(まりさんのブログより)


まり「自分が口にするものや身に付けるものに対して、それらにどういう過程があったのか、使用することによってどんな影響があるのか。誰に利益が入るのか。
何にでもバイアスがかかっているのは当たり前の事ですし、いちいち色んなことを気にしていたらキリが無いですし、矛盾してしまうこともあります。
だからといって全く何にも考えないっていうのは私は大人とてしちょっと違うと思ってます。」



子供のころは、生まれ育った慣習のまま生きていたとしても仕方がなかったけれど、大人になって、自立したら、選択をすることができるんだから、そうしたら自分で考えて、そのためにいろいろなことを学んで、自分の生き方(仕事、衣食住、ほか)を選んだらいい。というか、考えるべき。つまり、学ぶべき。



ダウン(羽毛)は、生きたまま、抜かれる。また生えてくるのを待って、また抜く。そのくり返し。

動物虐待にほかならない。残酷なことをして得られたのが、羽毛なのだそうだ。


子供の頃、繭(まゆ)を茹でることを残酷に感じて、恐ろしいと思ったものだったけど、他にもたくさんの残酷なことが、行われているんだな。拷問どころではないことを。



(正直、おれとしては、肉体的苦痛より、精神的苦痛のほうが、ひどいことだと思うし、「自殺」するという人間の苦しみこそ、第一に取り除きたいと思うこの世の『問題』なのだけれど)



人間にとって、人間の暮らしやすさこそ第一に考えるべきであるという意見もあろう。

でも、物質的な豊かさが、心を豊かにするわけではない。物質的な貧しさが人を追い詰めていることを比べて、そう考えるのだろうけれど、実際は、人は物質的豊かさを向上させても、それに慣れてしまい、悩みが贅沢になるだけだから、結局、永遠に物質の力のみで幸福を得ることなど出来はしないのだ。

(…この辺りの話になると、ちがうテーマになってしまう。それは別ブログで)



鶏肉は比較的平気といっても、「生き地獄」を何とも思わないはずはなく、

魚は全く平気だと言いながら、釣り針が口に刺さるのを見て痛々しく思ったり、

おれの感情も勝手なものだ。


単に、自分に置き換えて、どう思うかを感じているだけなのか?

しかし、それでいいんだよな。

「自分のことではないのに自分の身に置き換えて考えることができる」というのが、人として大事な心なのだから。



その大事な心を、欠如せず持ち合わせて、

①同じ人間に対しては、必ず考えることができる人…これは人類全員でなくてはならない。同じ人間として。

人以外の動物にも、その気持ちを持つことができる人…これが「ただの人」以上にやさしい人。

③植物にまで、その気持ちを働かせる人…これは、おれにとっては、やさしすぎる人だな。



やさしいほど、生きるのはつらい。つらい現状はたくさんあるから。

ただやさしいこと(行動ではなく気持ちのやさしさ)を求めるのは、その人に対しては、ひどい面もあろう。

でもそうやって、やさしい人が増えていき、政治を変え、国を変え、世界を変えたら、それができたら、

やさしい人もつらい思いを最小限にして生きられる世の中になるよな…


まりさんの願うずっと未来の世界が、そういう基準で考えられた世界であることが、いいなって思う。

以前のおれなど、ただ科学技術の発達した未来しか想像できていなかったもの。



加害者にならないこと。その加害者が益を受ける手助けをしないこと。それが個人としての第一歩か。






(おれは、加担してしまっているけれど、何しろおれこそが…)