この前1996年のイヤービデオの話をしたが、その翌年の1997年の話になります。
Jリーグが始まった1993年から見てる鹿島サポーターは、どの年が一番強かったかと聞かれて1997年と答える人が多いように思います。
その後の三冠を獲った2000年、リーグ三連覇の2007~2009年、ACL制覇の2018年とかを見てきても未だにこの時が一番強かったと
ナビスコ杯、天皇杯を獲っての2冠という年でしたが、リーグは惜しくもCSでジュビロに敗れてしまった
CSで勝っていたら、おそらく文句なくクラブ史上最強という意見でまとまったと思うのだが。
前年の優勝クラブが主力が全く抜けることなく、さらにビスマルクと名良橋を獲得して戦力に厚みを増したことで開幕前から優勝候補の筆頭という評価を受けていたと記憶してます。
前年全試合出場で右SBとして優勝に貢献した内藤、それでも左の相馬に比べると見劣りしてしまうという声もあった。
そこに日本代表の名良橋でした。
これにより4バックのうち3人が日本代表のレギュラークラスという今では考えられない豪華さとなった
前年レオナルドの移籍により穴を埋めるために獲得したロドリゴ、たしかに数字的には結果は出していたのだが、個人プレーに走る傾向もあっていい時はいいんだけどって印象が否めなかった。
そこに司令塔タイプのビスマルクの補強。
レオナルドやロドリゴのようにドリブルで何人も交わしてしまうというようなプレーはないものの、とにかく正確なボールタッチと体の使い方の上手さでボールを失わず、抜群の視野の広さで周りの選手を生かしてくれた。
逆サイドのSHの増田がドリブルやゴール前への飛び出しから得点を奪うプレーが得意だったので、チームのバランスが良くなりましたね。
ダブルボランチの本田、ジョルジーニョも健在で、FWはマジーニョを軸に長谷川、柳沢、黒崎、真中。
やや落ちるかと思われたのがGKで、レギュラーを掴んだ佐藤洋平がCSでやらかしてしまうのだが
この年の強さは控えの層の厚さ。
鹿島は数年後を見据えて、ベンチにはこれからピークを迎える選手を置くことが多いが、この年は完成期にある選手たちがベンチに多く並んでいた。
リーグ戦と日本代表戦が重なって主力を何人も抜かれるという事態に備えてクラブがあえてそういうチーム構成にしていたのかもしれない。
日本代表が抜かれるのは他クラブと一緒であったが、鹿島の場合、そこにアジアクラブ選手権まで被ってきてユースの選手まで連れて行かないといけないこともあった
セカンドステージの失速は日本代表で4選手を抜かれて16試合中11試合を戦った影響があったのは間違いないでしょう。
それでも大崩れしなかったのは選手層の厚さによるところが大きかった。
その代表選手たちが戻ってきてのH&Aのナビスコ杯決勝とCSでのジュビロ磐田との4連戦。
最初のナビスコ杯では2戦合計7-2で圧勝
この勢いでCSもってところだったが、アウェーの第1戦を2-3で落としてしまう。
それでも得意のホームで問題なく逆転できると思っていた。
試合展開もいつでも得点を奪えそうなものだったが、刻々と時間が過ぎていく中で焦りが出てのGK佐藤のミスからのジュビロ中山のゴールで万事休す
この悔しさは翌年まで繋がっていくことになりますが、その悔しさはまずその後の天皇杯にぶつけられた。
12/17~1/1の間に5試合という強行日程を、順大に4-1、福岡に6-0、G大阪に3-0、東京ガス(のちのFC東京)に3-1、決勝では横浜Fを3-0とCSの鬱憤を晴らすような見事な優勝で1年を締めくくった。
決勝の増田とマジーニョのゴールは今見ても美しいなと感じます。
一年間戦ってきて、この試合のスタメンがチームの完成形だった。
しかし、チームが完成期になりスタメンが固定されると、スタメンから漏れてベンチやベンチ外の選手が次の年には出場機会を求めて移籍してしまう。
また、選手の旬の時期は短くて、年齢や怪我などが要因で力を落としたりもする。
欧州のビッグクラブのような圧倒的な資金力がない鹿島としては、なかなかこの年のような分厚い戦力は揃えられないですね。