『ぼっち・ざ・ろっく!』 | 真田大豆の駄文置き場だわんにゃんがうがおおおぉ!!!

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▼2022年12月28日

 『ぼっち・ざ・ろっく!』第12話「君に朝が降る」

 虹夏ちゃんのドラム演奏の細かくも丁寧な作画と、廣井きくりの笑顔と声(08:13)が大好き過ぎた!!!

 他、後藤母がライブ演奏のリズムに合わせて上半身を左右に揺らしつつ団扇を上下に小さく振る(00:10)原画のセンス等、注目した点は滅茶苦茶多過ぎて、とてもここに書き切れない!!!
 只、以下に一点だけ、やや抽象的な感想を述べたい。
 後藤ひとりがヴォーカルを担当したED曲「転がる岩、君に朝が降る」は、アニメ版『ぼっち・ざ・ろっく!』がひとまず締めくくられるという感慨を、私鏑木にとってより一層味わい深いものにした。
 というのも、まず第12話に於ける後藤ひとりの台詞には、相も変わらず「いつか高校やめてやる(10:55)」と「今日もバイトかぁ(23:32)」とが同居していた。その前者は、現実からの逃避願望であり、しかし後者は真逆に、現状を断り切れず、流されるままである事しかできない自己嫌悪がほんのりと滲みつつも、同時に、結束バンドのメンバー達と協調する時間をより多く持つ事への受動性と能動性とで揺れ動く期待や覚悟の表れ。その逃避願望と、期待や覚悟とは、一見してベクトルが真逆だが、同時に後藤ひとりにとっていずれの選択肢も心地良いものには違いない。つまり、それら2つの台詞の同居は、後藤ひとりの陰キャ体質がさも打ち破るべき障壁か何かなどと悪し様に捉える事を決して前提としておらず、飽くまで後藤ひとりが陰キャ体質を抱えながら奇跡的な才能と友情に恵まれたという条件下で、如何に“ぼっち”と“協調”とを往来するのか、この抱擁感に溢れた物語の先の読めなさこそが『ぼっち・ざ・ろっく!』のシナリオ面に於ける最大の魅力だったと、私鏑木に解釈させた。
 ところで、いわゆる“ぼっち”“陰キャ”“コミュ障”とは、投資需要の萎縮と政治の無策が続いて早30年の不況社会に於いては、もはや行動生物学的にも証明済み(※ジョン・B・カルフーンのマウス実験“Universe25”)なレベルで必然されざるを得ない、いわゆるLGBTQ並の先天的な境遇の一つと言っても過言でないくらいに、広く一般的な共感を集める属性だ。又、先述した“ぼっち”か“協調”かの対抗軸は、衝動かモラルか、感情か理性か、個か公けか、民か官か、自由か平等か、戦争か平和か、理想か現実か、革新か保守か、ロックか伝統か、・・・等の哲学的な論点まで広く遍在する。又、“ぼっち”という現実の範疇に、“天性の才能”と“友情”(※それも個々の志しの奇跡的な邂逅と強靭な絆)という夢の範疇を掛け合わせ、この塩梅を笑い飛ばすように演出する業は、この高等さ故に、過度な諧謔で読者の心を傷つけず、又は、安易な予定調和で読者を退屈させたりもしない。以上の要素が『ぼっち・ざ・ろっく!』のコンセプトに一種の普遍性を内包させ、従って極めて広く親しみ易く、愛される大傑作たらしめたのではと、私鏑木は独断的に大絶賛したい。
 で、以上の様な犬も喰わぬ感想の数々を私鏑木に思い巡らせたそもそもの原動力が『ぼっち・ざ・ろっく!』第12話ED曲「転がる岩、君に朝が降る」だった。厳密に言うと、私鏑木は同曲の歌詞を一切理解、記憶すらしておらず、このメロディに乗った後藤ひとりの歌声、この只一点に惹き込まれたのだ。同曲の歌声は、虚構としての後藤ひとりがどんな心持ちで歌っているのだろう、或いは同曲の作詞・作曲・編曲に関わった制作スタッフや監督さん等が後藤ひとりの声優さんにどんなディレクションを伝えたのだろう、又、声優さんは同曲とどんな心持ちで向き合ったのだろう・・・等々を私鏑木に夢想させるに充分な破壊力があった。私鏑木は、これまで人並み程度には様々なアニソン、キャラソン、声優ソングを聴いてきたが、「転がる岩、君に朝が降る」のヴォーカルは正に唯一無二。後藤ひとりの役作りの計り知れなさ(※或いは声優さんの弁を鵜呑みにするとしても果たしてどこまでが“素の演技”なのかと興味が尽きない、その驚異的な完成度w)をこれでもかと思い知らされる、難解でありながらも直感に心地良く響く、何とも背徳的な感触が、あの歌声にはあった(笑)。
 尚、タイトルの“君に朝が降る”というフレーズが良い。一般的に“朝”は“来る”と期待されたり歓迎されるものであって、又“降る”のは“雨”だ。つまり後藤ひとりにとって“朝”は“希望”よりもむしろ“災難”“憂鬱”の如きニュアンスで捉えられるが故に“朝が降る”となったのではないか。只、それは後藤ひとりと世間一般との感性の隔絶を象徴しながら、同時に彼女ならではの特異さが向かう先の根本は、“朝が降る”という彼女特有の世界観に見出されるだろう清濁ありのままの全てに他ならず、この点では彼女と世間一般とに何ら違いが無いという、この普遍性も逆説的に表現されてはいないか…といった、どこまでも私鏑木が同曲の歌詞を全く理解していない上でのデタラメな解釈の話だ。
 いずれにしても、私鏑木に「転がる岩、君に朝が降る」のぼっちちゃんの歌声が強烈に響いた事と、これが『ぼっち・ざ・ろっく!』全12話に対する私鏑木の感慨の形成を強烈に決定付けた事実は明白。それは端的に言って『ぼっち・ざ・ろっく!』の原作、アニメ化の脚本、絵コンテ、キャラデザ、レイアウト原画、実写パート、声優、楽曲制作、音響、製作、他全てに於ける、極めて高いセンスと技術力の集結が無ければ決して起こり得なかった奇跡的なアニメ鑑賞体験だったと思う。
 アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』に関わられた全ての方々に敬意と感謝を捧げます。

