強豪校への入学を、やはりお父さんやお母さんは心配しました。

 

強豪校に入れば、どうしても陸上だけの日々が続くと予想されます。楽しかった走ることが、イヤなことやツラいことになる可能性もありますし、練習だけの日々で勉強や友達との遊びといった経験も難しくなるのでは。

 

そんな両親の心配の元、結局はスカウトを断り、夫くんは公立の高校に進みました。陸上部もあり、素晴らしい部員仲間もいましたが、そこには中学の時のように熱心な顧問の先生はいません。

 

公立なので仕方がないことではあるかもしれませんが、陸上経験のない、肩書きだけ顧問に名前を載せている高齢の先生しかいなかったのです。

 

夫くんは自分でメニューを組み、練習を積んでいきました。他の陸上部員とは別メニューでの1人での練習でしたが、驚くことに、輪を乱すなと怒る人はいなかったそうです。

 

1人で練習する夫くんを理解し、むしろ応援してくれた部員の方々に、ただただ感謝です。

 

当時の夫くんの練習メニューが、日々つけていた練習ノートに残っています。指導者がいない中での1人の練習。それは、想像すると心が折れそうな日々ではないかと思いますが、夫くんは手を抜くことなく、練習を続けていきます。

 

時には血尿が出るほどの練習の成果もあり、国体に出場したり、東北大会で10位となったりしました。また、今はなくなりましたが、青東駅伝にも出場。夫くんの夢は、箱根駅伝出場、実業団入団、そしてオリンピック出場と、大きく膨らんでいったのではないでしょうか。

 

ですが、運命がそれを許してはくれませんでした。

 

つづく