ガンジー主義とは? ~マハトマ・ガンジー~① | 夜と煙とアルコールと…

ガンジー主義とは? ~マハトマ・ガンジー~①



「臆病なものは愛を表明することはできない。愛を表明するとは勇敢さの現れである。」~マハトマ・ガンジー~

本名:モハンダス・カラムチャンド・ガンジー

1869/10/2~1948/1/30没
インド独立の父。マハトマとは「偉大なる魂」の意。インドでは「パープー」(=「父」の意)とも呼ばれていた。
ノーベル平和賞候補になったが(計5回)本人が固辞したために受賞していない。

インド(イギリス植民統治下)のポールバンダルでその地の宰相カラムチャンド・ガンジーの子として生まれる。
19歳でロンドンに留学、弁護士となる。
1893年南アフリカにて弁護士を開業。南アフリカの人種差別政策(俗にいうアパルトヘイト)と対峙する。
尚、この時、後の非暴力主義の根幹が形成される。
時はたち、第一次世界大戦の際、イギリスより将来の独立を担保にインドに協力を求める。
ガンジーは約束を信じ、インドの人々に協力を呼び掛ける。しかし、イギリスが戦争に勝利後、独立は問題として取り上げられなくなった。

第一次世界大戦後、インド国民会議に加わり、不服従運動を起こす。また、イギリス製品の不買運動も始めた。
これらの運動によりガンジーは度々投獄される。特に「塩の行進」と称されたイギリスの塩税に抗議した運動は有名である。
~続く~