戸田の聖飢魔IIのミサにて、6年ぶりに悪魔さまと再会。
1曲目にして(冗談ではなく)、涙が沸々と溢れてきました。
(♪~涙があふれる おやすみ あの頃 あの場所 あの歌♪
という曲を思い出す。Good Night Melodies)
日常生活にて、心の底から 「生きてて良かった」 こう思えること、
みなさんにはありますでしょうか?
この時の気持ちはまさにそう 「生きてて良かった」
聖飢魔IIと共に過ごし解散を見届け、翌年。半分死にかけ。
「もう生きる意味はないよ」 と何度思ったことか・・・。
いう事をきかない身体と、一人で立ち上がることもできない病床で、
それこそ羽をもがれたように、気力も吸い取られたあの頃・・・。
(♪無理して 飛んでた あの頃~♪「白い奇蹟」)
そして今、もう二度とは見られないと思っていた、聖飢魔IIが
ステージで、「あの時と同じように」同じ姿で人間を虜にしている。
まさに白い奇蹟だ・・・。本当に♪このまま時をとめ・・・♪「白い奇蹟」
そう思わずに思えませんでした。
信者も熱かった。こんなにたくさんの人が、彼らの帰りを待っていた。
解散してから、信者になった人もいるという、そんな人も含め、
誰もがこの想定外の復活劇に感動をおぼえたことでしょう。
本当に素晴らしいものの記憶は薄くなれども、決して消えることはない。
そして、いつか、チャンスさえあれば、また復活することもある。
その時は、彼らを心待ちにしていた人が、熱く心から復活を祝ってくれる。
その復活劇が、そこにあったのです。
なんというか・・・、感無量。
【10枚しかないというレアものらしい】
私が持っていていいのでしょうか?
「信じる者は『儲かる』(漢字のことです)」と閣下は仰るのですが、
信じていて良かった。生きていて良かった・・・これほどまでに、
自分の「生」を喜ばしいと思えること。
そう思わせてくれる『聖飢魔II』の存在に、心から感謝します。
先日、mizzy母からも聞き、またご存知の方も多いかと思いますが、
朝日新聞にて「デーモン閣下」を賞賛するおばあさんのコラムが掲載
されたといいます。
相撲ファンとして知られる閣下が、琴欧州のことについてテレビ番組で
語っていたのを(この内容、曖昧です。すいません)、あるおばあさんが
観ていて・・・、“こんな見かけの人だから、何を言うのか!?”と思っていた
ところ
「本当に相撲を愛しており、真面目に語っている。が、自分は
見た目で判断をしてしまった。このような人(方ですね)が、これからの
相撲界には必要で、解説者となったりするのが良いのではないか」
・・・つまりは見た目だけで、勝手な思い込みだけで、判断するな、
そういう事です。
私が聖飢魔II、聖飢魔IIということに対し、読み飛ばす人も多いかと
思います。ただ、私はこれまで何百本というライヴを観て来ました。
それでも、戻ってくるところはココなのです。
もし、「聖飢魔II=蝋人形の館 ∴→興味ない」
そう思われているとしたら、あなた・・・人生を損していると思う。
聖飢魔II以外にも、そのような偏見の目で、本当に良いものを見逃して
いるんじゃないかな?
確かに「悪魔の顔」 「デーモン閣下のキャラクター」
敬遠しがたい要素は山ほどあるでしょう。
ですが、そんなマイナスを抱えながらも、彼らは大きなプラスとなり解散
していった。それがどれほどの努力と、魅力を持っているか。
この会場に集った人、これから彼らを観に行かれる方はもちろん、お気づき
でしょう。
特に音楽を愛する人、もちろんそれ以外の人も・・・
「偏見を持って、見もしない、聞きもしない、触れもしない、食べもしない」
そうやって人生を過ごしていないでしょうか?
「もっと早く彼らに出会っていれば良かった」
初めて聖飢魔IIを観た人の感想は、おそらくこんな感じではないのかな?
他にも、「もっと早く気付けばよかった」 そう思うことはないのかな?
偏見を捨てよ!
穿った見方も偏見を捨てるための一つの方法なんだけどな。
世間体が気になるのか? それならば、世間の目という画一的な
“自我のない世界の中”で一生を過ごせばいい。
この世を去る時に「良い人生だった」と思える人と、何も思わずに死んでいく
人の差が、この『偏見』の有無にかかっているのではないかな?
何かに熱くなれない人、好きなものは何?と聞かれ、言葉に窮する人。
悪いけど・・・可哀想だな。
感動してむせび泣く、喜怒哀楽を忘れた人たちは、歌詞ではないけれど、
アンドロイド達だね。
もちろん、聖飢魔IIを好きな人は、人間として、感情を持った一人として
これからも生きていけるよ。
6年前の魂を抜かれた私から、一気に血の気の通った人間に戻れた
気がします。
・・・昔の仕事の手前、信者のみなさんが知りえない事も私は知っている。
それを恨まないで欲しい。私の気持ちはただ一つ。16年前から変わらない。
彼らを知ってもらいたい。一人でも多くの人に気付いてもらいたい。
それを伝えたい。
「私は伝えるために生まれてきた」
今でもそう思っています。
今回のミサ、全部には参加できません。ですが、可能な限り、彼らの事を
伝えていきたいのです。表も、伝えていい裏も含めて。
自分の損得ではなく、「伝えたい」という気持ちの行き着く先が、
こうして書くことなのです。
これを読んだみなさんには、それを理解していただきたい。
好きな音楽があっても、他のものに耳を傾け、確固たる自信を持った上で
「私はこれが好きです!」そう言ってください。
木を見て森を見ず。
一つだけを応援するからには、根拠をもって応援して欲しい。
そして、「嵐の予感」という曲にもあるとおり・・・
♪君は何をやり遂げるために 生まれてきたのか♪
みなさんはこのクエスチョンに答えられるかな?
最後に・・・、みんなに愛されたモリゾーも復活する。
そう、本当に人々に愛されたものは決して消えることはない。
記憶の中はもちろん、いつの日か、また目にすることができる。
本当に、心から自分のアイセルものをみつけ、それを心の片隅におきながら、
生きてください。きっと、悔いなく幸せに死んでいけると思うから。
今からでも遅くはない・・・本当に好きなものを見つけること、
これが、楽しく、悔いなく生きていくためには必要だから。
6年前と変わらぬスタッフの姿を見て、実はここでも泣きそうになりました。
「みんな、戻ってきたんだね・・・」と。
また、モリゾーのこと、書きます。
ご拝読、ありがとうございました。

