
岡山県出身として、24年間の現役生活を終えた。
思い出としては、巨人時代の2番ショート川相のアナウンス、簡単に魅せるバント、堅実な守備。バントだけでなく、打撃ではチームバッティングができる選手でした。
地元の岡山でサイン会があったとき、並んでサインをもらったこともあります。
いまでも、サインは大事にしています。
川相選手は、1983年巨人にドラフト4位で入団し、高校時代は投手、プロ入り後野手に転向し活躍するまでにも長い時間がかかっている。入団直後はいつ消えていってもおかしくない目立たぬ野手だった。
しかし、1989年、藤田元司監督が就任して、ついに川相の潜在能力は苦労をかさね引き出さた。結果レギュラーの座をつかみ、川相は藤田政権にとって欠かせない選手となっていった。
1991年にはシーズン66犠打を残して自らが前年に作った日本記録を8個も更新した。
でも、バントだけではない。巨人のショートを長年守り続けた川相の守備は定評がある。一軍に上がってきた頃は守備固めで起用されていた。ことからも分かるように、堅実でしかも守備範囲が広く肩も強い。6度ものゴールデングラブ賞に輝いている。
だが、悲しい決別、巨人との別れもあった。2003年現役を引退し、原監督の下でコーチとなることを決断する。だが、シーズン終了前に事態は急変し、原監督退任になり、川相の立場は宙に浮くことになった。その扱いから巨人への不信感を抱き、他のチームでの現役続行を決意した。以前に巨人で一緒にプレーした落合監督の中日にテスト入団することとなった。
その中日入団から、3年。ついにユニホームを脱ぐ決断をした。
置き土産として、自らの世界記録を更新する通算533個目のバントで締めくくった。
24年間の現役生活おつかれさまでした。
いつか笑顔で巨人に戻ってきてくれると信じています。