看護学校で大変な事で先ず挙がるのが実習です。学校とは違う環境で病院の看護師さんから直接指導を受けたり、入院患者さんに看護計画を立てて看護を実践したり、それだけでもストレスなのに、実習記録という睡眠を妨げるものがあります。書き物が得意な人はスラスラと書けますが、苦手な人は徹夜に近い状態で次の日の実習に望むこともあるようです。

 ここで、要領の良さが試されると思いました。

 実習記録は次の日の朝に提出です。そして、朝には病院スタッフに向けて本日実施する看護計画と目標を発表しなければいけません。
 そこで指導が入ることもよくあり、計画が曖昧だと実習させてもらえないこともあります。入院している患者さんに看護を実践するのですから、曖昧な計画では患者さんに失礼なので、当たり前といえば当たり前なのですが、その当時はそこまでの理解はなかったのかもしれません。実習を乗り切ることで精一杯だったと思います。

 私も実習がスムーズにできるよう、記録も手を抜かずしっかりと書いていました。最初は書いていました、最初はね。
 ある出来事をきっかけに記録が苦でなくなったのです。

 しっかり調べて、しっかり考えて、しっかり記録を書いても、朝の発表で指導者さんから指摘されることはよくあります。あんなに頑張ったのにと少し被害的なることもよくありました。

 ある日、看護記録を書いていたときに少し気が緩んだのでしょう、寝てしまったのです。気がつけば家を出る1時間前です。やってもうたぁ〜どうしよう、どうしよう、記録半分も書けてない、もう諦めて謝るか、いや、やれるとこまでやろう、できる、なんとかなる、俺はできる‼︎
 そこからは凄い集中力とスピードで記録を書き上げました。しかし、こんな力技で書いて深く考えていない看護計画、突っ込みまくられて凹むんやろうなぁ、とビクビクしながらの発表。指導者さんから出た言葉は、「うん、いいわね、はい次の学生さん。」

 呆気なかったです。そして気持ちが軽くなりました。こんなものか、時間をかけて書いても、短時間で書いても、結果はその時々で違うし、時間をかけたら良いものができるとは限らないのだと。

 何でも必死になることが必要な時はあります。しかし、必死になり過ぎて大事なものが見えなくなることもあります。自分の出来る範囲でやることも大事で、メリハリも必要です。本当にやらなければいけない時は必死でやればいい、どうしてもではない時は少し手を抜いてもいい、必死でやることとそうでないことの線引きは人が決めるのではなく自分が決めるのだ。自分で決めた線引きはどれだけ頑張っても納得ができるし、頑張れる。そんな風に考えれるようになりました。

 それからは記録にかける時間を減らしたり、場所に拘らず書いたり、適度に手を抜いたりと記録がそれほど大変と思わなくなりました。そうすると、実習自体もそれほどしんどいものではないと感じ、看護師になるためには誰もが通る道、それを自分が達成できないわけがない、同じしんどいことするなら楽しみながらやろう、そんな目標を立てて実習をしていました。

 今は実習のしんどいことは思い出しません。楽しかったことや頑張ったこと、笑えたことを思い出します。

 同じことをしても自分の捉え方で見える世界は変わってくるのですね。生きていく上では大切にしたいことです。