 

▼2022年12月21日

 『ぼっち・ざ・ろっく!』第11話「12進法の夕景」

 ダーウィンが喜多博士の実写パート。
 世紀末的な風貌の輩が千葉繁さん。
 喜多ちゃんのきたーん注入バンク。
 語り草にするより、ひたすら観て楽しめな回だった!!!
 果たして、体育館ライブの演奏シーンは観れるのか!?どう転ぶにしろ楽しみ!!!

 17:00~喜多ちゃん「絶対する!だって後藤さんは凄く・・・」。何よ、何を言おうとしたのよ喜多ちゃん(笑)?!!

 

▼2022年12月14日

 『ぼっち・ざ・ろっく!』第10話「アフターダーク」

●00:10~、「名前は思い出せないけど、確か2組の・・・」からの「後藤です(キリッ」が大好きw
●08:15~、ぼっちが自室の布団でごろごろ寝転がりながら文化祭への応募を悩むシーンで、ゴロゴロ⇒箪笥に頭ガンガンガン⇒ふらりふらり、の流れで、記号的なギャグのカットから心象描写の顔アップのカットへと、この間にさり気なく仕込まれた“アクション繋ぎ”。こんな達観とユーモアに溢れた演出センス、他では観た事がない。爆笑しながら感動したw
●16:25~、ぼっちちゃんが「このバンド、すごい」と“しく・はっく”に感銘を受けるシーンによって、彼女がギターやバンド活動と向き合う動機が、只単にちやほやされたいというもの以外に、ロックバンドに対する彼女独自の価値観や熱量にも依って立っていた事実が明らかに。もうこりゃ主人公の適性に溢れた上級陰キャ。
●20:20~喜多ちゃんが、実はぼっちちゃんが文化祭の応募用紙を捨てたものと分かった上で、敢えて代わりに提出してしまっていたと告白、謝罪。イカしてんじゃん喜多ちゃん、素直、勇気、思いやり、全てを兼ね備えた陽キャの鑑!!!ぼっちちゃんは友人に恵まれてんな!!!喜多ちゃんが練習に励む動機が、おそらくぼっちちゃんの才能を世に羽ばたかせる為の献身にシフトした瞬間だったか?!『ぼっち・ざ・ろっく!』ギャグだけじゃなくドラマも物語りもしっかり楽しませてくれる贅沢なアニメじゃー!!!

