エイプリルフールですね。

気の利いたウソも思いつかないので、逆にウソのような本当の話をお伝えしたいと思います。

 

 

実は本日、4月1日は、私の父方の祖父が亡くなった日です。

もう何十年も前、私がまだ小学校に入る前のことです。

 

祖父は九州、私たち家族は関東に住んでいたこともあり、また、当時は今よりずっと交通費も高い&移動時間もかかる、何より私が幼く覚えていないだけというのもあるかもですが、私が生前の祖父に会ったのは1回だけ。

 

祖父のお葬式で顔を見たのが2回目ではないかと思います。

祖父の父は、祖父が幼い頃に亡くなり、祖父の母が女手一つで苦労して育てたと聞いています。

 

だからなのかは分からないですが、当時の田舎の長男としては珍しく、祖父は農家ではなく、サラリーマンとして働いていたようです。

 

そろばん(計算?)が得意だったとかで、たしか銀行とか金融系に務めていたはず。

 

新聞かなにかの記事で、祖父が紹介されているのを見たことがあり、そこにはユニークなアイデアで、新規事業を打ち立てた、みたいな記載がありました。

 

そんな祖父も70代の頃、病気になり、横になることが多くなりました。

私の中の、祖父に1度だけあったという記憶は、この頃。

多分、余命短くなった祖父のお見舞いに、家族で行ったのだと思います。

 

祖父が亡くなり、私たち家族は再び、祖父の家へ。

そこで、祖父が亡くなった時のことを、私のいとこ達から聞きました。

 

祖父、祖母、おじ夫婦(祖父の子と妻)、いとこ達(祖父の孫達)。

一緒に住んでいた家族みんなでテーブルを囲み、お茶を飲んでいたところ、何か面白い話でもしていたのか、祖父が、

 

がははっ。

 

と笑い、勢い余って、後ろに倒れてしまったそうです。

みんなで心配して、大丈夫か?と駆け寄ったところ、祖父が亡くなっていたとか。

 

父親のいない子供時代を過ごし、大きくなってからは戦争を体験し、大変な人生だったとは思いますが、家族に囲まれ、笑いながらこの世を去った祖父の人生は、とても幸せな最期だったのではないかと思います。

 

当時は死の意味も分からないほど私が幼すぎて、なんとも思うことのなかった出来事ですが、ウソのような本当の話だなぁ。そして、祖父がいい最後を迎えられてよかったなぁと思います。

 

 

さて、本日の夫くんの練習メニューは、129分 26kmジョグ

痛めた左足の靴ひもは、やはりまだ緩くしか結べませんが、右足も含め、まぁまぁな状態には戻ってきているようです。