断捨離をしています。
妻の物とか関連品。
今思えば一番目の妻も私をまず家から追い出したな。
訳がわからないから交渉をしてから事を進めてくれ、と言ってあの時も揉めた。
1番目の妻はアスペルガー統合失調症だったので諦めた。
でも、2番目の妻も統合失調症としか思えない。そっくりな言動だったからだ。
そして反省する所がある。私は全く手をあげない人間ではないらしい。そこは本当にお恥ずかしい限りだ。
私は元々は全く手を上げる人間ではなかった。
1番目の妻と暮らしているとき、どうしても(当時はまだ統合失調症は未診断の)妻の無視に我慢ならなくて、タウンワーク(たまにタウンページと勘違いされて、それは酷すぎるよ!?って言われるので言いますが、あのペラペラな求人雑誌のほうね!)で2回頭を引っ叩いたのを今でも覚えている。
勿論、怪我をしないようにあえてペラペラのタウンワークを使用している冷静さみたいなのはあった。
これ以上意味無視するならこれで叩きます!って言ってから叩いた。
だけれど私は、確実に我慢がきかなくて人に危害を加えた事になる。自責の念には駆られていたし、人を自ら叩いてしまうなんて子供の頃以来だ。
母親に暴力を振るわれても振り払って我慢、父親は一度命の危機を感じて投げ飛ばしたことだけはあるけど、私が加害側に回ったのなんてそれくらいしか記憶はなかった。妻は4人目の彼女だったけど、それまでムカついたとこで口喧嘩で、彼女を殴った事とかなんて勿論ない(男同士でどっちが先にやったかわからんような殴り合いになるはまああるとして)
私は20歳、一番目の妻は23歳だった。
その後1番目の妻は、
「あのメス男に思い切り殴られた上にレイプされて財産まで盗まれた」と吹聴していたが、実態は多分
「タウンワークで引っ叩かれたから追い出したら家賃高熱を全く払わなくなって私の財産がなくなったのでそんな男にさせるセックスはなくなった」って事なんだと思う。許可されたセックスの権利が相当遡って消え去るとしたらめっちゃ怖いなって思ったけど!!!!
とりあえず1番目の妻については割愛。またそのうち書くかも知れないが、私が初めて妻を叩いた話だけ覚えておいてほしい。
そして私は21歳の時に2番目の妻と暮らし始めた。私はこの頃はどうしようもないヒモだった。
遊び暮らしてはいないものの、家事くらいしかやらない男で、部屋の髪の毛と埃の撃退だけが趣味だった。
働こうにもうまく行くことは少なく、週1で出張ホストに行ってその金はよくわからないうちに消えてた。22歳までそうやって過ごしたけど喧嘩で辞めた。よく考えたら喧嘩自体は人一倍するほうだったんじゃないかと思う。
一度人生のレールから脱線した人間の受け入れ先は夜の世界だと思う。23から28までは、昼の姿はアマチュア生物学者として金を稼ぎ、夜の姿は男娼として金を稼ぐ。
私の金銭感覚はまだ壊れていなかったが、少しでも妻の負担は減らしたかった。
妻とはたまに殴り合った。勿論思い切り殴ることは無いが、怪我をさせてしまったことが2度ある。私の長い髪も大変狙い目(?)のため、たまに掴まれる。
多分、理不尽な事を言われると相手を殴るようになってしまったのは25歳くらいからだと思う。
この頃は既にフォロワーとは多く知り合いで、よく私がぼやいていたのを思い出せると思う。
私はこの頃から一所懸命働くようになっていたが、それは私が一所懸命なだけで、妻的には到底足りる働きではなかったと思う。同時にゴミ屋敷に悩まされるようになっていた。以前は髪の毛と埃をバスターする使命に駆られていた私は、完全に疲れていた。飯は作った。妻はメシマズすぎたし、食べることが好きな妻を喜ばせたかったし、メシウマな自分はイケてると思ってた。
「きみと結ばれるって、最初に会った時からわかってたよ」
とかいう妻が可愛くて、自分が死んだ後も再現出来るようにレシピを書き溜めた。
今思えば良くもそんな事が言えたなクソ女とでも言ってやりたいが、当時はなんて可愛いんだ!と思ったので仕方ない。
この頃からモラハラの片鱗があった。
引っ越しの片付けの直前に「ダブルブッキングしちゃった⭐︎旅行に行ってくるね〜!!」とか言うこともあった。悪気はないのだと許した。
知っての通り私はキツい横浜弁の使い手だ。妻の何気ない一言に「〇〇すればいいじゃん?」と返したせいで、「〇〇じゃん!って相手を否定しているよね!?」と突然キレられた。勿論じゃんに否定の意味などないので「ただの横浜弁だよ」と言ったら「東京人は否定の意味でしか使わないの!!!!だから否定なの!!!!」とブチギレられた。ちなみに生粋の東京人にそれを聞いたらそんなことは無いそうです。
大喰らいでエンゲル係数が高いくせに買い出しを一切しない妻。それなのに「夫が買い物が趣味でたくさん物を買うからお金がなくなる」って言ってたらしい妻。オメーの胃に入ってんですよ。
共通の友人間で計画を立てた後帰宅してから私にだけ文句を言って計画を白紙にして、私が謝り回った事もありましたっけね、って。
ただ私が懸念しているのは『モラハラ野郎は相手をモラハラだと思い込む』らしい事。
だから私がモラハラなのか、または妻がモラハラなのかは正直全くわからない。
モラハラ診断みたいなのを見てみよう。
- 誰のおかげで飯が食えていると思っているんだ?
