文脈全部を文章にできずにザックリですみません!😅





愛でできている宇宙の

その先にあるこの世。


つまり

「この世のすべてのものは

 愛でできている」

ということになる、とのことなのです。






存在自体が愛という表現は

こういうことか、、とは思いましたが

そうだとしても



岩と岩が向かい合って

「あなたを愛しています」

なんて言わないですよねーと

例え話も飛び出し。

確かに!





でも

存在が愛なわけだから

岩に愛がないわけではなく


愛には二つの側面があるのでは?と

池川明先生は

仮説を立てていらっしゃいます。





ひとつは

存在そのものとしての愛。


誰かに愛されているから愛なのではなく

ただ「存在している」

それだけで

すでに愛であるということ。




そしてもうひとつが

愛する側と、受け取る側が

響き合うことで生まれる愛。


たとえば

どんなに親が子どもを愛していても

その子が「愛されている」と

感じるとは限りません。



逆に

親からすれば

十分とは思えない関わりでも

「私は愛されて育った」と

感じる子供もいることもある。





つまり、、

「愛があるか」

と

「愛を感じられるか」

は

別のことになるわけです。






愛は、すでにそこにある。

ミスチルも言ってた!

愛はきっと奪うでも与えるでもなくて

気がつけばすぐそこにあるものー♪

by、名もなき詩




でも

その愛と

自分の内側にあるものが

響き合わないと

私たちはそれを「愛」として

感じられない、、。





そう考えると


私たちは愛を探しに

この世に生まれてくるのではなく

探さなくてもそこにあるからね



すでに愛である存在たちが

この世界で出会い

響き合い

「この響きが愛なんだ」と知るために

生まれてくるのかもしれないなって

思います。






みなさんはこれまでの人生で

心の響きをどれだけ感じてきましたか😌❓





誰かと笑い合ったことも

誰かを大切に思ったことも

わかってもらえないもどかしさも

誰かを責めたくなったことも

憎くて仕方なかったことも

失って初めて気づいたことも

感動で心震えたことも

ズキンと心が傷んだことも



もしかしたら全部



この世界でしか味わえない

「愛を知る」という

体験なのかもしれませんね





年齢を重ねると涙もろくなるのって

それだけたくさん愛を知る経験をして

響き合える心になった証なのかもな

ってことも思ったりしました



「こんなふうに考えてみたときに、ちょっと生きやすくなったり、なんで生まれてきたか?とか、なんのために生きていくのか?がイメージしやすくなるならいいよね」という池川明先生の優しい情報提供をもとに、私が感じたことを書いてます✍️










最後まで読んでくださって

ありがとうございました

 

それではまたピンクハート





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