Jリーグ公式チャンネルにジョルジーニョのインタビューがアップされてますね![]()
鹿島の初の主要タイトル獲得の年にMVPを受賞する活躍、さらに監督として戻ってきてカップ戦のタイトルも獲っている。
リーグ3連覇以降に鹿島を見始めたサポーターだとクラブ歴代最優秀外国人選手はマルキーニョスになるんだろうが、クラブ創設時から見てる人からしたらジョルジーニョって答えも多いだろう。
ジーコはまた別枠って感じでしょうけど![]()
インタビューの中で鹿島ではボランチで起用するって話で興味を持って日本に来たって言っていたが、その割に鹿島に加入して最初の頃はSBやWBをやっていたような![]()
まあ、1995年は怪我人が絶えないシーズンだったと記憶してるから、チーム事情でまずはサイドの方に回ってもらっていたのかもしれない。
毎試合生観戦でもしないと今みたいに全試合フルで見ることができない時代だったのでその辺の記憶は曖昧なのだ![]()
J発足の1993年は全試合ビデオテープを販売していたと思うが、3年目の1995年には販売してなかったような気がする。
それでも1995年の終盤はボランチ起用されるようになって本田とのダブルボランチの形が生まれた。
あれが翌年の初優勝への布石となったわけだ。
そこからはまさに絶対外せないチームの中心選手となった。
レオナルドやマジーニョが欠けても何とかカバーして優勝を狙える感じはあったが、ジョルジーニョがいないと攻守にチーム力がガクンと落ちてしまう感じがあったものです。
1999年に大苦戦したのはまさにジョルジーニョの穴が大きすぎたから。
他にも多数の要因がありましたが一番大きいのはそこだったと思う。
この間まで1996~1998年の話をしてたので、次は1999年のことも思い出してみよう。
とりあえず今日はここまでかな。