ささえてくれた みなさまへ | あめっこの水玉にっき ~不育症になっちゃった~

出産が終わってからはバタバタとしそうで




もしかしたら気持ちを伝える事ができないかもしれないと思ったので


今 書いておこうと思います。






このブログを始めたのは、


3人目の赤ちゃんを流産した時からでした。




もともと無精者で日記なんか全然つけられない私が、ブログを始めたのは


たすけを求めていたからです。




もう 一人じゃどうしようもありませんでした。






傷のなめあいと言われてもいい、


なんでもいいから 同じ悩みを持つ人たちと交流したい。








それから たくさんの方と知り合って、


励ましてもらって、 どんなに力をもらったか知れません。




名前も顔も知らないお友達だけど、


人に言えないことを、 たくさん聞いてもらいました。




一番苦しいときに、 


一番ほしい言葉をくれました。




パソコンの前で何度、 涙を流したことか。






こんなに優しい人たちがいるんだって、


普通では知り合うことのできなかった人たちに、 こんなに支えてもらっている事がありがたかったです。




コメントをくれたみなさん、ペタをしてくれたみなさん、ただ読んでくれたみなさん。




そんなみなさんがいたから


今までやってこれた気がします。


一人じゃがんばれないことも、応援してもらってるからがんばれました。


見てくれていると思ったから、 がんばれました。






おかげ様で


奇跡をもらった命は、




もうすぐ 出会うことができそうです。






流産を繰り返していた頃、




出口の見えないトンネルのなかにいて。




一番大切なはずの旦那さんとすれ違ってしまったり、 




4回も続く悲しい現実に、


努力ではどうにもならない現実に、


もう 私たち夫婦は自分たちの子どもを抱くことはできないのかもしれない、と打ちのめされたり。






まわりの何気ない言葉に 悔しくて苦しくて、 死にたくなったり。


・・・恐ろしく憎いと思ってしまったり。




かと思うと




まだ豆粒ほどの 小さな命を短い間でも、全力で愛する事ができた事を


本当にありがたく思えたり・・・。






大げさなようですが、


不育症は私に


修羅の心と 菩薩のような心を教えてくれたように思えます。






たくさんの悲しい記憶は決して消えません。




流産宣告をうけた分娩台、




自然流産で出てきた子を埋めに行った帰り道、






流産手術を受けたあとのからっぽな毎日、




元気になったかと思ったら急に悲しくてたまらなくなる心、




なかなか妊娠しないことへの焦り。










でも 同時に


励ましてくれた みなさんのあたたかさも、


一生忘れる事はありません。




10年後20年後、


もう言葉を交わすことはなかったとしても、




ずっと覚えています。








そんな皆さんに支えられたからこそ。


ひとりじゃないって想いがあったからこそ。




今 お腹のなかにいる この子は、


エコーで何回も 笑顔を見せてくれたんだと思います。


(記事にアップしたいと思っていたのに タイミングを外してしまっていましたが、何度も笑っている姿を見せてくれました)






過去ブログのみなさんのコメントを読み返して、


そして 4人の天使の基礎体温表や、


エコー写真を整理しながら、




涙が止まりませんでした。






たくさんの人のおかげで 


私も この子も生きている。




今まで 長くて1か月程度しかお腹にとどまる事のできなかった命が


もう10か月もいてくれたことにも、 奇跡を感じずにはいられません。






私が、私が・・?


本当にお母さんになれる日がくるなんて。。






どんなに難産になったって


絶対がんばって産んでみせる!!!!って心に固く誓いました。






子供が生まれたら


必ず報告させてもらいます。




本当にありがとうございました。






そして長い記事を読んで下さってありがとうございました






あめっこの水玉にっき ~不育症になっちゃった~ border=




これは、 今まで越えられなかった8週目を初めて超えることができた奇跡の日に


名古屋の青木クリニックの帰り道、


泣きながら撮った写真です。




私が生きていた中で 一番嬉しかった日。


最高の空。




この空を見ながら


支えてくれた家族と皆さんに感謝でした



にほんブログ村 マタニティーブログ 不育症へ