 

▼2022年12月7日

 『ぼっち・ざ・ろっく!』第9話「江ノ島エスカー」

 第7話に継いで2度目の、アマチュアバンド活動の本筋を休閑する回。
 ぼっちちゃんは、夏休みの最後の1日を結束バンドのメンバーと一緒に江ノ島観光で過ごす事となった。
●05:30~、ぼっちちゃんに夏休みの過ごし方をたずねた気配りで、結束バンドのコミュニケーション不足を補ってあげる星歌姉さん優しい。
●02:10~&06:55~、「一般相対性理論」「ドコサヘキサエン酸」等の言及は、ぼっちちゃんが「中退が夢」と言いながらも、夏休み中も高校生並の基礎教養を自主的に学んでいるし、これが後に彼女の作詞の感性を支える肥しになるだろうって解釈でOK?
●10:50~、江ノ島到着。ってかぼっちちゃんがジャージ姿のままな事を他の3人は全く気に掛けてないし、そもそも全く違う個性同士がバンド活動を軸として微妙な結束を維持している、この鷹揚な感じが良い。
●12:40~、早々と独りだけ夏の思い出に感極まってしまうぼっちちゃんの心象に係る“ディフュージョン(多重露光)”の演出が良い味出してる(笑)。
●16:05~、トロピカルラヴなカップルのみーたんがたっくんの肩に顔を押し付ける際の“動画”最後の4枚、顔が左右に振られる芝居。本当にこーいうアニメの品質をとことん追求する作画スタッフの超ガチな感じが、私鏑木にとって『ぼっち・ざ・ろっく!』最大の魅力。勿論それは、中割り枚数をメリハリ良く適材適所に振り分けているコンテ演出の辣腕っぷりを大前提とした評価。因みに10:47~の、喜多がぼっちに「写真撮りましょ♪」と駆け寄るカットでは、二人の胸像が大きくワンフレームに収まる画面構図で、且つ躍動感も印象強い見せ場なのにも関わらず、中割りが大胆にも4コマ打ち位に省かれているが、これがまた極めて自然に魅せるアニメーションとして成立しており、このレイアウト原画様のセンスと技術にも支えられた絵コンテ演出のメリハリ感の結実に、私鏑木は只々感服する。要は、映像として気持ち良過ぎるぜ『ぼっち・ざ・ろっく!』!!!尚、“トロピカルラヴなみーたんとたっくん”のカットが枚数多めなのに、喜多とぼっちの見せ場は枚数少なめという、一見して注力の方向性が逆転してるとも捉えかねないこれを何故、私鏑木が“適材適所”と評価する理由は、そもそもこーいう妙ちきりんな注力そのものが『ぼっち・ざ・ろっく!』というぶっ飛んだギャグ漫画をアニメ化するにあたってのテーマ性の共鳴に他ならず、つまり表面的なギャグネタも去る事ながら、こーいったアニメ化の演出面に於いてまでメタ的に笑わせにくるアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の果敢な、というか良い意味で狂った(笑)演出に、私鏑木は他ではまずお目にかかれない絵コンテ担当(※おそらく監督)の類稀な天性を感じ取るからである。要は、私鏑木にとって『ぼっち・ざ・ろっく!』は毎回見応えポイントが多過ぎて唸らされっ放しの、極めて奥深い超々大傑作!!!
●16:20~17:00、展望台を“バベルの塔”になぞらえてそそくさと退散する“インドア人たち”に喜多が突っ込んでオチるくだり。この原作のサバサバとしたブラックジョークのニュアンスを、結束バンドの思い出作りの一環として繋げ切った脚本と絵コンテ演出は恐らくMVP。喜多ちゃん可愛いw
●と思った矢先に18:10~、某ヤムチャで満身創痍なぼっちちゃんのカット。そもそも第7話のぼっち菌のくだりといい、『ぼっち・ざ・ろっく!』の原作のボケセンス、こりゃ完全にキマっ(略)。
●09:10~&19:50~、車窓の風景が画面斜め手前から奥へ“密着マルチFollow”されてる、このボカシ(透過光)処理の馴染み具合が見事で、要は3D感が良い意味で全く違和感無かった。これ最近のアニメじゃ標準なん(汗)?20:10~のぼっちちゃんカットのBGで高速に“Follow”される線路の砂利も自然な感じで綺麗。
●22:00~、秀華高校文化祭のポスター。つまり文化祭ライブの布石?オラ、わくわくすっぞ!!!

