パリへ出発の日 母と兄との別れ。 | 水谷孝のブログ「つれづれなるままに」

おはようございます!

 

みなさんご機嫌いかがですか?

 

いよいよ日本を発つ日がやって来ました。

 

成田空港へは、兄と叔父(この叔父は、母の弟で僕と兄が幼い頃から、僕たち兄弟の父親代わりになってくれた叔父でした。)と親友の○羽の3人が見送りに来てくれることになりました。

 

成田空港出発の日は、親友の○羽が、彼の車で浅草の橋場の僕の実家まで、僕と叔父を迎えに来てくれました。

 

母は、僕との別れの時も、いつものように気丈に振る舞っていました。

 

母はたった一言「私は空港には行かないから。体に気をつけて。」とだけ言いました。

 

やはり空港での別れは辛かったのでしょう。

 

2年前までは、12年間息子と嫁と孫の二人に囲まれて、賑やかに暮らしていたのが、2年前からは、僕と母の二人だけの静かな暮らしになり、そして僕がスペインに行ってしまうと、母は一人になるわけですが、最後まで涙も見せず淋しい顔も一切見せず、気丈に振る舞ったのは、さすがだなぁと思いました。

 

実家を出た僕たちは、次に実家から車で5分のところに住んでいた兄を迎えに行きました。

 

兄のマンションに着き、僕が玄関のチャイムを鳴らすと、兄嫁がドアーを開けて、開口一番にこう言ったのです。

 

兄嫁「困ったわ。正和さん(兄の名前)布団を頭からかぶったまま、顔も見せずに、成田には行かないって言ってるのよ、、、」

 

僕「どういうこと?」

 

僕は兄嫁が言ってることが理解出来ませんでした。

 

とにかく兄のところに行きました。

 

兄のところに行くと、兄嫁が言った通り、布団を頭からかぶったまま、顔も見せようとしなかったのです。

 

僕「おはよう。もう成田に出発する時間だぞ。起きろよ。」

 

と声をかけると、布団を頭からかぶったままで、、、

 

兄「俺は成田に行かないよ。だからもう行っていいよ。」

 

と言ったのです。

 

何とその声は、涙声だったのです。

 

兄は子供の頃から「男は何があっても泣くもんじゃない」という精神の持ち主だったので(僕も似たりよったりでしたが。笑)、どんなことがあっても、絶対に泣いたことがありませんでした。

 

僕が兄が泣いたのを見たのは一度だけでした。

 

それは僕が23才から28才の時まで、兄と同じホテルで働いていた時のことで、僕の退職が決まり、僕の送別会の時に、兄が初めてみんなの目の前で泣いたのです。

 

子供の頃から、絶対に泣いたことがなかった兄が、僕の送別会で泣いた時はさすがに驚きましたが、僕の日本出発の日に、布団を頭からかぶったまま、顔も見せずに泣きながら「俺は成田には行かないよ」と言った時は、送別会で初めて兄の涙を見た時以上に驚きました。

 

女の母が涙も見せずに、気丈に僕を送り出してくれたのに、男らしい(はずの)兄が、頭から布団をかぶったまま、しくしく泣いて顔も見せなかったのですから、一瞬「夢じゃないだろうか?」と思いました。

 

僕と兄は、父親を幼い頃に亡くし(兄が4才で僕が1才の時でした)、兄が9才で僕が6才の時から、四畳半一間のアパートで(それまでは祖父母の家で、みんなで一緒に暮らしていました。)、外に働きに出ていた母が、仕事から帰って来るまで、いつも二人だけで過ごしていたので、両親が揃っている普通の家庭の兄弟に比べると、僕と兄の間にあった兄弟愛とか絆というものは、とても強いものがありました。

 

そういう事情があったので、僕のスペイン永住は、僕が思った以上に、兄にとってとても悲しく淋しく辛い別れだったのかなぁと思いました。

 

それでも、最後の別れの瞬間に、成田空港まで見送りに来ないのはいいとしても、せめて最後に一目だけでも顔を見せればいいじゃないかと思った僕は「最後なんだから顔くらい見せろよ。」と言って、力づくで掛け布団を引きはがそうとしたのですが、兄も渾身の力で、絶対に掛け布団をはがされまいと頑張ったので(笑)、とうとう兄の顔を見ることが出来ませんでした。

 

仕方がないので、布団を頭からかぶったままの兄にむかって「それじゃあ遅くなるから行くよ。元気でな。」と言って、兄の家を出たのでした。

 

ちょっと淋しい別れになってしまいました。

 

叔父と○羽は、兄がいないのを見て怪訝な顔をしたので、叔父と○羽に「兄貴は成田に行かないって言うから、我々だけで成田に行こう。」と言って、一路成田に向かったのでした。

 

成田に着くと、思いもよらず、僕が23才から28才の時まで(兄と一緒に)働いていたホテルで、僕をとても可愛がってくれた、○本さんという、元上司が見送りに来てくれていたのです。

 

この○本さんとは、数日前に直接会って、別れの挨拶を済ませていたので、まさか成田空港まで最後の別れに来てくれるとは思ってもいなかったので、とても嬉しい気持ちになりました。

 

ちなみに、この○本さんという人は、僕以上にサムライ精神ガチガチの人で、口癖が「現代の世の中は好きになれない。サムライとして幕末に生まれたかった。」というもので、常に男らしさを大切にしていた人だったので、兄と同じように「男は何があっても泣いてはいけない」といつも言っていたのですが、何と僕の送別会の時に、みんなの前で兄と二人でオイオイ泣いたのです。

 

誰よりも男らしさを売り物にしていた、兄と○本さんの二人だけがオイオイ泣いていたので(他には誰も泣いていなかったのです。)、心の中で「笑ってはいけない」と思いながらも、柄にもなく泣いていた、二人の泣き顔が可笑しかったので、僕は笑いをこらえられなくなって、二人を見て笑ってしまったのです。(笑)

 

この○本さんとは、僕が入社した時から、上司と部下の関係を超えて、不思議なくらいに気が合ったので、退職後は元上司と元部下でありながら、年齢の離れた親友のような関係になったのです。

 

僕がスペインに永住してからも、僕が日本に帰国するたびに○本さんに会って、一緒に昼ご飯を食べ、それから二人が観たい共通の映画を観て、映画を観終わったら、近くの喫茶店に入って、美味しいコーヒーを飲みながら、夜遅くまでたった今観たばかりの映画の話をして楽しむ、というのが僕たちの習慣になったのです。

 

その○本さんが、僕に何も言わずに、成田空港まで見送りに来てくれたのです。

 

最後に兄の顔を見ることが出来なかったので、少し淋しかったのですが、思いもよらず最後の最後に○本さんの顔を見ることが出来たので嬉しくなりました。

 

神様はいるのだなぁと思いました。

 

続きは次回のお楽しみに!

 

それではまた来週の金曜日にお会いしましょう!

 

みなさんお元気で!

 

スペインのイルンより心を込めて、、、

 

水谷孝