先月のビジネス塾で、建築業を営むSさんが

「正しい学びをしないと学ぶ意味がない。学ぶことが無駄になる」

という孔子の言葉を受けて、

「私はプロレスが好きでよく見るのですが、プロレスも悪役がいないと面白くないんです。だから『悪』も大切ではないかと思います」と言った。

全くその通りだ。

60分番組の『水戸黄門』も40分以上悪人の悪巧みをじっくり見せてから、

視聴者がこの悪人をなんとかしてほしいと思ったところで、助さん格さんが登場し悪人を懲らしめる。

最後は黄門の印籠によって悪人にとどめを刺す場面がクライマックスとなり、番組は終了する。

毎回同じパターンなのに人は飽きもせず見る。

そして溜飲を下げる。

勧善懲悪番組のロールモデルとなる最高の番組だ。

■誰もが善と悪を抱えながら生きていくのが人間

昔、母がNHKの大河ドラマを見ながら「これが悪いヤツで、あっちが良いい人間かい?」と父に聞いていたのを思い出す。

母にとっては時代劇は皆、勧善懲悪の番組に見えていたのだろう。

しかし、その母を私も笑うことはできない。

私の心にも、いつも人を見るとき、あの人は良い人、あの人は悪い人とレッテルを貼りたがる心がある。

しかし、よくよく考えてみると、それは単に私にとって都合の良い人、都合の悪い人である場合が殆どだ。

■「中間にこそ、真実がある」田中角栄

今SNSの発達も一因として、右か左か、正義か悪か、正しいか間違いかといった二元論に陥ってしまう人が増えている。

そのため物事の本質が見えづらくなり、苦しむ人が多いようだ。

人間は誰もが善も悪も、正義も悪も、正しい考えも間違った考えも、両方抱えて生きていくものだ。

アリストテレスは『中間に善はある』と説いた。

仏教は『中庸』を最高の教えとしている。

それを現実的に実践していく上で役立つ言葉がある。

今も多くの人に慕われている田中角栄の言葉だ。

「世の中、白と黒ばかりではない。中間にこそ真実がある」という言葉だ。

 

田中は党内の反対派の意見も、野党の意見もよく聴いた。

そうした行動が、多くの人の心を掴み、この人のためなら政治生命を投げ打っても良いと思わせた。

野党の議員にも、多くの田中ファンがいた。

また識者には100年に一人の大政治家と言わしめた。

「中間にこそ真理がある」は、人間の世界にあっては善も悪もない。

また「正しい」も「間違っている」もないと言うことだ。

そこにはただ、それぞれの人の意見があるにすぎないということになる。

そしてそこにこそ、人が寛容な人間として生きていくためのヒントが隠されているように思う。

 

 

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