 

▼2022年11月29日

 『ぼっち・ざ・ろっく!』第8話「ぼっち・ざ・ろっく」


 ライブの演奏シーンに関しては、アニメの演出や技術がどうこうよりも、ぼっちちゃんの演奏に併せられたギター演奏、この音響面に、私鏑木の意識は殆ど持っていかれた。

 そもそもそーいう狙いで絵コンテ演出されていたであろう、つまりアニメの“画面”に関しては第5話のオーディションや第6話の路上ライブよりも更に凄いものを・・・みたいな貪欲さが、むしろ敢えて抑制されていたと、私鏑木は見受けた(※いや、それでも凄く手の凝ったレイアウトの連続だった事に違いはない!特に08:30~、ぼっち視点で、彼女のピックで弦を掻き鳴らす腕とギターが、魚眼パース作画された舞台の床を背景に付けPANされるとか、09:00~、虹夏が左右に体を振りながらドラムを叩く精緻且つ躍動的な動きのうまさと、この奥で上半身を屈めまくって演奏するぼっちちゃんとをワンフレームに収めて描く望遠パース作画のレイアウトの“溜め”から次カットの“解放”へと繋げる演出等は、こうわざわざ言葉にして大絶賛する事がもはや虚しい位に、只々素晴らしかった!!!)。

 しかしだからこそ、1曲目では結束バンドの息が合わせられなかった事で、ライブハウス内が残念な空気になってしまった感じが、主に音響面で際立って説得力を帯びたし、続く2曲目のイントロを猛烈に掻き鳴らすぼっちちゃんの内に秘められた本領が見事に発揮された感じも、これ又エレキギターアンプの電子音の激流が強烈に際立った事によって、尋常ならぬ説得力を帯びていた!!!それは台風直撃の悪天候にもかかわらず、金を払ってライブハウスまで来てくれたお客さんに演奏で応えようと奮闘するアマチュアバンド、この臨場感を最大限に再現しようという、極めて意欲的な演出の試みだったに違いない!

 『ぼっち・ざ・ろっく!』、改めて観る者の心を打ち震わせる、空恐ろしいアニメだと感嘆させられた!!!
 さて、第1話17:40~、虹夏の「うまくて話題の人もね、私達が見てない所で、たっくさんたっくさんギターを弾いてきたんだろうなって」というセリフには、第8話19:25~明かされた、彼女が幼少の頃に死別した母親への想いも投影されていたに違いない。又、これまで度々描かれてきた、虹夏が独りでキッチンに立つ光景や、第8話00:20~星歌がそんな妹に降り掛かった、ライブ当日に台風直撃という“理不尽”を呪って悔し涙を流す場面も、その虹夏のバンド活動に掛ける想いの根っこを、今回お披露目する為の布石だったのだ。尚、星歌は虹夏の為にライブハウス経営を始め、この代わりに自らのバンド活動をやめていた(17:25~、19:50~)。このドラマ性に溢れた背景こそが、虹夏の後のセリフである「ぼっちちゃんがヒーローに見えた」と合わさる事によって、『ぼっち・ざ・ろっく!』第8話を今後の作劇の新たな局面への導入として位置付けたという様にも、私鏑木には解釈できた。つまり、『ぼっち・ざ・ろっく!』の大筋のプロットの“発端”こそは、互いに欠けた部分を求め、補い合える仲間との奇跡的な出会いだったと、第8話でようやく明かされたのではなかったか。
 というのも、ぼっちちゃんがライブで本領を発揮した事で、彼女がギターヒーローであると虹夏にあっけなくバレた(笑)。つまり、『ぼっち・ざ・ろっく!』の今後の物語は、ぼっちちゃんが結束バンドの一員としてギターヒーロー並の技術とメンタリティで臨める位にはコミュ障の壁を打破できた、この次なる段階へと移ったとも理解できそうなものだ。仮にその場合、少なくとも私鏑木の寡聞が及ぶ限りでは、いわゆる“日常系”というジャンルとは一線を画すといっても過言ではない位に、『ぼっち・ざ・ろっく!』は短・中・長期的な物語展開を周到、且つめりはり良く構成できていると評価せざるを得なくなる!調度、21:55の虹夏のセリフによって作品タイトルの回収までしてみせた清々しさこそは、そんな『ぼっち・ざ・ろっく!』の原作力の偉大さを、私鏑木に予見させた(※つまり原作未読)!
 あと、そんな物語の大きな節目としての濃厚なドラマ性とは又別として印象的だったのは、
●20:10~、虹夏の裏組みされた両手のカット、・・・の奥の・・・可愛くも大きく画面手前に、立体的に主張されたシルエット。いや、相変わらずこのアニメは絵作りのセンスがピカイチだなって話です、信じてください(棒)。
●13:50~、居酒屋のカウンター席のサラリーマンの苦労話を聞く調理場の店主の神妙なしかめっ面。“萌え”な世界観を絶妙に崩す渋い画風、レイアウトはたとえ動かなくても魅入っていられるし、同時に笑わされる。極めてハイセンス。
●13:05~、リョウ「私は酒盗」に対する、きくり「君いくつ~?」の出来上がっちゃってる感。きくりさん可愛過ぎる。声優様と音響監督様に大感謝。
 しみじみ思います、『ぼっち・ざ・ろっく!』というアニメと出会えた私鏑木は本当に今、幸せであると。
 Blu-ray第4巻と『結束バンド』CDを、ぽちっとな!

