たいてい、道を諭すとき、書物や、教えの受け売りで、記憶を頼りに、お話をする方が、ほとんどで、まだ、職能にも、成れていないのに、称号や、敬称を、掲げては、ほめてもらい、いい気になるものだから、歩まない、歩んでこなかった道を、、、さも、えらそうに、、、
あの、、、わたしは、、そうは、思えないのですが、と言ったら、エラいことになる、、、
その話を、、、
魂の健全性は、ネガティブを含まないこと、、、そして、満たされていない者は、なんらかの形で、それを、補おうとすること、、、
魂は、そのあるべき道を知り、それは、知識ではなく、はじめから、備わっているかのように、事なせる流れを、得ていること、、、魂の記憶、、、
親からも、受け継ぐことなく、教育や、本や、情報を得る前から、成し得るくらい、知っていることを、わたしは、知っているというのだと思います。
わかっている!
それと、同意語であり、なにも、しないではなく、できること、できる流れに、時を待つことも、時を得ることも、理解できていること、、、
それは、、、
ん?
誰も、そんなことは、言っていない!
そう、、、
じゃあ、この先は、やめときましょう、、、
別の話し…
無題…
鳥は、なぜ、飛べるの?
なぜ、それが、食べ物だと、わかるの?
いのちが、その存在で、あれるように、迷わず、悩まず、生まれてから、なくなるまで、お互いを、支え合い、生きることができるの?
ひとは、動物や、けものの生き方や、あり方を、餓鬼、畜生だと、いうひとも、いるけど、、、あれは、なぜ、そういうの、、、誰が、言い出したの、、、
なぜ、たくさんのいのちは、季節に、応じて、生きていけるの、、、
話しても、つまらないと思う一等は、植え付けられた、情報を、もとに、新しいこと、知らなかったことを、ふるいにかけて、話をします、、、
そのふるいになるもの、フィルターにしているもの、、、オズの魔法使いの話しをしっていますか?
ん?アリスだったかなぁ、、、
そのあたりの、、、色眼鏡の話し、、、
わたしが、思うのは、、、
罪を購うようにと生きたひとがいました、、、
それを、原罪ということになっていますが、あれは、その時代の、その人等の罪をあがなおうとしたのです。その時代に、はびこっていた、間違った行いや、間違った慣習、間違った宗教意識による様々な様式、、、もちろん、その慣習、様式、意識は、、、宗教を掲げ、神の名の下に、罪は、広がっていく、、、それを、改心させたかったのです、、、
話が、かわることになり、原罪、故に、となりましたが、元々は、違います、、、
思い込みから始まった、とがが、神の名を汚すことを、やめさせたかった、、、そのように生きて、そのように、、、身を捧げました、、、
その罪は、まだ、あがなわれておらず、悲しみを、つくり続けているのは、魂の中に、うつろな空間が、大きくて、そのものが、パンドラの箱から飛び出した、ネガティブを入れる余地があるからです、、、
なぜ、、、それは、人類が、一番、この地球上では、若い、幼い種であるからです、、、
魂の古さは、植物、鳥や、昆虫、けものには、かないません、、、
魂の大きさに、見合った、十分な記憶と勇気、、、備わっている者たちには、ネガティブは、写り込まないのです、、、
ネガティブ、、、が膿まれる前から、備わった魂は、強いと思います、、、
少なくとも、人間という種は、若すぎる、、、地球においては、まだ、赤子と、かわりません、、、
備えていく、猶予がある、幼子が、幼子であるうちに、いまの親は、、、急がし過ぎるように、スマホに首ったけです、、、
共に、あれる時間も、惜しまず、携帯、パソコンを、衝立にして、顔よりも、見えない心を、ネットの中に探します、、、
魂の補完を進めなさい、、、