今、映画「Michael」の話を見て、少し複雑な気持ちになった。
もちろん、マイケルがこうして作品になること自体はすごいことだと思うし、流石なことで、嬉しいと感じる人もたくさんいると思う。
でも、私の中では少し違った。
何か違和感を感じてしまう。
私にとってのマイケルは、世間が見ているような「スーパースター」や「ダンスのすごい人」ではない。
むしろ、もっと静かで、もっと内側にある存在そのものだった。
作品を通して感じてきたのは、愛や祈りのようなもの。精神性の豊かさ。
そして、子どもたちへの深い愛と、弱い立場の人への思いやり、そして目に見えないものへの感覚に対する繊細さ。
それは、ただのパフォーマンスではなくて、
内側から自然とあふれてくるもののようなすごいパワーの源のように感じる。
だからこそ、今回の映画に対して
「本当にどこまで表現されるのだろうか?」という違和感みたいなものを感じたんだ。
もしかしたら、多くの人はまたダンスや外側の華やかさに目を向けるのかもしれない。
でも、私が受け取ってきたマイケルはそこではなくて、
もっと内面的で、深くて、スピリチュアルで、
言葉にならない力を持ったそんな存在だった。彼は愛そのものだと思っている。
この感覚はうまく言葉にはならないけれど、
作品から、または違った感覚から、意識から、同じように感じている人が、どこかにいるかもしれない。
そんなふうに思って、書いてみた。
もっと言う事がある気がするけど、うまく今言葉には出来ない。
この感覚はとても大切な存在。
人はそれぞれの違った見方があると思うけれど、私のこの感覚を残しておきたいと思った。