・・・

 『ぼっち・ざ・ろっく!』第8話を2回観終えて気付いたが、本編で省略されたライブ3曲目ってEDテーマ『なにが悪い』?ひとまずは、そー解釈する事で、私鏑木もスターリーでライブ3曲目まで楽しめた結束バンドの1ファンに成り切るとする!!!

 にしても2曲目イントロぼっちちゃんのギターソロ、まじ震える。

 

▼2022年11月23日

 『ぼっち・ざ・ろっく!』第7話「君の家まで」!

 ぼっちちゃんがギターヒーローだという正体がばれてしまうか否かの瀬戸際のエピソードとして楽しめる、極めてスリリングな回。

 尚、虹夏はギターヒーローのファンである。仮に第5話で触れられた、虹夏がバンド活動をする最大の目標である“売れて武道館ライブ”よりも更に先に見据える“ぼっちちゃんには秘密だよ”と、彼女のギターヒーローへのファン心理とが何かしらの形で繋がっていた場合、第7話では結果的にギターヒーローとしての正体がばれずに済んだ事が、後々の物語への大きな布石に成るかもしれない。それは、ぼっちと虹夏とが互いに秘密を隠し合いながら共に歩む、百合々々で興奮必至な青春ドラマでもある(※妄想)!!!
●00:10~、自販機の横に立つ喜多、ハンカチで汗を拭い、軽く顔を左右に振って前髪を整え直してからスマホ自撮りする、この細かくもさり気ない芝居。嬉しい!
●02:05~、ぼっちの家に到着するや、歓迎の横断幕に虚を衝かれ表情が固まる虹夏と喜多、この4秒間カットのスローモーション演出の1コマ打ち作画。こんなの爆笑必至ですわw
●06:20~、喜多「なんでこんなにアー写が沢山?」の直後に映る、ぼっちのギターヒーロー空間たる押入れの暗がりカット。初めて友達を部屋に招く準備に奔走したぼっちなりの気苦労が伺える、日本一周ゲーム、ツイスター、ヘリウム缶等、これらの奥にちゃんとギター。特に虹夏にばれてはならない秘密の空間。
●12:00~、体育祭トラウマで自己嫌悪に陥るぼっちを気遣って、出来立てのから揚げで覚醒させるぼっちの母。ところで、ぼっちの父も終始、目の辺りが影で覆われて描かれている事から陰キャであり、つまりぼっちの陰キャ気質は父からの遺伝であり、従ってぼっち母はそんなぼっち父に惚れて仲睦まじく支えてやる妻であると同時に、これを受け継いで産まれ育った長女のぼっちの(深刻な)陰キャ人格も又愛し、理解し、支えてやっているという、この後藤家の背景が一瞬で分厚く伝わる、情緒に富んだカット。原作、脚本、コンテの偉業!
●21:10~、てるてる坊主を皆で作りたい案を勇気をふるって発言するぼっち、からの21:40~、虹夏「ぼっちちゃん大丈夫?」に対するぼっち「あ、はぃ゛」。この入念なシーケンスによって、第7話の根底では常に、ぼっちのプライベートと他者との距離が縮まる事に対する陰キャならではのストレス、忍耐、葛藤があった事実が生々しく浮き彫りにされる。という、相変わらずの脚本のバランス感覚そのものがメタ的にドラマ性を醸す(※直後の台風直撃のオチも含めてw)。本当に脚本、コンテ演出、作画、声優、全てが良い仕事してる!
 果たして第7話は、嵐の前の静けさという隠喩でもあったか、第8話を目前にしたという意味で?

 

▼2022年11月15日

 『ぼっち・ざ・ろっく!』第6話「八景」

 敢えて言おう、私鏑木はこのアニメに泣かされた!!!
 主人公ぼっちちゃんが地元の横浜は金沢八景にて、自身のバンドのライブチケット5枚を売りさばこうと、お手製のフライヤーまで用意しておきながら、土壇場で自らのコミュ障に阻まれ尻込みしていた。そこへ謎のアル中お姉さんが初登場。この廣井きくりという女性は新宿を拠点に活動するべーシストだそうで、彼女が導くままにぼっちちゃんは、この二人で路上ライブを敢行する羽目に。金沢八景の夏祭りの花火が目当ての観覧客を相手に、ぼっちちゃんはきくり姉さんのベースに支えられながら、まばらに立ち止まって聴いてくれるギャラリーを不安がらせてはいけないと勇気を振り絞って、路上ライブの緊張に立ち向かう。結果、チケットはぼっちちゃんの両親に続き、路上ライブでファンになってくれた二人の浴衣少女達と、そして最後の一枚はきくり姉さんが買ってくれた!このノルマ達成の報をぼっちちゃんから“LOIN”で受けた下北沢の虹夏らは、ぼっちちゃんがチケット売りノルマに追い詰められた末にひねり出した嘘だと決めつけ、尚更に心配を募らせるのだった。

