2003年は攻撃は小笠原頼りって面が目立った。
本山が開幕出遅れで中盤が小笠原トップ下、フェルナンド、青木、中田浩二のトリプルボランチなんて布陣も使われた。
シーズン途中で柳沢がイタリアへ渡り、残ったFWがエウレル、平瀬といったところだったが、エウレルは怪我がちで計算が立たず、平瀬は能力的な限界を露呈していた。
結局、終盤戦はルーキーの深井、中島で2トップを組んだりすることもある状態になり、おそらく鹿島の歴史上もっともFWに得点力が無かった時代だったと言えるでしょう。
そうなると、小笠原にかかる負担が大きくなる。
相手にしてみたら、小笠原さえ潰しておけば鹿島の攻撃は手詰まりになるって感じだったので、小笠原には厳しいマークが集中した
イライラしてイエローカードをもらうこともしばしば
リーグ戦だけで10枚のイエローカードを受け、1試合2枚で退場も2回、さらにはナビスコ杯決勝でも2枚のイエローで退場になっている
闘志むき出しでプレーする選手だから、カードをもらうことが多い選手ではあったが、この年は特別だったね。
翌2004年、やはり問題はFWの得点力だということで、元ブラジル代表のファビオ・ジュニオールを獲得するが、これが大失敗に終わる
鹿島史上期待外れのブラジル人ランキングを作ったら、このファビオ・ジュニオール、ベベット、カルロンは確実に入ってくるだろう
結局、攻撃は小笠原頼みの面は改善されず、苦しいシーズンとなった。
リーグだけじゃなくて、カップ戦でも優勝にまったく絡めずって点で、クラブ史上最悪の年といっていいかもしれない。
しかし、そんな中でも新井場の加入、ルーキー岩政の後半戦からのスタメン定着、怪我がちだったユース出身の天才野沢がやっと試合に使えるようになってくるなど、後の黄金時代のベースが少しずつだが整ってきた時期だった。