古潭海岸を見に行った日、石狩もついでに見に行った。
浜は予想以上に風が強かったので早々に諦めたが、神社が多かったので参拝して来た。
▽石狩八幡神社
曇っていて寒い所為か、なんとなく寂しい雰囲気が漂っていた。
この時、入り口には不法投棄なのか、神社側が指定した置き場所になっているのか分からないが、ガラスケースに入った二体の人形が鳥居の右足元に置いてあった。
車道に面した、それも鳥居の麓を神社側が正規の置き場にするだろうか? どう考えても不法投棄の線が濃い気がする。
写真を撮るのは気が引けたので、撮影はしなかったが、その内一体のガラスケースの蓋が外れて野ざらしになってしまっていた。
霊に同情したりするのはよくないと聞いた事があるので、余計に手を出してその人形に宿る魂に同情するような真似はしたくなかった。
しかし、せっかく端正に作られて、気に入られて買われ、人に愛されてきたかもしれない人形が雨ざらしになっている。ただ、蓋を閉めてやる事くらいしたっていい。
もし酷い扱いを受けた人形ならば、捨てた人間を恨んでいるならば尚の事、寒い思いをしているのを見過ごすのは心が痛む。
むしろ見過ごす方が祟られそうだ。蓋が確り固定されたのを確認し、これ以上汚れない事を願った。
その後参拝した際は、神社で自分の願いを祈るものではないと知りつつも、人形が確りと供養される事を願った。自分自身の願いはしないが、その神社に縁があってやってきた人形の無事を祈る事くらい、神社の神様も不快には思わないだろう……。私の勝手な妄想だろうか。
どちらにせよ、もしそれで何か私自身にあったとしてもそれはそれで運命なのである。
そんな、粗末な空想に浸りながら、私は石狩八幡神社を後にした。
▽出雲教大神社
続いて、訪れたのは出雲教大神社。住宅地の裏にひっそりと佇んでいた。
マップにもその名前は記されず、たまたま脇道に入ったところ発見した。
お賽銭が中々入れづらい状態となっていたが、ねじ込んで来た。
ちなみに石狩八幡神社と共にマップに載っている、石狩弁天社は入り口に雪山ができており、駐車場も雪だらけだったので参拝を断念せざるをえなかった。
Googleマップで石狩弁天社を見ると、顔と認識した部分にかかるモザイクが社本体や、鳥居にかかっていて少し怖い。
しかし別に気にする事でもないので、雪が溶けたら参拝しに行きたいものである。
あと、この付近にある「来い来い番屋の生鮮広場」で買ったザーサイと梅ひじきは最強に旨かった。今この記事を書いてる最中も、梅ひじきを混ぜ込んだおにぎりを思い出すだけで腹が減ってくる……。
夏場はバーベキューもやっていてカレーも美味しそうなので、再訪は必ずしたい。そしてそのついでに番屋の湯にも入りたい。