 ・・・というドラマに私鏑木は泣きました!青春と努力と成長を後藤ひとりがいっぺんに体現するというミスマッチゆえに涙を誘う良い話でした(恥)!!!
●1:10~、これまでのあらましを新規描き下ろしのアニメパートで説明したギター君(※ぼっちちゃんの脳内キャラ)が川に弾き落とされる際の、水飛沫エフェクトの丁寧、且つ強調ぎみな作画と音響。私鏑木の笑いのツボ。
●1:20~、座布団に並べられたチケット5枚、このぼっち視点が“なめる”彼女の前髪。陰キャの心象への暗示か、とにかくこのアニメは芸が細かい!
●2:30~、ぼっちの妹ふたりちゃん「えぇ~嘘だぁwww?!」、この幼さに秘められたどす黒さが見事に伝わる声優様の演技に爆笑させられました。
●16:05~17:05、この路上演奏シーケンスの見せ方が熱い、熱過ぎて泣ける!!!下北沢スターリーで喜多が虹夏&山田に説明するぼっちの普段の学校での様子とリンクしながらも、これが束の間の飛翔を遂げるかの様に盛り上がる、映像と音響の見事なコラボ!16:20~、きくりのベース演奏カットも見事だが、16:40~「頑張れぇ~!」から17:00で演奏を安定させ始めるぼっちとこれに気付くきくり、そして17:15~、演奏するぼっちを下から仰ぎ観るギター視点により彼女のギターさばきと連動して“付けPAN”される金沢シーサイドラインの橋梁!且つ、この間に演奏で会話するかの様なぼっちときくりとのモノローグの掛け合い!これら全てが絶妙なタイミングで容赦なく畳み掛けてくる!!!ここで私鏑木はいよいよ断言せざるを得ない。『ぼっち・ざ・ろっく!』のコンテ担当されたおそらく監督様は、映像で人の心を動かせる超絶大天才に違いないと(歓喜)!!!
●ED後、アル中きくりの「みてくらしゃい!」が好きです。
 『ぼっち・ざ・ろっく!』Blu-ray第3巻は、私鏑木を“幸せスパイラル”に誘ってくれる事でしょう。

 

▼2022年11月8日

 『ぼっち・ざ・ろっく!』第5話「飛べない魚」

 おそらくこの原作漫画は、主人公ぼっちちゃんの“ちやほやされたい”という初心によって孤立無援に備わった才能が、結束バンドと協調して開花するまでの経過を、半ば焦らすくらいの丹念さで描くので、彼女のコミュ障コンプレックスがより切実な形で、読者に共感されるのだろう。そんな、いわゆる“俺強えぇ”には決して踏み込まない、忍び足な“成長”とでもいった風な、現実と理想との絶妙な塩梅が印象的だったよ、第5話。
 改めて思うが、『ぼっち・ざ・ろっく!』の画面設計は、魚眼、広角、望遠、そしてはったりレンズ、これらを小刻みなグラデーションで駆使し、且つ緩急の効いた演出の流れで巧みに配分して見せてくれるので、こういった見応えのある映像作品として鑑賞できる安心感のおかげで、キャラセルの演技や芝居に視点を集中させ易い。そもそもそれを基礎付ける脚本担当様の原作解釈が超秀逸なのだとも、強く思う。つまり、本当に贅沢なTVアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』!!!
 それが特に際立った例が以下。
●8:22~、カメラFix、画面左から右へ結束バンド4人が歩きながら、スマホ自撮りや手ぐし等おもいおもいの小芝居。微妙に魚眼寄りのパースも周到に作画。
●13:05~、自販機の前でペットボトルの蓋を開ける虹夏の手の芝居。
●14:00~、飲み終えたペットボトルをゴミ箱に捨てる虹夏の手の芝居。
●14:12~、虹夏「でも、ぼっちちゃんにはまだ秘密だよ!」のポージングから走り去るまでの、可愛く、且つ練られた芝居。

 又、相変わらずギリギリを攻めてるかの様な演出の数々で最も笑ったのが、
●21:35~、「父、母、妹、犬」を数える実写の手に被さる、家族の面々のアニメ作画と、背景をグニャグニャぐるぐるさせる特殊効果。このカット、完全にラリ(略)。
 最後にひょっとして?なカット。
●10:05~、リョウ「飲酒、喫煙、女遊び」でタバコとビールのタイミングがあべこべ…と思ったが、これはあくまで原作漫画の(※右上から左下へ読み進める)構図を踏襲したための…?
 いずれにせよ『ぼっち・ざ・ろっく!』みたいに何度も繰り返し観たくなるTVアニメなんて、そう滅多に無い!!!

