1992年の皐月賞、日本ダービーを制したミホノブルボンが亡くなった
逃げ馬として有名ですけど、デビュー戦は出遅れて豪快な追い込みだったんだよね。
その後逃げて勝ってはいたものの、1990年代に逃げてダービーを勝ったアイネスフウジンやサニーブライアンとは違うタイプだった。
他の馬は関係なく1ハロン12秒のペースでどこまで走れるかってことを追求していたような走り。
中距離以上だと、それが結果的に逃げの形になる。
あの持久力はまさしく戸山調教師のスパルタ調教の賜物。
普通の馬なら早い段階で故障してたかもしれない。
無敗で三冠に挑んだ菊花賞が結果的にラストレース。
キョウエイボーガンの逃げでリズムを狂わされなければライスシャワーに勝っていたかもな。
それでも2着に粘ったのだから立派だ。
菊花賞後は確かJCを目指したが故障、翌年も復帰を目指していたが、結局ターフに戻ることなく引退。
種牡馬になってからは鳴かず飛ばず、サンデーサイレンス、ブライアンズタイム、トニービンが猛威を振るい、マル外も豪華だった時代、内国産種牡馬は厳しかった
種牡馬時代の2002年に撮った写真を載せときます
場所はどこだったか。
軽種馬協会かな。
明日、明後日の競馬で血統表に名前を見つけたら買っちゃうかも。
なかなかいないでしょうけどね