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真夏の一夜の狂気と儚さ。(椎名林檎『長く短い祭』MV考察)
 

バスタブらしきものへ、水道の蛇口から水が注がれていく。バスタブから水が溢れ、流れていく音が聞こえる。
女性は自宅で手を洗い、服を着替え、街に繰り出して行く。
街のあちこちに、自宅のテレビに流れていたものと同じ、椎名林檎浮雲が向かい合って歌う姿が映し出されている。
女性はクラブに入り、今までのクールな姿が、まるで嘘であったかのように踊り狂う。
その後、クラブを後にした女性は、煙草を吸いながら、公園らしき所に向かう。公園に着いた女性は、服を脱いでいく。
そこで、女性の自宅の風呂場にカットが移る。風呂の蓋を取ると、中には体を縛られた男性が押し込められている。
また、カットは公園に戻り、クラブにいたときよりも自由に踊り回る女性が映される。その映像と交互に、縛られた男性と情熱的なキスを交わす女性の映像が映る。
突然男性から唇を離すと、女性はシャワーヘッドで男性を殴り、足で踏みつけていく。
また、公園のカットに戻る。女性の顔は、サイレンの赤に照らされる。警察らしき人々に声を掛けられ、振り返る女性。女性の風になびくショートカット、憂いをまとった横顔。




MVの一番最初のバスタブの映像の時点で、もう女性は男性を殺めた後である。その映像がパッと切り替わって、椎名林檎浮雲の姿が映し出され、次のような歌詞を歌う。
天上天下繋ぐ花火哉
万代*1と刹那の出会ひ
忘るまじ我らの夏を
このMVにおいては、この始まりの歌詞が、一番意味を持っているだろう。殺された男性が逝くであろう「天上」と、その男性を殺めた女性が残る「天下」を繋ぐ花火。愛し合うことの快楽という「天上」と、愛し合うことの絶望という「天下」を繋ぐのも、また花火である。また、人が死んだという事実が永遠に続いていくという「万代」と、一夜の愛と衝動という「刹那」との出会ひ。
それらが、「我らの夏」であり、決して忘れることのない記憶である。このMVで出てくる「我ら」は、女性と男性の二人きりだろう。殺してしまったことも、殺されてしまったことも、二人きりの夏の記憶であり、二人きりの秘密の真実なのである。この時点で、なんとも言えない狂気を感じる。
水が溢れ流れ出すバスタブの映像も、抑えきれずに溢れ出す女性の情感や、恋に溺れて殺されてしまった男性の遠い比喩にも取れる。

場違ひに冷え切つた体を
人熱*2に放つて流し流され
思へば遠くへ来たものだ
何か知ら落ち込むだ心は
人熱彷徨つて流し流され
思へば遠くへ来たものだ
1番では上の歌詞が女性が玄関を開けて外に出る場面で、2番では下の歌詞が女性がクラブに足を踏み入れた場面で歌われる。「人熱」は、多くの人々が集まり、体熱や匂いでむんむんすることなのだが、歌詞が対応しているMVのシーンでは、一人でいた女性が多くの人々がいる場所に足を踏み出す部分で使われているように思う。クラブで、この男女二人は出会ったのかも知れない。人波に流されて、遠くへ来てしまったように、不倫という道に流されてしまったようにも取れる。
皆銘々取りゞの衣裳
奔放な命を被ふ化粧
隠すまじ我らは夏よ
不倫という危険な恋に溺れる「奔放な命」を、化粧で隠しているかのように、表情一つ変えずにクールな姿で歩く女性の目の前に、花火が上がる。それは、天上と天下を繋ぐ花火である。その花火を前にして、「奔放な命」を隠してはならない。なぜなら、夏はもう、女性と男性の二人のものを超えて、二人そのものになってしまったから。
人生なんて飽く気ないね
まして若さはあつちう間
今宵全員が魁*3、一枚目よ
1番で、こういう歌詞が流れるように、女性は人生のあっけなさを知っていて、若さなど更にあっという間に無くなってしまうことも知っている。だからこそ、一瞬のように短い今宵には全員が一枚目(=主役)になれるのだと感じている。
永遠なんて素気ないね
ほんの仮初めが好いね
愈々宴も酣*4、本番です
また、2番で同じメロディーにこの歌詞が乗せられて歌われる。女性は、永遠に続くものには魅力を感じておらず、刹那的な何かに惹きつけられている。それは、永遠を誓った愛(=結婚)ではなくて、一瞬の燃え上がるような恋(=不倫)にのめり込んでいくようにも取れる。


上の歌詞が流れ、2番のサビに移ると同時に、女性はクラブで踊り出す。次の歌詞は、そのサビの歌詞である。
皆銘々選り取り全方位
獰猛な命燃やす匂ひ
臆すまじ我らは夏よ
一寸*5女盛りを如何しやう
この侭ぢや行き場がない
花盛り色盛り真盛りまだ
この歌詞を歌う最後のサビから、アウトロに掛けて、女性はクラブにいたときより、更に開放的に踊り回る。クラブには収まり切らず、行き場を探していた女性の「女盛り」のエネルギーは、ここに来て限界値を突破する。このままでは終われない女性は、転げ回りながら「女盛り」を爆発させている。
アウトロになると、女性は男性に一方的に熱いキスをする。縛られた男性の口には、ガムテープが貼られていて、直接唇を重ねることはできない。この女性と男性が、何か薄い壁を隔ててではないと愛を交わすことができないという関係性が見えてくるように思う。
そして、東京事変の『能動的三分間』*6のサビの引用である「さよならはじめまして」が歌われたのを、合図にするかのように、女性は男性をシャワーヘッドで殴り、足で踏みつけていく。ここで流れる「さよならはじめまして」は、女性から男性に対する永遠の別れのように取れるが、何度会っても、いつ会っても、「さよならはじめまして」という関係性で会わなくてはいけないという、女性と男性の二人の間にある「不倫」という繋がりにも取れる。
転げ回りながら、踊り狂う女性の体に、パトカーのサイレンらしきものの赤い光が映る。しかし、そんなことは気に留めず、女性は壊れたように踊り続ける。そして、ラスト警察関係者らしき姿に声を掛けられて、女性は振り返る。その顔は、何かを諦めたような、さっきまで踊り狂っていたのが嘘かのように、スッキリした冷静な表情になっている。憑き物が全て取れたかのような、その表情の美しさこそ、真の「女盛り」でもあるのかも知れない。
このMVに登場する女性は、男性を殺してしまうほどに愛していたのと同時に、「不倫」という曖昧で脆く、終わりの見えない関係にうんざりもしていたのかも知れない。ある種の独占欲から、何か明確な愛の証を求めてしまったがゆえに、男性を殺めてしまったのかも知れない。最後の諦めにも似た女性の表情は、求めていた明確な愛の証を手にしたことの達成感や、愛する対象を失ってしまったことによる虚無感から生まれているのだろう。外に繰り出し、狂ったように踊っていたのも、そんな感情を女性自身の中で整理し切れず、溢れ出てしまい、そういう行動につながっているようにも取れる。

(おなかはらぺこ日記より)



花火は、天(永遠)と地(刹那)をつなぐもの。自分の中で永遠に残る瞬間、その瞬間の感情のままに生きる。