 ところで、私山田にとって“アニメアニメしてないアニメ”とは、演出の端々に尋常じゃない研鑽の遍歴や、これを更にぶち抜き続けようみたいな気概も見受けられるアニメ。宮崎駿の仕事は正にその筆頭格。私山田にとって『ぼっち・ざ・ろっく!』も、もはやその範疇。

ありがたやぁ!!!

▼2022年11月2日

 『ぼっち・ざ・ろっく!』第4話「ジャンピングガール(ズ)」

 これまで以上に、アニメの見せ方にもお話にも笑わされ、且つしっとりとしたドラマにも魅せられたかと思えば、直後の唐突なホラーおちで感情がぐちゃぐちゃに振り回されて、本当に困った(笑)!そうか、第4話は山田リョウの人物像がそのままモチーフだったのか!?!
 というのも今回最も印象に残ったカットは…、まぁやっぱ最後のぼっちの「うへへへ」になっちゃうんだけど、次点に18:30~、喫茶店でぼっちの作詞を吟味してリテイクを出す山田リョウの手と額の間で僅かに乱れた前髪。おそらく喜多がその場にいたら卒倒するだろうってくらい、つかみ所の無い色気と自由奔放なクールさが融合した印象を、彼女の視線がギリギリ見える斜め後方から見事に栄えさせた。更なる次点に、そのちょっと前17:30~、会話を切り出せず手持ち無沙汰から瞬時に折鶴を完成させちゃうぼっち、こーいうの私山田の笑いのつぼですw
 当然、Blu-ray2巻予約。
 見事過ぎて、もはや言葉にできんよ、アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』。

 

▼2022年10月26日

 『ぼっち・ざ・ろっく!』第3話Netflixで(略)!

 そろそろ、このアニメの超絶レベルな技術面に麻痺し始めている自分が恐い。且つ、話数が重なる毎に世界観への理解が進み、ヴォーカル陽キャの新登場等、原作漫画のネタの面白さへと、私山田の焦点が多少シフトした感。
 そこには尚も確実に、諸々の原作ネタの魅力を、アニメ化で新たに構成し直された尺の中で最大化する為の脚本、コンテ、そしてこれを更に増幅させるレイアウト諸氏の超絶級のセンスが、しかし飽くまで黒子役に徹するが如く、原作への尋常ならぬリスペクトの下で“結束”していた!!!結束バンドなだけに!!!そんな制作体制の並々ならぬバランス感覚、一種のクオリティまで感じさせてくれる点も、私山田にとってアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の大きな魅力の一つ!
 それは例の如く、背景動画(3:30~)、実写のイメージ映像の差込(3:40、6:10~)、そして今話では更にペープサート人形劇のCG導入(1:55~)等で、『ぼっち・ざ・ろっく!』、このインドア(※ある種哲学的)ながら風通しがすこぶる良い“ロック”の本質を示そうとする原作漫画の挑戦的な世界観と同期し、更にメタ、マクロにフィーチャーしていた点!又その制作思想こそが、おそらくキャラのお色気を若干抑えぎみにしているであろう点も、私山田はむしろ歓迎している!それはもはや、“わびさび萌え”の極致だ(笑)!!!
 そんな第3話で私山田に最も印象的だったカットは以下。
●3:40~、ぼっちのアイデンティティ風船が「ぺちょ」。
●8:30~、喜多からギター師事を申し出られ動揺するぼっちの「ぇえ゛?!」。
●12:55~、「駄目バイトのエレジー」を弾き語るぼっちの霊魂を見届ける山田リョウ、このPANアップカットに於ける、一見簡素ながら絶妙なスライド幅と、丁寧に意識された魚眼パース作画!!!もうこんなの嬉し過ぎる!!!!!
 重ねて強調するが、私山田は『ぼっち・ざ・ろっく!』の全カットを漏れなく絶賛する!!!それは単なるデフォルメ調の“絵柄”で低カロリー、低予算アニメなどという括りとは全く真逆に位置付けられる超絶神作画クオリティアニメとしてだ。一見簡素なキャラデザや、抑えられた中割枚数、この表面“しか”感じ取れない様ではアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の真価を決して楽しめない!!!その重層的な演出意図によって縦横無尽にコンテ指示される刺激的な画面設計やパースに基きながら、場合によっては3コマ未満まで抑えられた中割枚数で、且つ同時多発的な支点・力点を、あぁまで自然に心地良く、全カット一貫して魅せ続けられる『ぼっち・ざ・ろっく!』の制作体制がどんだけぶっ飛んでいてヤバいのか(歓喜)!!!正に“ろっく”!!!
 第4話以降への期待も右肩上がりだ。おそらくBlu-ray2巻も予約せざるを得ない!!!

