ハーモナイザーセラピストの

高橋理恵です。

 

 

5日ほど長野へ滞在している中で

善光寺へお参りしてきました。

 

 

 
 
 

 

 

本堂に入った瞬間から

ぶわーっと涙が溢れてきます。

 

 

京都の平等院鳳凰堂でも

同じようなことがありました(笑)

 

 

何かあるのかな?

ちょっと気になって

阿弥陀如来について調べてみました。

 

 

阿弥陀には、2つの意味があるそうです。

 

1:アミダーバ(阿弥陀婆)

 

光明無量ということ。

光明とは仏様のお力であり

阿弥陀仏の光明の届かないところは

ありませんので

空間的に限りがないということ。

 

2:アミターユス(阿弥陀庾斯)

 

寿命無量ということ。

阿弥陀仏の寿命は限りがないので

時間的に無限ということ。

 

2つを合わせると

「空間的にも時間的にも変わらない

全ての人を本当の幸せにする真理

という意味になるようです。

 

 

でも、私達にはそれほど膨大な

時間や空間というものは

認識することは出来ませんね。

 

 

私達と直接関係を持てる立場になって

救う縁手がかりを作ろうと

形を現されたのが阿弥陀如来です。

 

 

全ての人を本当の幸せにする

真理の働きを実現するために

人格的に体現されたのが

阿弥陀如来なのです。

 

 

私は、真理を追い求めています。

言葉を変えると

「本質」と言ってもいいかもしれません。

 

 

真理とは、どこへ行っても通用するもの。

 

 

アロマやホメオパシーも

たくさんの協会や学校がありますが

それぞれの真理を追究しているところで

私は常に学んできたと思っています。

 

 

そして行き着いたのが

霊性(スピリチュアリティ)の世界です。

 

 

おこがましいかもしれませんが

そういう考え方が

阿弥陀如来さんと共鳴しているのかもですね。

 

 

ご本尊の阿弥陀如来さんにご挨拶。

 

 

外陣(げじん)と呼ばれる

畳敷の広いスペースに座り込み

ほの暗い本堂をゆっくり見渡します。

 

 

落ち着いたところで

メッセージを受け取ってみると

「許し」とのこと。

 

 

許したようでまだくすぶっているものを

すべて手放す時が来ているようです。

 

 

 

 

 

奥へ進んでいくと

お戒壇巡り(おかいだんめぐり)の

入口があります。

 

 

お戒壇巡りとは、ご本尊のいらっしゃる

瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り

中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで

錠前の真上におられるご本尊様と結縁を果たし

極楽往生の約束をいただく道場です。

 

 

地下を巡っていくと

だんだんと暗くなり

ついには本当の「闇」の世界に。

 

 

出来ればそこに

しばらく佇んでいたいとも思いました。

 

 

前を歩いていた家族は

キャーキャーと騒いでいるのですが

私は真っ暗になった時こそ

ものすごく心も体もほっとしました。

 

 

「闇」は悪いもの

という固定概念がありますね。

 

 

闇があるから光がある。

 

 

対立させるのではなく

どちらもあって当たり前という

考えになること。

 

 

これが、日々の人間関係や

世界で起きている争いなどを

無くす方法ではないかと思うのです。

 

 

「あの人が悪い」という考えが起きた時

 

なぜあの人は

そのようなことをしたのか?

 

 

そう考えられるようになると

闇に対する怖さも薄くなってきます。

 

 

こういう考え方が浸透して

自分の視座が上がってくると

 

 

あの人からの言動で

私が学ぶことは何か?

 

という考えに変わってきます。

 

 

そうなるともう

闇は怖いものではありません。

 

 

まさに、隅々まで光が行き渡り

見通しが良くなります。

 

 

そこに囚われることがないので

嫌な時間という考えもなくなります。

 

 

私達の本当の幸せの為の真理は

実は「闇」にあるのではないか?

 

 

私はそんな「闇」を知っているからこそ

暗闇の中でホッとしたのかも。

 

 

そんなことを感じた

善光寺での時間でした。