一ノ瀬萌プロのブログを読みとても興味深く感じ、考えさせられました。

彼女とは面識はないが彼女の店にはたまに打ちに行くしブログはよく読ませてもらっています。

そのしっかりした考え方や麻雀界への思いは尊敬に値するものだと思います。

影響を受けたから今回書くわけではありませんが,私のプロ麻雀団体への思いを綴ろうと思います。



麻雀プロ団体の体質の問題。麻雀プロの定義の問題。プロ一人一人の技術、知識、情熱の低さの問題。

現在ある問題はあまりに多くそして根深いです。


私はまだ団体内で末端の人間であり無力な一麻雀プロ見習いです。

上の人たちが何を考えてるのか?何をしてきてこれから何をしたいのか。それすら知りません。

ただ今のこの業界が決してベストな形ではない事はわかるし、まだまだ何とでもなる。


だから私は麻雀界のために何かしたいと思い・・・・・・・・いや、はっきり書きます。

「私は麻雀界を完全に作り変えるため」にこの世界に入ることを決めました。

ですが今の私にはつたないビジョンとわずかなコネしかありません。


まずは自らの目的の為にタイトルをとるなどの結果を出して団体内での発言力をもつことが最低必要だと考えています。何も持たない人間の話などホイホイ聞いてもらったら困ります。

私が発言力を持てるようになるまでにどれくらいかかるかわかりません。

まずは10年。

静かにゆっくりと。だが確実に目指すものに向かっていきたい。


この日記がこれからの私の進む道の第一歩になることを願います。



その日俺はツキというものがまったく無い状態だった。


俺は神もおばけも信じないしツキに存在は感じてもツク方法なんて理解できない。


麻雀は計算と読みのゲームだ。

 

何を計算し何を読むのかというのが重要なんだが一言で説明できるはずもないので今は割愛するが俺は今まで麻雀と言うものはそれを的確にこなしたものがトータルで勝つゲームだ。

これが麻雀の基本か本質かそれとも的外れか俺にはその答えは出せないが少なくとも今までその考えで

勝ってきた。


だがどうしようもない状態というものはやってくる。誰でも経験があるだろう。その内容はありきたりなありえない事〔確立的に薄い事〕の連続だ。具体的な状況は想像してもらいたい。



そんな時でもおれは淡々どんな状況でも同じ打牌を刻む。〔もちろん単純な牌効率だけで打つ訳ではない〕


流れが悪いときは動いたほうがいい。とか普段と違う打ち方をするんだ。とか。

いろんな意見があるだろう。否定はしない。それどころか流れをよくする方法があるなら進んで聞く。


ただその人はその打ち方で勝ってきた。俺は今まで俺のやり方で勝ってきた。

だからいろいろな人からいろいろな意見を聞き、そしてやはり頑なに同じ打牌を選ぶ。


デジタルと呼ばれる打ち方は今の俺と同じ打ち方だろう。ただ俺が頑なに同じ打ち方を続けるのは「少々打たれたぐらいで打牌を曲げる打ち手が勝ちきれるのか?」

といった極めてオカルティックな考えからだ。

ここでの勝ちきれるとはその日一日のことではない人生レベルでの話だ。そして自分の計算と読みの精度を少しずつ上げていく。

いや、あがってると信じ込んでいると言うべきか。


これが固定概念なのか信念なのか。

愚かであることには違いがないのだが。


ただ、苦しくてもその日ぼろ負けしようとも、俺は今日も同じ打牌を刻む。これが自分の糧になると信じて。




追記


ちなみにこれは割りと安いレートで打ってる時であり、レートが高い時はそれに「いかにして止めるか」という思考も入る。

・・・・・・・止めれないときも多いのだが








最近増えてますよね。牌牌が自動で出てくるやつが。


確かに卓のまわりが圧倒的に早いですよね。だから雀荘の卓をもっとまわしたいという、思惑を受けバキバキその勢力をのばしています。


「俺は四枚ずつ牌を取りたいんだ。」と配牌を取る行為そのものを楽しんでいる人もいるでしょう。

「全局に役満をあがろうが打とうが次の局の配牌が変わらないのは納得いかない」というのもあるでしょう。

あるいは牌の偏りを嫌がる人もいるでしょうか。


私もサイを振らないのは抵抗があります。取り出し位置がありえない〔対9とか右5とか〕のもルールが変わるようで嫌ですね。


ある麻雀プロが「麻雀はさいころを振ることにより他家と自分の運を戦わせて勝ったほうに好配牌がくるもんだ〔親番時〕」なんて事を言っていました。それが真理か気のせいかは解りませんが。。。。


しかし、上のような意見は多かれ少なかれ皆様持たれている事でしょう。



んでいまのこの状況は今から25年から30年前に全自動卓が雀荘に広まり始めたころととてもよく似ていると思いませんか?

