今よりブラックだったと思うこと・・・。
高校を卒業してスーパーマーケットに就職しましたがサービス残業と言うより「カッコつけ」でサービス残業が美学だと勘違いするバカが大半でしたね。
おじさんは早番で遅番もいる場合は定時で帰ってました
ちゃんとやる事やってもグチる同僚や上司もいましたが、
「今日はこれからパチンコ打つから帰ります」
と、はっきり言いましたよ。
後は建設業で出張に行った時は朝の6時開始で終わるのが夜の8時とかありました。
しかし地盤改良のモルタル製造と重機の手元だったので機械が動き始め たらヒマな時間ができ次第一服します。
他の建設会社にいた時は、途中入社で締め切り日まで15日稼働して手取りが1万3000円と言うのもありました
明細書に謎の諸式8万円が引かれていて、その上稼働日数もデタラメで事務所に言ったところ全額まではいきませんでしたが抜けていた稼働分は貰い、その後実家に連絡して、
「次は株式会社〇〇に決まったからトブわ。」
と言いました。
その後移った会社には癌が見つかるまでいました。
おじさんは基本的に仕事を断った事が無かったのと心友が事務員に上がったおかげで干された事は無かったですね。
かなりキツい作業や残業もありましたが辛いと感じた事はありませんでした。
因みにおじさんが経験したのは 最初の建設会社の
朝6時開始で終わるのが23時。
隣の工区では朝5時開始で終わるのが深夜1時。
休みは日曜日。
朝5時開始の工区では協力 会社が「請負」でやっていて万が一機械が止まった時の貯金として早出残業をやってました。
建設会社にいた時は酸いも甘いも経験しましたが、決して相手を恨む事は無く作業が終わればノーサイド
時には怒鳴られたりして1秒だけ凹む事はありましたが作業を終えた後の、
「お疲れさま~〇〇ちゃんのおかげで助かったよ~。現場出たら呼ぶからね」
「助かった」の一言でおじさんとしてはやりがいはあったと自負しております。
あっ、それからおじさんが「自分はこうだったから」と言うつもりは全くありません。おじさんのエピソードの一部として見てくれたら幸いです。