西田幾多郎(にしだ きたろう)

 

「我々の自己の底には何処までも自己を

越えたものがある。しかもそれは単に

自己に他なるものではない。自己の外に

あるものではない。そこに我々の自己の

矛盾がある。此に我々は自己の在処に迷う。

しかも我々の自己がどこまでも矛盾的自己

同一的に、真の自己自身を見いだすところに

、宗教的信仰というものが成立する。」

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・」

 

 

「おいらと、おいらのう○ちと、おいらが寝るマットと

おいらが居る部屋と、おいらを見てるみんなが、

個性をもちながら、そのままが普遍なる自己であると

自覚する時、すべての存在が同一の性であることが

矛盾なく理解できる。         ポリポリ。」

 

 

 

 

 

 

 

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(長楽寺のホームページ)