- 子どもの面倒くらい見ろ
- 掃除くらいちゃんとできるようになれ
- 疲れて帰ってたのにてこんな飯しか出さないのか
- お前のお義父さんみたいにはなりたくない
- よくそんな格好をして表を出歩けるな
- 家を出ていくのはお前の方だぞ
- 主婦は気楽でいいよな
- 俺をイラつかせる天才だな
- 大した仕事じゃないんだから・・・
- これもまあ、あると言えばあるかな?と言う箇所もある。急に怒り出すとかは、きっと妻から見たらそうだろう。いい夫として振る舞いたいのは、そりゃあ誰だってそう。だけど別に外限定じゃなかったと思いたいよ!
- あとセックス強要はごめんね、これは95%私が悪いんじゃないかな。無理矢理した事は流石に無いはずだけど、めちゃくちゃしつこいとか、断られて不機嫌になるとかはまあ割と後期では覚えがある。思えば妻が私を疎ましく思ったから断り続けたっていう、卵が先か鶏が先かみたいな話かもしれないけど。というか私は単純すぎて、セックスさえさせてくれれば大体なんでも許せる男だったが、セックスをさせてくれなくなったら普通にモラハラに耐えきれなくなっていった(あくまで、という主観)ってワケ。
こうして私は愚かにも、たまにビンタを入れる彼氏になってしまった。
でも、そもそもこれは間違いで、ビンタを入れるほど何も伝わらない相手にはビンタなんか入れたって伝わらないと思う。
流石にそれを理解したので、私は結婚よりかなり前に一切殴らない夫に戻ったのだが、ビンタしなくなってから一年後も妻は
「すぐに人を殴るしか出来ないくせに!」と私に言い続けた。もう1年以上君を叩いたりしてないだろ。と言えば、「DVモラハラは更生プログラムに通え!」と良く言っていたと思う。
「俺が君をビンタしたのは申し訳無いけど、ちゃんと俺が間違ってたってわかったからもう叩いてないでしょ?ごめんね」と、根気よく言ったけど、まあ口喧嘩のたびに言われてて、過去は振り返らない主義としては面倒だなぁくらいに思ってた。だって最初叩いたの俺だけどちゃんと毎回倍返ししてるんだから暴れてるの俺じゃないだろ!!って本当は言いたかったかもしれない。暴れられたら困るから言わないけど。
とにかく、普通に伝わらないなら叩いても伝わらないし、だから叩くのは間違いだっていう事を理解した。カッとなって殴るタイプの人なら治らないかもしれないけど、毎回思い詰めた末に叩いてたから別にそもそもDVの気質ではなかったのかなとは思う。人権意識とかもあるけど、むしろ対等に感じてたから叩いてたフシはある。でも、後半はもう、ガキには伝わらないし意味ないから叩かない。って、逆に妻をナメてたから叩かなくなったかもしれない。
1番目の妻も2番目の妻もアスペルガーだったので、まず私の感情の機微などを伝えようと考えたのが間違いだったように思う。でもいっそこれは、アスペルガーの人たちとの相互理解を放棄し、私が彼女らを差別することの始まりでもある。アスペ女なんか殴っても意味ないからね。被害妄想で統合失調症に進化するから関わりたくもないよホント。って多分私は言えちゃうんじゃないかな。
出来るだけレッテルは貼りたくないが、私が最低コストで人生を生き抜くにはアスペルガーの女を毛嫌いして差別していくべきなんだろう。
そんな事よりもっと重要な事もある。これは私の問題で
「セックスさせてくれるしまあ許すかァ!」
っていう、クズ男とは違うタイプの脳みそ下半身を治す方がいいんだよね。書いてたら笑える。
1番目の妻は即、「レイプ魔!」とか言い出したからむしろ早々に嫌いになれたのではないかと思います。
2番目の妻は不当逮捕の後もそういう事があったからなんか、許すか〜って思ってしまった。今思えば333にはアホだなって思われてそう。治れ。