「機械が山を積むなんて考えられない」

「俺は山を積みたいんだ」

「前局からの流れが。。。。」

「積み込めねーだろ」

さまざまな麻雀打ち達の批判があったことでしょう。〔私の生まれる前の話なんで資料でしか知りませんがこの頃はかなり全自動卓は重宝され料金も違ったそうです〕


かの有名な麻雀の鬼の人も「全自動卓が広まり麻雀はまったく別のゲームになった」と言っていたのを覚えてます。〔今回の変化は何て言っているかぜひとも聞いてみたいものです〕


さて、今までの全自動卓から配牌が出てくる全自動卓に手積み雀荘から全自動卓雀荘の変わったように浸透していくのでしょうか?


年配の方や麻雀を深く考えてきた人はいやがるでしょう。

ただ、今はゲーム、ネット麻雀全盛の時代です。

東風荘やファイトクラブで麻雀にはまった人たちには案外すんなり受け入れられるのかもしれません。

事実急速に広まっているのはWやZといった0,5、0,3の若者中心の店ですし。


ゲームやネット麻雀人口がどんどん増えリアル麻雀人口が減ることも自動配牌卓も時代の流れで今の私にはどうしょうもないことかもしれません。

ただ私は個人的に麻雀を機械任せにすればするほど麻雀が薄いものになるようで少しだけ憂いています。



その店はマンションと言われる種類の店だった。


俺はその店の常連だった。通い始めてかれこれ一年たつだろうか。

今日も玄関でいつものようにマスターが迎えてくれる。


「いらっしゃい。まだ誰も来てないんだ。座って待っててよ。」


俺はソファーに座り出されたコーヒーを飲みながらテレビを見る。

今日はもしかしたら面子が揃わないかもしれない。


この店はほとんど常連しか来ないし新規の客なんて見たことない。

もしかしたら1年前に奇妙な縁でここに来るようになった俺が最後の新規かもしれない。

まぁ点5のフリーなみに新規の来るマンションなんてありえないしそんな店危なくて行けるわけないのだが。

何だか待たされてる間にぼーっとしてたらどんどんテンションが下がりどんどん帰りたくなってきた。

帰ろっかな。。。。。


とか考えてた矢先にマスターの携帯がなった。

「ああ、Gさんおはようございます。今ですか?dio君が一人お待ちです。え?ああそうですかありがとうございます。これで卓が立てれます。」


どうやら常連(といっても来る客の半分以上は常連なんだが)のG氏が誰かを連れて来るらしい。

G氏はかなり強い部類の打ち手だ。いや、この店で1、2を争う腕だろう。G氏の打ち筋やエピソードは後日に譲るが、その打ち方は独特でかっこよく何より強かった。


言い忘れたがここのレートは面子にもよるが基本的に高い。マンションなんだからあたりまえだが。一晩で大卒サラリーマンの初任給ぐらいは軽く勝てるし負けれる。

麻雀で勝つ基本は強い人と打たない事である以上、大事な金の為に自信がない時はしっぽを巻いて逃げるにかぎる。

卓は立つ事になったが俺はますます帰りたくなった。



だがここで帰るわけにはいかない。逃げるのがかっこ悪いとかいう見栄でも強い人と打って強くなりたいという向上心からでもない。

G氏は俺が待ってる事を知っていてここに来るわけだ。

だからここで帰るのは来ても卓が立たなくなりあまりに失礼だからだ。

こういった場では対局相手を怒らしたり嫌われたりして何の得もない。だから俺はここでは対人関係に麻雀の内容なみに気を使っていた。負けてフテルなんてありえないし言葉遣いも最大限に気を使った。

どう考えてもブッチギリで年の若い俺は常連全員にかわいがられるぐらいの態度でなければいけない。

実際俺は勝ち頭であるにもかかわらず相当かわいがってもらっている。


いつからだろうか、年長者への礼儀や目上の人間を敬うといったあたりまえの事でも俺は意識しないで計算してやっている。

麻雀で勝つために。

俺は今、多分嫌なやつなんだろう。


そうこう考えてる内に俺を諌めるように呼び鈴がなった。



・・・・・・さて、麻雀だ。



はじめまして。

DIOといいます。


かつて私は麻雀を打つことで収入を得ていました。いわゆる裏プロです。


かつて私は麻雀を打ってもらう事で収入を得ていました。いわゆる雀荘のオーナーです。


今はとあるプロ団体に所属しています。いわゆる麻雀プロです。


そんな私の現在と過去の日記をかわるがわる書いていきます。