昨日(11月29日)下村文部科学省大臣が「全国学力・学習調査の学校別の成績を、教育委員会の判断で公表してよい。」と発表しました。
 
学力調査の成績の学校別公表は、橋本徹大阪市長が強く推進していましたので、耳にした方も多いかもしれません。
 
ところで、この全国学力・学習調査は一体何のために、どうして行われているのでしょうか。また、学校別の成績公表は必要なのでしょうか。あるいは、もっと進んで個人別の成績公表なども考えられますが、そのあたりはどうなのでしょうか。
 
歴史的な細かいことまではここでは触れませんが、全国学力調査の出発点は「ゆとり教育」の批判に始まると思います。「ゆとり教育」とは「ゆとり世代」などという言葉が流行した、あの「ゆとり」です。今日は、この「ゆとり教育」政策とその批判について整理したいと思います。
 
「ゆとり教育」の実質的なスタートは1998年~99年ですが、完全週5日制、それに伴う大幅な授業数の削減(教育内容の削減)、総合的な学習の時間の設置、絶対評価の導入などがそれに当たります。それぞれの項目に意図があり、長所短所もあるのですが、簡単に言うと、知識の詰め込み教育はやめて、もっと余裕をもった学校教育を行い、子どもの体験を重視して意欲や創造力を高めましょう、というねらいがありました。円周率を3.14でなく3にしよう、というのも「ゆとり教育」ですね。私は、これはこれで非常に意義深い方法とは思うのですが、批判をする方が続出したような記憶があります。(なお、この「ゆとり教育」の推進には、公教育の予算を削減し、民間企業に教育を委ねていく、という意図もありました。)
 
さて、この「ゆとり教育」の見直しは2005年ころから行われました。『分数のできない大学生』がベストセラーになるなど、「ゆとり教育」を批判する識者が多い中、2003年にOECD加盟国の学習到達度調査(PISA調査)の結果が公表され、日本の成績が下がってしまった(数学的応用力が1位から6位に、読解力が8位から14位に下がる)ことが決定的な要因になりました。これについては、調査の参加国が増えたのだからこういうことも起こりうる、ペーパーテストで測る知識が下がっただけで「ゆとり教育」の本来の目的とは必ずしも関係ない、という識者もいたようですが、それはあくまで少数派だったようです。
 
歴史的に世界でもトップの識字率を誇り、学力については他国の追随を許さない、というプライドがもろくも崩れ去ったことで、日本の教育政策は大きく転換します。2005年に見直しがされ、2008年に学習指導要領改訂、2011年に実施され、授業時数を増やし、その一方で「ゆとり教育」の目玉と言われた総合的な学習の時間は削減されました。
 
この見直し政策を進める中、2007年に「全国学力・学習状況調査」が行われました。学力低下と言うが、日本の子どもの学力は本当はどうなっているのか、どんな弱点があるのか、それを改善するにはどうするのか。そのようなねらいで、小学校・中学校の最高学年を対象に、全国すべての学校で学力調査および学習・生活環境調査が行われたのです。そして、学力調査(算数・数学と国語)の問題は、PISAの出題内容を参考に作成されたものでした。
 
学力低下への危機感から、脱ゆとり教育政策がどんどん進んで行きましたが、「ゆとり教育」はそのねらいからみて成功だったのか失敗だったのか、あるいは「ゆとり教育」のねらいそのものの是非はどうだったのか・・・。必ずしもきちんとした総括がなされていないように私は思うのですが・・・。