 

▼2022年10月18日

 『ぼっち・ざ・ろっく!』第2話「また明日」Netflixで(略)!


 原作漫画未読の私山田でもすんなり没入できる位、既に第1話で確立された世界観からの慣性航行が心地良い!!!
 ぼっちちゃんと虹夏のぼけつっこみの掛け合いが相変わらず楽しい!
 ぼっちちゃんのコミュ障描写が切実!
 BGMに某エヴァが混ざってワロタw
 そしてやはり、超贅沢ながら自己主張の片鱗も無く、飽くまで裏方に徹する様にさり気ない、丁寧で作品愛に溢れたコンテ、レイアウトの怒涛ラッシュ!!!
 特に印象に残ったカット↓
●3:15~、虹夏が「第1回結束バンドミーティング開催します、ぱちぱちぱちぃ~」の頭上で拍手する際に頭部も上下に可愛く連動する、この原画様の気の効いた遊び心が、本当に嬉しい!!!
●4:43~、ぼっちが山田リョウと自分の“孤独”の違いに気付かされ、地盤が崩壊し取り残されるカットの、壮大な背動。

●9:17~、ぼっちの結婚費用が貯金された豚さんを有難く頂こうとする際の山田リョウが手刀を切る仕草のコミカルとリアルの絶妙な境目。
 他、本編中の全カットが冗談抜きで漏れなく大好き!!!

 隅々まで溢れ出るアニメーター様の心意気が、又、アニメ企画側様の掌でまんまと気持ちよくされ、到底太刀打ちできないと打ちのめされてしまってる様な、このとても稀少な感覚こそが嬉しいのです!!!
 既にBlu-ray1巻は予約済み!
 今後も楽しみ!!!

 

▼2022年10月12日

 『ぼっち・ざ・ろっく!』第1話Netflixで初鑑賞。
 俗に“作画アニメ”という言葉を私山田が敢えて使うなら、それは正に『ぼっち・ざ・ろっく!』への賛辞に相応しい!!!

 まず“作画”については、極限まで抑えられた中割り枚数で、作品全体の魅力を、絵柄 &“動き”に渡って、隅々まで崩さず輝かせる超一級のコンテ、レイアウトが怒涛ラッシュする本編24分間!!!
 又、脚本については、サブタイトル“転がるぼっち”の如く、正に話がテンポ良く転がる、転がる、なので観てて楽しい!物語の次へ、先へ、興味が絶え間なく刺激され続ける!
 そして、特に主役ひとりちゃんの声優様の演技が幅広く、聴いてるだけで面白い!!!「フラッシュバックがぁ゛!!!」www
 要は、“作画”、脚本、演技、全てが極めてハイレベルな次元でバランス良くマッチし過ぎていて、こんな贅沢なアニメとの出会いに、謎の罪悪感を覚えてしまえる位の衝撃を、私山田は受けた!!!
 とりわけ印象的だったシーンとして、再生時間21:10~、ライブ反省会シーン、画面手前の伊地知虹夏(ドラム)と山田リョウ(ベース)に向かって画面奥中央から、後藤ひとり(主人公)がマンゴーのダンボール箱を脱ぎ捨てながら迫り来るカットで唐突に差し込まれた、魚眼と広角が混ざった画面構図、このはっちゃけっぷりに笑わされた!こーいう“笑い”を獲りに来る“コメディアニメ”は私山田の好みのど真ん中!!!
 最後に特筆すべきEDアニメの可愛らしさ!老若男女、より幅広い年齢層や趣味層にも理解されるであろう普遍的な“KAWAII”がそこにはある!!!
 もうこの時点で私山田は『ぼっち・ざ・ろっく!』の円盤購入を心に決めた!!!
『ぼっち・ざ・ろっく!』エンディング映像「Distortion!!」#結束バンド