もともと気になっていた『ヴァチカンのエクソシスト』がアマプラに入ったということで、早速見ました!

個人的にはスラスラと見ることのできる、かなり好きな映画でした!

『死霊館』のシリーズが好きなら一見の価値ありと思います。

 

時代は1987年。日本で言うと昭和が終わろうかという頃。

主人公はローマ教皇直属のエクソシスト、ガブリエーレ・アモルト神父です。

実在したエクソシストの回顧録でもあるこの映画では、神父は気風も恰幅も良く、信仰心の強い人物として描かれています。

恐らくアモルト神父が60歳代の話だと思われます。(ご本人が逝去された年から映画の舞台の年代を逆算しただけですので、映画での設定はどうなっているのか正確なところは分かりませんが)

聖職者ではありますが、アモルト神父の言葉遣いは軽妙で、お酒を嗜んだり、こじんまりとしたスクーターに乗って移動する姿もあり、堅苦しくない親近感が持てる好人物。私が好きなタイプの主人公です!

個人的に好きなのは、アモルト神父が女神の像やミイラになった司教に「友よ」と気安く声をかけるシーン。

こういう確かな敬意を持っているのに、ともに戦う仲間意識と信頼から軽率ともとれる態度になる朗らかさがすごく好きなんですよね~。

 

そんなアモルト神父が対峙するのは少年に取り憑いた悪魔inスペイン。

最強を自称する悪魔なのですが、自称するだけの強さが本当にあるのが本作の悪魔。

「冒涜またの名を悪夢」と名乗るこの悪魔は、少年の家族を苦しめ、地元のトーマス神父も惑わせ、アモルト神父の悔恨も引きずり出し、とにかく攻撃的に混乱を招いて暴れます。

 

悪魔は基本的にどの映画でも名前を名乗ってくれません。理由は諸説ありで、名前を知られると「服従しなくてはならなくなる」「存在を固定されて逃げ場が無くなる」など悪魔側にも事情があるようです。

また、エクソシストが悪魔祓いで名前を知ろうとするのは、新約聖書での中でイエスが悪魔を追い出す方法に則っているという話もあり、悪魔にとって名前を知られることはデメリットでしかないのでしょう。

今作でも「我はレギオン(悪霊の集団のこと、固体名ではない)なり、我はサタンなり、我は薄汚いベヒーモスなり」と言ってみたり、前述したように「冒涜またの名を悪夢」と言ってはぐらかしているので、悪魔の名前にどのように辿り着くかというのもエクソシスト映画の醍醐味と言えますね。

 

悪魔の正体に迫る中で、家族が諸事情で住むことになった教会の歴史や、中世ヨーロッパでのカトリック教会の宗教裁判についてのほの暗い話も知ることになり、ヴァチカンにまで悪魔の力が及ぶ壮大さもあり、退屈な時間が本当に無いです。

テンポがあまりにも良くてすぐに見終わった感覚でした。

 

終わりも非常にすっきりとまとめられていて、苦みはありません。

良い気分で見終わることのできる素晴らしい映画でした!

トーマス神父とアモルト神父のバディーもの続編があるなら是非見たいですね!