看護学校に入った時、私は31歳、他の学生の殆どが高校卒業したて。看護師になろうと決めるまでにも年単位かかり、受験に合格する為に勉強し、就職先を決めるのも大変で、とにかくよく頑張って合格したと、人生の中でもかなり濃密な時間を経てこの学校にいると思っていました。
 若い学生はとてもキャピキャピしていて、授業中に本読みを当てられた学生が簡単な漢字を読めなかったりすると、「こいつら何でこの学校におるんや?俺はこんなにも苦労してこの学校に入ったのに、周囲はこんなレベルなんか?」と、半ば若い学生を見下すような気持ちになっていました。

 そう思いだすと、周囲の学生に友好的に接することは難しくなりました。私の中で自分は頑張って入学した学生、若い学生は頑張らずに入学した学生、そんな線引きをしていました。

 今思うと、なんと心の汚れた大人だったのかと思います。

 そんな気持ちで学生生活を送っていたのですから、周囲にもピリピリ感を出していたでしょう。あの人は怖い人やと思われていたでしょう。そう思いたい奴は勝手に思っておけ、俺はお前らとは違うんや、ぐらいの気持ちでした。

 しかし、私の汚れた心がスゥーっと晴れる出来事がありました。

 ある授業で、『看護師を目指した理由』を一人一人発表していく時間がありました。もちろん私は伝えるべきことの材料は揃っています。きっと他の学生は大した理由もなくこの学校に来てるんやろう、と決めつけていました。

 すると、いつもはキャピキャピしている学生も、本読みで簡単な漢字が読めない学生も、発表の時には顔つきが変わり、しっかりと看護を目指した理由を発表していました。

 私は驚きました。そして猛省しました。

 「あ〜、看護を目指すということは、それなりの出来事があって、大きな決意の元で、この学校に入学した人ばかりなんだ、高校卒業して何となく大学に進学する学生とはハートが違うんだ、俺は完全に見た目だけで人を判断していた。」そんな気持ちになりました。

 看護師は人の命に携わる仕事、中途半端な気持ちでは目指せない仕事、それを18歳の彼女達が目指している、私なんかよりも精神的に大人で立派です。そう思うと学生生活でキャピキャピしていてもハートには熱いモノを持っていることが分かりました。

 その日から私の気持ちは軽くなりました。そして若い学生ともたくさん話しをすることができました。学生時代は本当に楽しく過ごせたのは、他の学生のおかけだと思っています。

 人は外見と中身は違うのはきっと誰もが知っているけど、どうしても先入観が勝ってしまうことを経験した人は多いでしょう。私は職場に新しいスタッフが異動してくる時に、事前情報が耳に入りますが、極力その情報を排除してゼロから人を見るようにしています。それは学生時代に若い学生が私に教えてくれた出来事があったからだと感謝しています。

 あの時18歳だった彼女達、あれから20年経って、みんな看護の現場で活躍しているのだろうか?久しぶりに会いたいなぁ、と懐かい気持ちになりました。